2008年01月29日
沖縄の匠シリーズ4「(株)グレイスラム」玉那覇力[後編]

南大東島で島のさとうきびを100%使用してラム酒づくりに情熱を注ぐ株式会社グレイスラムの工場長・玉那覇力さん。
彼ほど酒づくり畑をさまざまに歩んできた人はいないだろう。
そのどれもが沖縄ならではの特産品で人気のある泡盛やワインであり、今は、県産100%ラム酒を作っいている。
プロの酒づくり師玉那覇氏の目指すラム酒づくりとは。
——かつては「酒づくりはもういい」とまで思っていた玉那覇さんの心を動かしたラム酒づくりへの決め手は何だったのですか?
玉那覇:金城社長の熱意が1番、そして何もない白紙状態だということが魅力でした。泡盛などはそれまでの歴史もあり貯蔵もやり方もだいたいベースがある。新しい試みなら好きなようにやれるかなと挑戦したいやりがいをかんじたのです。しかし、よくよく聞くと、用地もタンクもどのような工場を作るかも決まっていない状況でしたから、本当にゼロから白紙からスタートでした。——思っていた以上に大変だったのでは?
玉那覇:島でいよいよ工場が稼働し始めた最初のころは数時間おきにタンクの中の様子をチェックしに夜中も見にいく必要があったのですがーー不審者のように思われたのかーー警察にあるとき、こんな夜中に何を出歩いているのか?と呼びとめられたりしたりもしましたし、島には台風も来るので天気予報にも強くなり自分で天候の予想できるぐらいになりましたよ。
——現在は工場の中に住まいもあるようですが、仕事場と直結して困りませんか?
玉那覇:かえって仕事がはかどりやりやすいです。毎朝、目視で香や色など発酵に変化がないか様子をチェックしたり、機械の管理や設定などすぐ確かめられますし、作業効率はいいですよ。細かい時間ごとに必要な作業も多いですから。
——観光客の工場見学案内もされていますよね?
玉那覇:島まできていただいて、工場見学とラム酒の試飲をされて味を気に入って買い求めていただけることは嬉しいですから案内も楽しい仕事です。
——南大東島のさとうきびは県内でも高品質のキビで有名ですが、そのキビから2種類のラム酒(赤いラベルのアンデュストリエルと緑色ラベルのアグリコール)を作っていますね。それぞれに味に特徴がありますが、特に緑色のラベルのアグリコールは世界でも希少な製法でつくられているそうですね?
玉那覇:サトウキビの生の搾り汁を発酵させて作る方法です。その年のキビの育ち具合、でき具合で味わいが変わるので毎年の年度ごとに違いがあります。世界でも数か所でしかこのアグリコールはつくっていません。日本では唯一南大東で作っています。
南大東で出来るアグリコールは女性ぽい、ふんわり優しい香りと味わいが特徴です。また赤のラベルはは糖蜜を発酵させています。個性的で今までにないクセのある味わいが特徴のラム酒です。
——ラム酒作りのこだわっているところは?
玉那覇:その年の天候によって原料のキビの良しあしが決まるのですが、今年は南大東島は豊作でかなりいいようです。3月まではキビ刈りのシーズンで、これを新年度のラム酒として仕込んでいきますので楽しみです。またこれから先々、たとえばもし天候がよくない年であっても、そうしたことに左右されることなく収穫したサトウキビを生かして、どの年でもいつでもおいしいラム酒を作ることを目指していきたいです。本当の意味で沖縄の地酒ラム酒として喜ばれるように。

——ラム酒はまだまだ沖縄でつくっていることはもちろん、南大東島に工場があり、南大東島のさとうきび100%にこだわって作られていることなどPRしたいところですね。
玉那覇:これまでのラム酒とは異なり、無添加、無着色、沖縄県の特産品さとうきびの中でも良質な南大東島産100%使用でラム酒をつくっています。赤ちゃんでいえばまだまだ生まれてハイハイもしていません。やっと寝返りができるぐらいになってきたかなーというところです。10人飲んで10人においしい、うまいといわれるようになるのがまずは目標です。作り手としても日々おいしいラム酒ができるよう蒸留、熟成を微調整しながら味わいを育てています。
——それにしても一人で工場でつきっきりでラム酒を育てているという感じで大変ですね。
玉那覇:やりがいがありますし、他にもスタッフはいますよ。それに、かつて泡盛をつくっていた時は一人で250本余りのタンクを管理するブレンダーという番人もしていましたから、それを思えばラム酒はまだわずか数本のタンクですので大変ではありませんよ。
と、素敵な笑顔でこたえてくれた工場長は、ラム酒づくりに専任するため、現在、家族(妻、子供たち)を那覇に置いて、単身赴任で島暮らし中。
沖縄の酒として「ラム酒・COR COR(コルコル)」が全国で、世界で親しまる日を目指して、今日も酒づくりのプロの匠の目を光らしています。
(株)グレイスラム
本社・工場:
沖縄県島尻郡南大東村旧東39-1
電話:09802-2-4112
那覇・事業所:
那覇市西1-7-9(#102)
電話:098-941-3610
http://www.rum.co.jp/
(文: 吉澤直美、写真+編集: KUWA、取材協力: (株)グレイスラム)
2008年01月29日
沖縄の匠シリーズ4「(株)グレイスラム」玉那覇力[前編]

今回の『沖縄の匠シリーズ』第4弾では、沖縄県南大東島で島のさとうきび100%ラム酒『COR COR(コルコル)』をつくる株式会社グレイスラムの工場長を務めている玉那覇力氏をご紹介します。
実は、彼は知る人ぞ知る県内では2人といないだろう貴重な経歴を持つプロの酒づくり師なのである。約20年余りの泡盛づくり師としてのキャリアを持ち、この数年で注目の新商品である糸満ワインの開発も手掛け、そして今は1番新しい沖縄の地酒:ラム酒づくりに情熱を注いでいる。
学生時代には東京の大学で醸造と発酵学も学んでいる知識と経験が豊かなプロの酒づくり師なのである。
今回の匠シリーズは「酒づくりのプロ・玉那覇力氏」に注目、彼が目指す沖縄の酒づくりをご紹介します。
玉那覇力氏は那覇市首里の生まれ育ち。
叔父が有名な老舗の泡盛酒造所をやっていることから、大人になる将来には、泡盛づくりを仕事にするという道筋が決まっていたのだそうだ。
そして本格的な泡盛づくりの勉強のため、東京農大に進学、醸造学を専攻した。
しかし、玉那覇氏は今だから笑えますが、と思い出話しを教えてくれた。
「東京の大学に進学したにもかかわらず、専門である醸造の教科書をみてびっくり。
泡盛についてはわずか1ページしか載っていなかった。これはショックでした。なぜなら沖縄ではあたりまえに知られている泡盛が、たった1ページ。これだけしか載っていないのか、と衝撃でした。今から約30年前の話ですがね。」
と苦笑いするのでした。
当時、泡盛が東京でどのような捉え方をされていたのかがわかるエピソード話が飛び出た。
玉那覇氏は、大学で様々な発酵や醸造について学び卒業。
沖縄に戻り、叔父の泡盛酒造所に入社、はじめ2年ほどは営業職を担当、その後、泡盛づくりの現場へ進み、約20年ずっと泡盛りづくりを担当した。
——泡盛づくりの杜氏からワイン作りへはどのようなきっかけがあったのですか?
玉那覇:みなさんがよく使う杜氏という名称は泡盛づくりには実は無いのですが、役割は同じで、20年といってもあっという間だったように思います。体調を壊したので少し休もうと会社を辞めました。健康回復してきた頃、知り合いからインターネットで糸満でワインをつくる人を探していると聞いて応募したんですよ。
——お酒とはいえ長年経験を積まれた泡盛ではなく、ワインづくりへというのは不安はありませんでしたか?
玉那覇:不安な無かったです。大学でワインも勉強していました。実際に学生時代ですが梨のワインも作った経験がありました。
——糸満ワインは今とても人気が出ていますが、商品開発の担当はどのくらいされたのですか?
玉那覇:ほぼ完成品の商品になるところまで担当しました。
——そして現在はラム酒づくりを南大東島で担当されているのですが、ラム酒に関わるようになってどれぐらいになりましたか?
玉那覇:もう5年ですかね。平成14年にグレイスラム(ラム酒COR COR製造販売会社)の金城裕子社長さんから連絡をもらいました。ラム酒を作る人がいない。助けてくださいという単刀直入で熱意ある話を受けまして決意しました。

——糸満のワインづくりをしていた時ですか?
玉那覇:いいえ、実は糸満ワインづくりも目処がついたところでやめておりました。正直、もう酒づくりはしない、酒はもういい。という時に以前に少し面識のあった金城さんから連絡がきたんです。
ということは、もう酒をつくらないという気持ちでいた時に、金城社長さんから連絡があり、ラム酒を作ってもらえないかーという話にはどんな風に心が動いて引き受けることになったでのでしょうか?
(ラム酒づくりへの話は後編に)
(文: 吉澤直美、写真+編集: KUWA、取材協力: (株)グレイスラム)
2007年12月27日
沖縄の匠シリーズ3「(株)佐喜眞義肢」(佐喜眞 保)

沖縄の匠シリーズ第3弾。今回は、“ひざの悩みのある多くの人に歩く喜びを取り戻してほしい”と、特許を取得し『CBブレース(変形性膝関節症用装具)』を開発した(株)佐喜眞義肢(宜野湾市)の代表・佐喜眞 保さんに注目しました。

発明協会「発明奨励賞」、沖縄の産業まつり「特許新案部 沖縄県知事最優秀賞」、文部科学大臣賞、第一回ものづくり大賞「経済産業大臣賞」、経済産業省「元気なものつくり中小企業300社」選定など数々の賞を受賞。
海外や全国からも飛行機に乗って佐喜眞さんを頼り多くの方々がやってくるそうです。
中には現役のスポーツ選手(野球、サッカー、プロレス、バレー、バスケットなど)も。
佐喜眞さんは、それぞれの状態に合わせてすべてオーダーでベストな装具『CBブレース』を製造。個人にあった調整で歩く楽しみや喜び、また現役選手としての活躍を取り戻すことに、大きな力になっているのです。
取材に伺うとすぐに、
「まずこれを着けてみて。そしたら、てっとり早くわかるから」と、私にイスに座るように促し、足に装具をとりつけた佐喜眞さん。

数秒で右足のひざ下に装着完了、手際よく簡単に装着する。
「さ、歩いてみて。わかるはずよ」と佐喜眞さんから声がかかり、さっそく装着して歩く私。
「そういえば、なんだか膝のあたりが軽くなるような、自然に前に足が進むような感じになりますね〜」と、いつもより足取りが軽やかな感じがするのでした。
さらに佐喜眞さんはにこやかな表情で「カメラマンの方も装着してみて」と素早くKUWA氏にも取り付けた。
「お〜。これは軽くなりますね。歩きやすい、わかりますよー!」と編集兼カメラマンのKUWA氏。
あきらかに明確な反応となった。日頃から重たい機材をかかえ動きまわるKUWA氏のほうが私よりも実感がある様子であった。
佐喜眞さんはすかさず、
「わかりましたよね?だから、いつも取材に来られたかたにはまず体験してもらってからお話するんですよ」と笑顔をみせてくれた。
佐喜眞 保さんはとにかく笑顔と機敏な対応が印象的な方だ。

——CBブレースが誕生してちょうど10年だそうですね。
佐喜眞:全国海外からも問い合わせがくるようにまでなりました。実際に沖縄まできてこのCBブレースの装着で歩けるようになった方々に喜ばれ嬉しく思っています。
まだまだこの業界では知られていません。必要な方は全国に多いと思います。多くの方のお役に立ちたいといつも願っています。
——そもそも佐喜眞さんがこうしたお仕事をされるようになったのは?
佐喜眞:子供のころ脊椎カリエスを患い、その影響の障害のためにいろいろ悩みや苦しみも経験しました。鉄工の仕事に就き、沖縄の海洋博建設ラッシュのころは関連工事で鉄工の仕事をしていましたが、やが仕事を求めて北海道へ渡りました。そこで、作業現場で転落し大手術を受けたんですが、それが転機になりました。
退院後養生に沖縄に戻り、沖縄で福祉事務所の紹介で福岡にある身体障害者職業訓練校で義肢装具を学ぶことになったんです。鉄工の仕事をしていた経験やもともと手先を使う仕事が向いていたようです。技術習得し卒業後わずか1年で開業しました。でも最初はぜんぜん注文もこないし苦労はたくさんありました。もう苦労は忘れた! 今はCBブレースのことを多くの人に知ってもらいたいが、何より困っているかたのお役に立ちたいのです。

と目を輝かしながら「これもってみて」「どうですかこちらも持ってみて比べてみてください」と目の前に装具を差し出す佐喜眞さん。
「あ、軽いですねー」「こちらはややどっしりした感じで重みがありますねー」と見た目には大きさも似た感じにみえる装具類の違いを体験。重量だけでもかなりの違いがあるのが持つことでもよくわかった。
佐喜眞:そうです、CBブレースのほうが従来のものよりかなり軽いのです。扱い方も付け心地も全然違いますよ。よくみてくださいここ曲げるでしょう。
と、いろいろな角度からCBブレースの持つ特徴をわかりやすく説明してくれた。
つまり、CBブレースは今までの従来品より四分の一も超軽量になり、また3点でひざを支持矯正する独自構造が大きな特徴で、フレームはシンプル。装着も素早くできてしっかりサポートするというものである。歩けないと思っていた方もCBブレースを装着すると歩けるようになるケースが多くなり、喜ばれているのだ。
——CBブレースが出来たのは何かキッカケがありましたか?
佐喜眞:半身マヒの女性からの装具の相談からでした。
何度も何度も工夫しながら足首の装具製作を試みましたがうまくいかず、諦めざるを得ないなとなった時、その落胆された表情に「とても申し訳ない」と思ったんです。そしてダメだ、出来ないとおもいながらも、あまりの落胆ぶりに私は「もう一度チャンスをください、やってみます」と再度装具作りに挑戦しました。
もうそれは必死でした。そして試行錯誤してできたのがCBブレースです。
歩けないと思われた方がこの装着で歩けるようになり奇跡のように大変喜ばれ、それはとても嬉しかったです。

——その後、多くの方がCBブレースで歩けるようになりたくさんの方に喜ばれていますね。
また事故で両足ひざ下を切断された島袋勉さんの義足も佐喜眞さんが作られ、島袋さんは佐喜眞さんの義足でホノルル・マラソンを完走されるなど「奇跡のランナー」「諦めない人生」など本も出され、日々歩くこと走る喜びを各地で公演され生きる喜びを伝えられています。
佐喜眞:全国にはリュウマチやポリオなどにより悩みを抱えているかたはたくさんいるのです。また年だからと年齢で諦めている方もいます。ひざが曲がって歩きづらい、ひざ痛くて正坐が出来ないなど症状は個人差がありますが私どもでは必ず病院で検査を受けてもらい、その後に測定して装具をひとりひとりに合わせて作っており、喜ばれる装具をつくりアフターサポートもしていますので、まずは遠慮なくお電話でお問い合わせください。
また、全国に技術者の育成養成も推進しようと沖縄まで来なくてもサポートできる体制作りも進めています。
スポーツをされるかたには、じん帯を守るためにギアも付けてもいいのではなど、いろいろ考えて工夫したスポーツ障害用などもあります。
待っている方々にできるだけ早くお役に立ちたいからと測定から約1週間程度で製品を仕上げているという。

——今後の希望は?
佐喜眞:沖縄でも全国や海外からも必要とされる「沖縄のものづくり産業」として確立し、役に立ちたいと考えています。地元でまず役に立つことを重視しています。
また福祉のためにもできることやお役にたちと思っていますので、現在も当社の仕事の一部を障害のある方々でも出来ることがありますから、仕事として依頼してやっていただいています。少しでも福祉にも貢献したいと思っております。
「諦めていたひざの痛みも苦しみも、とにかく相談してください。決して諦めないで」
という佐喜眞さんの笑顔はみんなの笑顔につながっていく。
お問合せ:
株式会社 佐喜眞義肢
沖縄県宜野湾市愛知462-1
TEL: 098-892-1701、FAX: 098-893-1006
公式HP: http://www.cosmos.ne.jp/~sakimat/index.html
公式ブログ: http://sakimagishi.ti-da.net/
メール: sakimat@m1.cosmos.ne.jp
(文: 吉澤直美、編集+写真: KUWA)
→そして、沖縄の人気blogランキングはこちら
ryuQ特集記事>検索
バックナンバー
沖縄初!チベット人が日本語で語るチベットの真実 (9/5)
エイサーの未来 〜これからの継承について〜 (9/4)
芝居茶屋にらい+かない劇場 (9/2)
沖縄県産本フェアの密やかな楽しみ(新城和博) (9/1)
エイサーの始祖・袋中上人とその時代の琉球 (8/29)
琉球の壁紙シリーズ8月号 (8/28)
南島詩人・平田大一:シマとの対話・第43話『遠雷』 (8/27)
沖縄映画『ハブと拳骨』(尚玄インタビュー) (8/26)
「米寿」と「お米のチカラ」(比嘉淳子) (8/25)
現代版組踊「肝高の阿麻和利」with東儀秀樹インタビュー (8/22)
海人カメラマン・古谷千佳子物語【第3話】 (8/21)
南島詩人・平田大一:シマとの対話・第42話『蝶のはなし』 (8/20)
芸能豊かな南城市・津波古村遊び〜祈りと感謝〜公演迫る (8/19)
ryuQキーワード
ryuQプロフィール

ryuQ編集室
カテゴリー
過去記事・月別に表示
皆さんのコメント感謝
ryuQ吉澤 / エイサーの未来 〜これからの・・・
pyo / エイサーの未来 〜これからの・・・
営業MEN / エイサーの未来 〜これからの・・・
トラバありがとう
アクセスカウンタ
お気に入り
QRコード

読者登録(更新のお知らせ通知)
お勧め商品




日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!