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琉球舞踊家・高嶺久枝物語『琉球芸能の源流を探る』【第1話】

高嶺久枝物語【第1話】
琉球舞踊家の高嶺久枝さん(琉球舞踊かなの会・会主)が芸道40周年記念公演を先月20日に国立劇場おきなわで開催され、そこで披露された演目はとても注目となりました。
琉球開闢神アマミク特に第1部【祀り】の『琉球開闢神アマミク』では、ミントングスクに代々伝わってきたという琉球開闢神アマミク(アマミキヨ)の神面を復元し、それを着けて舞われたのです。観客はみな釘付けになりました。また第2部では、琉球の宮廷芸能の歴史を遡って復元していったというこれまでの集大成(御座楽をはじめ冊封使を歓待した中秋宴を再現)が披露されました。
ryuQでは、芸道40周年を記念して特別インタビューを数回に渡ってお届けします。【第1話】では、入門当時12歳で琉球舞踊を始めた頃のお話から始まり、技術(型)だけでなく、いかに“ウムイ(想い)=精神”も大事なのかなど語って頂きました。

——芸道40周年ということで、中学生の頃から琉球舞踊をされてこられたということですが、まだ少女の頃に何がきっかけで琉球舞踊の世界に惹かれていったのでしょうか。

高嶺久枝:琉球舞踊を始めたのは12歳。中学1年生の5月でしたね。
子供の頃、沖縄芝居が好きで曾お婆ちゃんと沖映本館へよく観に出かけていました。小さい頃は少し病気がちであまり人前では喋らない子だったんです。
お芝居を観ていたんですが、その幕間(次の幕までの間)に踊られた琉球舞踊に惹かれたんですよ。

また祖母はとてもカチャーシーが上手で、カチャーシー大会などがあると賞をもらう位の名人で、その祖母とは同じ部屋だったので私が勉強していると後ろのほうで『むんじゅるー』などを三線で弾いたりして、いつも琉球音楽が流れていたんです。私はそのような環境の中で育ちました。

高嶺久枝さらには、うちの兄が当時大学で郷土芸能クラブに所属していまして、自分が通っているお稽古場に紹介するよ、ということで訪ねた琉舞道場が佐藤太圭子先生のところだったんです。

——その当時は、10代で琉球舞踊を習うというのは珍しかったのですか?

高嶺久枝:少なかったですね。高校生になった頃とかは、男子が流行のフォークソングを歌ったりしていた時代なんですね。
そういう時代に、私が古典の琉球舞踊をやっているというのは、ちょっと土臭いイメージを持たれていたのかもしれません。ですから、あまり公には「琉球舞踊をやっています」とは言えないような、そういう時代の雰囲気がありましたね。

琉球大学に進学してからは郷土芸能クラブに入って、そこでは先輩達が一生懸命やっておりましたね。
やっぱり芸能というのは面白いですね。私は中学生の頃からやっていますから年数が掛かっていますけども、大学から始めた人たちが1〜2年くらいである程度の型を習得していき、集中してわずか1〜2年で新人賞をとったりするんですね。
そういうところからも、やっぱり芸能というのは、身体の中にも“ウムイ(想い)”と“意志(精神)”があればこなせていけるんだなということを発見しましたね。それはひとつひとつの演目に対してというよりも、芸能に対する向かい方といいますか、真剣であれば仕上がっていくものなんですね。

また、八重山郷土芸能クラブというところがまた凄いところで、彼らは学んできた1年間の集大成を発表会で披露するのですが、その前に夏の合宿で取材をして、それから舞台に挑んでいくという手順を踏んでいくんですね。
ウチナンチュであれば、身体(DNA)の中にその“舞踊の所作”みたいなものが刻まれているのかなって思いましたね。

——そうやって10代の頃から琉球舞踊の世界を歩んでこられ、芸道40周年を迎えられました。国立劇場おきなわで開催された40周年記念公演ではとても印象深い演目がいくつも披露されましたね。特に探究されているテーマが琉球の歴史を甦らせるような印象があります。

『冊封使・徐葆光が見た中秋宴』高嶺久枝:そのような源流へと意識を向けていく転機は、2006年の舞台『冊封使・徐葆光(じょほうこう)が見た中秋宴』の公演で中心人物だった瀬底正樹さん(津波古獅子跳蹴(舞)保存会会長)と出会えたことですね。

彼は、『中山伝信録』の挿絵を見て血が騒いだそうです。挿絵の『御冠船毬舞(獅子舞)』の中に民俗芸能でもよく知られる獅子舞が載っていたという歴史の記録を再確認し「宮廷舞踊の中にも獅子舞はやっぱりあったんだ!」と、とても血が騒いだといいます。獅子舞はもちろん自分たちでなんとかできるけれど、舞踊の踊り手はどうするか、と4年間ほど構想を温めていたらしいんですね。

奇しくも、とでもいうのでしょうか。那覇市歴史博物館で開催されていた琉球王朝の宝物展の会場でたまたま出会いまして、「舞踊家の高嶺久枝さんですよね?」と瀬底さんから声を掛けられました。すぐその場で資料を見せられて「これからこれを再現したいんですけど」とご相談を受けたんです。

私も、古典舞踊の先のことだと思っていたので、簡単にお引き受けしたんですけども、それが段々と意識が変わっていきはじめるきっかけでしたね。
私たちがやってきた舞踊はある時代からのもので、それをさらに歴史を遡っていくということへの意識を変えられた。

たとえばそれは何かというと、琉球民族のなかにある“祀り”に対するウムイ(想い)ですね。「なぜ、祀りをして、エネルギーを得ていくのか」という。
それを探究するためにも、彼らと一緒にフィールドワークをしてきたんですよ。

——村の祭りは、繁栄(や豊作など)を祈願し、その願いを結ぶために奉納する為のものだと。

高嶺久枝:それも先ほどの話とつながりますけど、“祀り”というのは、シマの青年達が祭りのために1〜2カ月ほど時間を掛けて練習をして、それから本番前に長老や先輩たちに指導してもらって本舞台を迎えます。それは、私たちがやってきた宮廷舞踊の世界と比較すると違いはあるんですね。
私たちは経験を十年くらい修行を積んでやっと一人前かなという思いがありましたから、そことの思いのギャップはとてもありましたね。

琉球舞踊家・高嶺久枝物語『琉球芸能の源流を探る』【第1話】私たちも型から入ってひとつのものを仕上げるのに“ウムイ(想い)”が大切とよく言うのですが、型から始めた時に、よっぽどその型の中に“ウムイ”がないとそれを表現できないと思うんです。だから、長年いろんな経験を積み重ねてきた人間がようやくそれを表現できるんだよ、みたいなのがあったんですね。

それはそれでいいのですが、自分たちのDNAの中にあるウムイを“神に向かっている”と実際感じたら、自然に手が上がってくるし、またそれを受けて、また次の人に返してあげると思えば、自然に“拝み手”“こねり手”“招き手”などの所作が出てくると思うんですね。

琉球舞踊の舞いの表現というのは、ある意味では“人間の中で自然発生的”に出てくるものなのです。ですが、その領域に辿り着くにはまず型も重要になってきます。

たとえば先日の国立劇場おきなわの舞台の第一部で『祀り』をやるに向けて、まず型と技をどうはめていくかという時に、弟子達も同じことが出来る。彼女らの中には鍛錬してインプットしてきた技があるから、私がウムイを伝えると彼女たちは自分たちでそれを表現していくことができるんですね。

だから、ぎりぎりの仕上げではありましたが、それをかたちにしていくことができました。

弟子だけではありません。今回関わって頂いた各専門分野の方々もそうですね。たとえば、第一部の『祀り』の演目の音楽については、
「“風の音、波の音”など原始の音を出してほしい」という希望がありましたが、それでは音楽にはならないよと周りから言われていました。それはそうだとは思いましたが、作曲家で研究家の杉本信夫先生にぜひご依頼してみたいと思いました。

杉本信夫氏杉本先生は、琉球の島々のわらべ歌を取材して1000曲ほど採譜してきたという実績のほか、先生が沖縄に意識を向けて研究されてきてちょうど40年。私もちょうど芸道40年。そういうことなどもありましたし、こういった作品は自然と生まれてくるべきだと思ったから、先生にお願いしてみたんです。杉本先生も「やってみましょう」と言ってくださって、お忙しい中、引き受けてくださいました。

まず、作曲に入る前に、ご一緒にミントングスク、ヤハラヅカサ、浜川御嶽、受水拝水など、琉球開闢の神アマミキヨゆかりの聖地を巡って参拝しました。まずはご挨拶からというところとか、そういう意識がある人と無い人では、まったく出来上がるものも違ってくると思うんですね。

出来上がりはさすがでした。一回仕上がった音楽作品は、ほとんど手直しがありませんでしたね。
それが第一部【祀り】の冒頭で舞った『琉球開闢神(アマミク)』と『受水拝水』です。そのあと『初穂』へとつながります。

琉球舞踊家・高嶺久枝物語『琉球芸能の源流を探る』【第1話】伝説では、鶴が3本の稲穂を携えて渡ってきたといわれ、そこで命尽きたことになっていますが、舞台では死なせる訳にはいかないのでどうしようかなと思った時に、では稲穂を口にくわえようと。それを確信持てたのは、私には2歳になる孫がいるんですが、孫が「おばあちゃん、僕も同じようにしてほしい(稲穂を口にくわえた鶴の真似をしたい)」と言ったんですね。まだ2歳のその様子(発言と行動)をみて、“この幼い子の純粋な魂にも印象に残るもの”だと思ったんですね。

経験とかウムイがあると自然とそこに表れてくる所作があるということと、もうひとつは、まだ経験がない人でもちゃんとウムイを伝えるとかたちにできる。その両方を意識することができましたね。

——それを琉球舞踊で表現されていらっしゃる。

高嶺久枝:それが“琉舞の型から入って、型から抜ける”ということなのでしょうね。
舞うということ自体には型は無い“空(くう)”であるはずなんだけど、そこに辿りつくためには、まずは“型”がないと。(つづく)

→【第1話】「技術(型)だけでなく“ウムイ(想い)=精神”も大切なのです」
→【第2話】「感動が生まれる瞬間とは、深いところで重なるものがあった時」
→【第3話】「知恵と心で発展していく人間の可能性とは凄いもの」
→【最終話】「アマミキヨはみんなの心の共有財産だと思うんです」


※プロフィールは高嶺久枝公式ブログにて:
→ http://takaminehisae.ti-da.net/


(取材: 桑村ヒロシ)


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Posted by ryuQ編集室 at 2010年01月27日   09:00
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