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琉球舞踊家・高嶺久枝物語『琉球芸能の源流を探る』【第2話】

高嶺久枝物語【第2話】
琉球舞踊家であり、琉球王朝時代の宮廷音楽『御座楽』を復元した首里王府御座楽保存会の副会長でもある高嶺久枝さんは、さらに歴史の源流を遡り、琉球開闢神をかたどったと伝承される神面の復元に立ち会い、そしてその御面へ魂込めの舞いを奉納することになりました。
芸道40周年記念・特別インタビュー【第2話】はさらに深みへ。

——琉球舞踊そのものも、国の重要無形文化財の指定を受けた年でしたよね。
様々な節目が重なった芸道40周年記念公演だったのですね。


高嶺久枝高嶺久枝:はい。私自身もこの道を40年間歩んできましたが、ウムイの中で謙虚にやっていくというのもとても大事なのですが、先輩達もいっぱいおりますし、外に向けて発表するのに何度も躊躇しそうでした。
けれども、私の人生は命があと何年残っているのか思った時に、極端な話ですが明日は生きていないかもしれない。
「今できることを思いっ切りやるしかないんじゃないの」って決心しました。

そして、私と共に歩んでくださっている皆さんの前で、私が遠慮してちっちゃくなっていたら、やはり申し訳ないですよね。ご協力頂いている諸先生方や関係者の方々の想いを舞台で発揮できるように、しっかりやるしかないなって。

——伝統の世界で新しいことに思い切って挑むのには、高度な技術のほかに大変な勇気や度胸も必要ですものね。

高嶺久枝:いろいろと思考が交錯し葛藤しましたね。でも、今やならければと決心しました。

——そして“決心”すると、物事がいい方向に進んだりとか。

高嶺久枝:そうですね、いい出逢いが生まれてきますね。福がやってくるというか。
諸先生方との出逢いの御縁もそうですし、桑村さんともそうですよね? 舞台に向けての準備をしていたら、ふと桑村さんの事を思い出したのでお電話を差し上げたんですよね。

——それは光栄です。

高嶺久枝:へこむのはいつでもできるけど、(未来に向かって)進むというのは勇気がいったりするものです。やる意味、意義というのは、ですからそこにあるんだなと思いますね。畏れと同時に「これは使命だな」とも思いました。
使命だと思ったことについては、今このインタビューではじめて告白しますけど、でもそういった事をハッキリ口に出して言うことでこういうことを表に出していかないと。40年間、琉球舞踊の道を歩んできた想いというのもありますしね。

——第二部もそうですが、特に第一部【祀り】の『琉球開闢神(アマミク)』をみて、琉球の祖神の神面が復元されそこに息吹が吹き込まれることは、これは琉球舞踊の世界だけではなく、沖縄のみなさんにとって宝ではないかと思いました。
琉球開闢神(アマミク)
高嶺久枝:そういって頂けると幸いです。
仮面を復元して奉納した'09年5月25日は、夫が肺炎で入院した日なんですよ。そして母が施設に入院する日だったんですね。午前中にハッと切り替えて思い切って奉納の場に駆けつけてみたんです。

——そういう大変な事情では普通なら出掛けないですものね。

高嶺久枝:そのような状況の中でも、どうしても行かざるをえない自分がいるんです。なんとか奉納の現場へと行くことができ、立ち合わせて頂くことができただけでも幸せなことだったんですね。

すると、千本木智美さん(世界の仮面研究家/琉球民俗面研究会主宰)が、
「高嶺さん、今回は仮奉納で、いずれ後で正式奉納がありますよ。あなたの舞いでお願いできますか?」と言われて。
もうある意味では、畏れ多いですよね。「この神面を、私が被って何をするんですか?」と驚きながら、それで一歩引いて「私が本物の神面を被るというのなら、それはお引き受けできません」と、とても畏れ多くてご遠慮させて頂きました。
「それなら、レプリカを作りましょう」ということになり、神面を復元された仏像彫刻家の仲宗根正廣先生に複製をお願いしてくださったんです。

琉球開闢神の神面でも、レプリカとはいっても本物とほとんど同じだと思っているんです。同じ仏師が作りますしね。奉納舞い用の面は檜で作り、本物のほうは資料に基づいてデイゴで作り、また何百年も持つように、柿渋も塗ってあるんですよね。
レプリカのほうは白木の檜で作っていますが、不思議とお面の綾がきちんと出てきましたね。仏師もまた、ミントングスクにお参りして通って、それが表れてくるのを待ってから彫り始めています。

——きちんと気持ちをこめて。そして魂込めも。

高嶺久枝:はい。面に魂が宿っていることを発見できたのは、孫がまた教えてくれたからです。
というのは普段から道場に飾って祀っているのですが、本番前日に、頭に草冠のサイズを合わせようとしてお面を着けたら、孫が大泣きしたんですね。もうこれ以上にないほどの大きな声で泣いていたのに、お面を外すとすぐに泣きやむんですね。
お面を着けるとまた泣き出して、「神様、こわいこわい」と。
角度によっては表情が笑っているようにも見えるお面なのですが、魂を宿したお面の持つ力ですね。

——まだ2歳の小さな子が、気配を感知しているのですね。

琉球舞踊家・高嶺久枝物語『琉球芸能の源流を探る』【第2話】高嶺久枝:はい、そうでしたね。前回【第1話】でお話した『受水拝水』の時もそうでしたが、2歳の孫が純粋な心でそこに見えたものが有ると。私は孫の反応からそれを判断するひとつだと思いました。

ところで、本番のパンフレット第一部には、その神様のお面を着けて舞う『琉球開闢神(アマミク)』に“高嶺久枝”とクレジットが入ってしまっていたのですが、お面を着けた時点で“私個人ではない”というつもりでしたので、初校の段階では個人名は入れていなかったんですよ。印刷直前の文字校正でどなたかが気を利かせて付け加えてくださったんだと思いますが、本当は面を着けたらもう“個人ではない”ので個人名は入れたくなかったくらいですね。

——神面を装着した時点で、高嶺久枝の身体ではあるけれど、そこに乗っかっている(宿る)ものはアマミクだという気持ちで取り組まれたと。

高嶺久枝:そういう気持ちが入る(精神が宿る)ということについては、すでに以前から「琉球舞踊を舞うということは“化身である”」という想いがあったんですね。舞っている時というのは、例えばその中に登場する人物になりきり、化身していると。その場で個人ではなくなることができるからこそ、何十年も続けてくることができたのではないかなとも思うんですね。

例えば、『花風』という演目に出てくる女性は遊女ですが、遊女をやったことなどはありませんが、“別れ”ということについての体験については私にもあるわけです。
“別れ”というテーマについてであれば、遊女であろうが貴族であろうが同じ“想い”であろうし、また“その想い”を表すのが芸能であろうと思うのです。その舞いを通してそれが重なるように“見えた”時に、感動が生まれてくるんだろうと思うんですよね。

だから深いところにあるわけです。舞台に向けてその準備をするというのは“源流”を探ろうとしていくことでもあるんですね。

源流を探るだなんて、大きなテーマで生意気な言葉にも聞こえるかもしれませんが、その言葉は目標です。自分が舞台に立つためにその目標を持つことで、言葉は“言霊”となりますから。発する言葉そのものもまた大事ですね。(つづく)

→【第1話】「技術(型)だけでなく“ウムイ(想い)=精神”も大切なのです」
→【第2話】「感動が生まれる瞬間とは、深いところで重なるものがあった時」
→【第3話】「知恵と心で発展していく人間の可能性とは凄いもの」
→【最終話】「アマミキヨはみんなの心の共有財産だと思うんです」


※プロフィールは高嶺久枝公式ブログにて:
→ http://takaminehisae.ti-da.net/


(取材: 桑村ヒロシ)


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Posted by ryuQ編集室 at 2010年01月28日   09:00
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