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2008年06月19日

コザの夏、エイサーシーズン2008開幕!


沖縄市はエイサーのメッカとして、伝統ある『沖縄全島エイサーまつり』が県内外より多くの人たちに親しまれ、地域に根付く各青年会活動としてのエイサーも沖縄市の大事な文化財産となっています。
地域活性化、文化の発展、交流するまちづくり、特色あるまちづくりへの取り組みとして、昨年('07年)6月13日に「エイサーのまち宣言」を行いました。

そして、ちょうどその宣言から1年となる今年同日('08年6月13日)、沖縄市の最も新しいスポット『コザ・ミュージックタウン』の音楽広場で「エイサーのまち宣言1周年」を記念する式典が行われ、1周年に創られたオリジナルの“全島エイサーまつりかりゆしウエア”の発表や販売、エイサーのまちをPRするオリジナル曲の発表、市内こどもエイサーの披露などが行われ、“エイサーのまち沖縄市”をPRしました。

さらに式典に続き、昨年大好評となった同場所(コザ・ミュージックタウン音楽広場)でのエイサーナイト2008もスタート!

太鼓の音、威勢のいい掛け声や活力ある演舞の魅力あふれるエイサーで、多くの人で賑わいました。
いよいよコザ(沖縄市)の夏の風物詩・エイサーのシーズンインです!

まずは、昨年発表された沖縄市の「エイサーのまち宣言」文をご紹介しましょう!

1周年記念式典の冒頭でもまず紹介されたのがこの「宣言文」。
メッセージに込められた熱い想いを受けて、列席した関係者をはじめ、一般市民参加者からも大きな拍手がおくられました。

開会のあいさつに立った社団法人沖縄市観光協会 仲村寅吉会長からも、「エイサーを通して住みよい活力ある元気なまちをつくりましょう」と挨拶がありました。

東門美津子沖縄市長は笑顔で登壇し、沖縄市をPRする“オリジナルエイサーかりゆしウエア”が誕生した喜びや、着用してきた嬉しさ、また列席者の多くも早速エイサ−かりゆしウエアを着ている姿が多くみられることにもにこやかな表情をみせ、
「今年はこの『エイサーかりゆしウエア』が多くの方々に愛され活用され、エイサーのまち沖縄市の発展飛躍を希望する」と挨拶されました。

ちなみに『オリジナルかりゆしウエア・沖縄全島エイサーまつり』は限定300着発売で、すでに200着が予約などで販売済、色は4種類、各デザイン・各サイズ 男女各7000円(税込)です。

販売は沖縄全島エイサーまつり実行委員会事務局で直接販売のほか、コザミュージックタウンの音楽広場で週末行われるエイサーナイトでの販売、また通販もあります。
※詳細・問い合わせは、電話098-937-3986へ(沖縄全島エイサーまつり実行委員会)。

式典では1周年を機に、照屋林賢さん(りんけんバンド)が作詞作曲を担当し、出来たばかりの「エイサーのまち」をPRする歌『エイサー』が発表されました。

林賢さん自身からも「エイサーは自然にうちなーの生活にある。リズムも体に馴染んでいるものだから、誰にでも覚えやすく、また替え歌などにもできるように、親しまれる歌を作りました。地元の学校でこどもたちや全島エイサーでもどんどん活用してほしい」と思いも伝えられました。

この夏エイサーのPRソング「♪エイサー」でエイサーを振りつけるチームがたくさん誕生してほしいですね!

沖縄市園田こども会エイサーも元気いっぱいに会場内をはなやかし、コザの夏を告げるエイサーナイトでは、琉球国祭り太鼓、室川青年会、安慶田青年会の出演によるエイサーナイトも繰り広げられ、エイサー太鼓の音、演舞にたくさんの人が足を止めて楽しんでいました。   
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2008年06月12日

絶滅危惧種「琉球メダカ」は自然の象徴

琉球メダカ
沖縄市はコザ高校から高原十字路に向かい坂道を下りた辺りに「琉球メダカ」と書かれた看板がある。お邪魔したのはNPOブナガヤ・ヘリテージ・クラブ。こちらは沖縄で絶滅種と言われている琉球メダカの保存や養殖、そして琉球テーブル ビオトープとして琉球メダカのインターネット販売を行っているNPO団体だ。なぜ琉球メダカに関わるようになったのか…、代表理事の玉城錦栄さんにお話を伺いました。

琉球メダカが住む沖縄は今

「僕は潜りもするしサーフィンもする海人(うみんちゅ)で海も好きなんだけど、子供の頃から小さな泉とか水の流れ、湧き水のような場所がなんだか好きだったんですよ。当時はメダカもいたけど子供らの間では、あまりいないという理由でグッピーの方が価値は高かったかもしれない。

本土復帰が5歳の時だったんだけど、子供の頃にこの沖縄市もそういう生き物たちが住む場所がたくさんあって、例えば子供の国付近のサンエー含む島袋(現在の美島通り)周辺は、昔は一面湿地帯で、道だと思って歩いているとズボっと池に落ちたり(笑)。


子供の国の前の反対側(現在のファミリーマート裏)は、今もその名残がわずかだけ残っているけど“園田のたーぶっくゎー”と言って“園田の田んぼ”があった。そういうところを見て育ったんですよね。そして高校を卒業する頃には沖縄をバイクで走って、湿地帯や河川を周ってメモを取って調査を始めたんですよ。

例えば今のうるま市のサンエーのメインシティ辺り、あの辺はメダカが非常に多かったんですよ。」

その後も仕事をしながら各地域の自然について触れたり調べていくうちに、例えばヤンバルの小川に生息する生き物たちを調査したり、河川工事現場の在来魚類の救出をしたり、水質調査に関わるなどして県外のコミュニティーも広がっていった。

しかし年々 水辺に棲む生き物たちの環境が悪くなっていることはここ沖縄でも否定できないのが事実のようだ。それは河川に限らない事ではあるけれども。例えば外来種のグッピーは、その旺盛な繁殖率からメダカなどを駆逐し問題となっている。

メダカは“自然”の象徴

現在は地道に賛同者を募り、生き物たちが住む地域に目を向けながら、残された自然を維持するための活動を行っている。そのためにNPOブナガヤ・ヘリテージ・クラブでは別に会社を作り、県産の優良商品を開発したり販売することで、売り上げの一部を、年に数回行う子供たちを交えてのフィールドワークでかかる経費(子供たちへのオヤツとか交通費とか)や、生き物や事務所の維持のための資金作りに当てている。


NPOと言うと様々な考え方で設立されているが、こういった資金面で確立して活動する会社設立までの準備をし(ここでは会社設立については内容を割愛するが、個人でここまで行うというのはとても大変なことだ)、今のスタイルになるまで、かなりの年月を要していると感じつつ、またこのようなやり方で運営していく事は県内では珍しい試みではないだろうか、と感じた。

「昨年、本当は野性のメダカは絶滅すると思っていたんです。ところがわずかだけ残っていて、冬を越えたらそのメダカが育っているんです。でもこのままでは、今年で完全に野性のメダカは絶滅してしまう事になるはずです。」

確かに“琉球メダカ”は確かに珍しい生き物かもしれない。しかし玉城さんや会に賛同する方々が言いたいのはそういう事ではない。
「“おたまじゃくし”でも“てんとう虫”でも“グッピー”でもそれらは自然があることの象徴だと思うんです。」と言う。   
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2008年05月27日

『共同売店』が那覇の老舗市場・栄町にやってきた![後編]

『共同売店』が那覇の老舗市場・栄町にやってきた![後編]
ゆいレール「安里駅」下車。目の前の筋道アーケードの中には、
肉屋、八百屋、豆腐屋、花屋、天ぷら屋など、
いろんなお店が迷路のように入り組んでいる栄町市場があります。

ここには、たとえば93歳のおばーちゃんが現役で店を切り盛りする店舗や、
沖縄へ移住してきた方々による個性的なコーヒー店やCDショップ、
バーなどもあったりと、新旧のお店が所せましと肩を並べて営業しています。

その中の一角、前島アートセンター「おきなわ時間美術館」を会場に
共同売店の写真店が5月10日から24日まで開催されました。

県内各地の「共同売店」の店舗を地域ごとにわかりやすく区分けして、
掲示写真で紹介するだけでなく、奄美地域の共同売店など
県外店舗もどのように地域に活用されているかの紹介もあり、
広範囲に存在する「共同売店」を実感できるものでした。

中にはじっくり椅子に座り見入る人や立ちどまる人も多く、
昔話や思い出話もでてくるなど、郷愁を感じる方も多い様子で、
「買い物によくいったー」「このお店がんばってるなー」など懐かしそうな声もありました。

今回、写真展企画に合わせて、その展示会場の入口前に、突如臨時登場し、
大人から子供まで、ついなんとなく寄ってしまう魅力を醸し出した「駄菓子屋」さん!!

これこそが、写真展に合わせて「共同売店」を体験してもらおうと
いう目的で開店した「共同売店」で、しっかりと共同売株主権を500円で
発行(22名の株主)し臨時開店運営で共同売店「駄菓子屋」がお目見えしたのでした!

細い筋道に面して低い平台におもちゃや駄菓子が20円、30円など、
なんとも素朴な値段の品々が並び、店番も栄町ラッパーズでCDデビュー
した市場の名物おばーちゃん“新城カメーさん”でしたから、
子供も大人も、ついつい寄ってきてゆんたくしに来ては、
1つ2つとクジを引いたりお菓子を買って楽しんでいました。

今回特別にやんばる「奥」の新茶の直送販売もあったりと、
共同店でしか手に入らない品の販売できる魅力も実体験してもろう
という工夫もいろいろあり、楽しいムードが周囲にも広がり
共同売店駄菓子屋は大成功していました。

そして、20日の夜には、『マチグワー座談会 in 栄町市場』と題して開催…   
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2008年05月27日

『共同売店』が那覇の老舗市場・栄町にやってきた![前編]

『共同売店』が那覇の老舗市場・栄町にやってきた![前編]
「共同売店」「共同店」をご存知ですか?

主に、沖縄県内北部『やんばる地域』や離島のあちらこちらで、
地元の暮らしに必要な品物なら大体何でも売ってる地域密着型の
コンビニ的な売店が「共同売店」です。

沖縄でドライブしている途中に何げなく利用したり、
看板や建物をドライブしながら、
「アレは何屋さんかな?」と見かけている人も多いのでは?

さて、この「共同売店」、実はただの売店(商店)ではありません!

今から100年以上前に沖縄県の一番北にある「奥」集落で生まれた
沖縄ならではの相互扶助精神を基にした商店で、
地域住民が株主(出資者)となって共同運営する売店です。
県内各地に、必然性から誕生した商店なのです。

発祥である「奥共同店」は2006年に100周年のお祝いも盛大に行われ、
今年2008年6月には、これまでの記録をまとめた100周年記念誌
も発売になる歴史ある売店なのです。

つまり、大手コンビニチェーン店が国内各地に登場するずっと以前から、
沖縄では沖縄生まれの一番身近なコンビニ的なお店として
各地域に今も欠かせない“まちの商店”なのです。

しかも、買い物するだけでなく、
かつては投資預金、貸付なども信用授受で行われ、
困ったときには助け合うシステムも大いに活用されてきました。
共同店から借りたお金で子供の学費を工面した話などもたくさんあり、
頼もしい地域住民の味方であるのです。

なにより地域コミュニティーステーションとしての役割が大きく、
共同店でのゆんたく(お話)やふれあい(対面買い物)は、
そこで暮らす人と人のつながりを育む大事な場所であり、
特に車を運転できない高齢者には歩いて買い物にいける身近なお店はとても大事。

それに離れて暮らす遠方の家族が売店に電話をして、
おばーちゃんやおじーちゃんが元気に買い物にきてるかどうかなど暮らしぶりを
それとなく尋ねたりすることもあるなど、
地域を結ぶコミュニティネットワーク店でもあるのです。

でも、どうしても過疎化や、コンビニ、大型店舗の登場、道路の発達などで、
今では運営が厳しくなり、こうした共同店も減りつつある(閉店せざるえない)
のもまた現実…。   
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2008年05月22日

『アセローラの日』沖縄県産アセロラといえば本部町!

『アセローラの日』沖縄県産アセロラといえば本部町!
アセローラはレモンの34倍のビタミンC
今が旬、実りの時期を迎えた“アセローラ”。
一粒一粒は、ほんの1cm大ほどの小粒な果実ながら、100グラムあたりのビタミンCはレモンに比べ34倍も含まれ、ビタミンEやベーターカロチンなどそのほかの栄養価も高く、疲労回復、美容健康効果に注目されています。

沖縄のアセローラといえば本部町。本部(もとぶ)では特産品として20年ほど前から本格的にアセローラの栽培、商品開発に取り組み、1999年には最盛期となる出荷シーズンに合わせて5月12日を『アセローラの日』と制定、毎年この日に本部町生まれの沖縄県産アセローラを大PRしています。

今年の『アセローラの日』の記念イベントでは、PR会場の『アジマーもとぶ広場』(愛称アセローラの駅)には、アセローラ関係者はじめ、県内各地、観光客など大勢の方々が参加。

アセロラで本部町民の肌年齢は6歳も若い
記念セレモニーでは、まず最初に本部町・高良文雄町長から「アセローラをたくさん食べる本部町民の肌年齢は全国の調査で東京より6歳も若い美人肌が証明されています。美容健康にとてもよいアセローラです。本部町には観光で人気の美ら海水族館はじめ、今の時期ならカツオ漁も盛んですし、また伊豆見地区のみかん、シークワサーなど、自慢のものがたくさんありますが、このアセローラは今年県で初めて拠点産地証にも認定され、沖縄を代表し国内でも屈指のアセローラ産地です。どうぞたくさん食べて楽しんでください」と活力あふれる挨拶でスタート。

さっそく、今年3月27日に沖縄県より認証されたその“アセローラ拠点産地認定証”のお披露目や、続いて地元本部中学の生徒たちによる合唱でアセローラをPRするオリジナルソング『アセローラの歌』が披露され、歌詞には“飲んでフレッシュアセローラ♪ 甘さ控えめひとめぼれ♪”などアセローラの魅力を元気いっぱいに表現し、覚えやすいメロディと親しみやすい歌詞で大きな拍手がわきアンコールの歌声も響きました。


そしてアセローラの新商品が発表になり、農業生産法人(有)アセローラフレッシュ代表取締・並里哲子さんから『アセローラ大麦黒酢』『ぴゅあなアセローラ』をはじめ、アセローラの粉末を使用したクッキーやちんすこう、アセローラ入りサーターアンダギーなどアセローラを工夫して使用した新商品を紹介。記念発売された新商品は、たくさんの方々が購入され人気を呼んでいました。


毎年参加者には、無料で『アセローラの苗木』やアセローラの生果実、ジュースなどが配布されるのも人気で、なかには毎年々々苗木をもらいにくる常連さんもいる程なのだとか。今年はイベント開始1時間も前から並んで待っていた方もいらっしゃいましたよ。

ミスさくら(本部町)から、苗木や試食用のジュースや生果実の配布も大人気で、大勢の参加者で大変賑わいました。
ジュースや果実を試食、試飲した皆さんはとにかく笑顔になるのが特徴! そして感想を伺うと、
「ジュースがおいしい。もっとスッパイかと思ったけど飲みやすいね」
「夏向けにとてもさっぱりしていて、生果実も食べやすくて美味しい」など好評。
無農薬栽培のアセローラの果実と聞いてそのままほおばり、その食感や味を楽しんでいました。

そして本部で美味しい体験を
ご来場のみなさんにどちらから来られたのか伺ってみると、南部からは那覇市をはじめ、浦添市、金武町、名護、地元の本部町からや、ちょうど観光で水族館に行く途中にアセローラの看板をみて寄ってみたという県外の方などもいらっしゃいました。とにかくおいしさを実感して、みなさん笑顔・笑顔・笑顔でした!

希望者には有料でアセローラ畑でのアセローラの実のもぎ取り体験も実施され、那覇市からこのアセローラ狩りを楽しみに来たという親子2人組さんに同行し、本部町のアセローラ畑へ…   
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2008年05月08日

久高島〜安座真港の手作り市場『むんじゅくい まちやぐわぁ』

むんじゅくい まちやぐわぁ(一緒にものづくりの輪)
みなさん、GWはいかがお過ごしでしたか?

沖縄では各地でたくさんのイベントが盛りだくさんあり、県内外からの行楽客でどこも大いに賑わい、
「神の島」といわれ、神秘的な「久高島」も、GWは県内外からたくさんの方が訪れました。

久高島への入口となる沖縄本島側の船乗り場・安座真港(南城市知念)は、朝から船の切符を買おうと長蛇の列ができ、臨時便が急きょ出るなど大混雑。

島ではレンタルサイクルも午前中のうちにすべてが貸し出し中になるほどの大にぎわいでした。

沖縄県民の中には、近くても神高く近寄りがたい島の雰囲気があるといわれる「久高島」ですが、GWはたくさんの家族連れやグループがサイクリングを楽しんでいました。

久高島への船乗り場・安座真(あざま)の船待合所ではGW後半の連休に合わせて、たくさんの観光客が「久高島」に訪れる機会だからこそ、島についてより理解してもらい親しんでもらう為にも、島の農産物や島の味などを身近に知ってもらおうと手作りの『むんじゅく い まちやぐわぁ(一緒にものづくりの輪)』を初めて開催。

船に乗り降りする人たちの関心を集め、いろいろとみながら買いものを楽しむ方たちで賑わいました。

今回の市場(むんじゅくい まちやぐわぁ)は、久高島のほうでも久高島宿泊交流館前にテントを出して販売会場を設置し同時開催。安座真の乗り場との両方で久高島のPRに取り組みました。

企画した久高島振興会の糸数なびぃさんにお話を伺うと、

「久高島でもたくさんの農作物栽培がおこなわれていること。今の時期なら芋、かぼちゃ、にんにく、ラッキョウなどが旬でたくさんとれます。そうした野菜販売だけでなく、その農産物を島のひとたちのアイデアで料理にアレンジしてお弁当やお菓子にして販売して、島を散策するときにも畑のそば通るときなどにふと、こうした実りの命が生まれ育っていることや、恵みを感じてもらうきっかけにつなげたいのです。自然や物を大事にする心、命の育みへ関心へつなげることを大事に思っています。

そうしたことから久高島での過ごし方、自然とのふれあい、優しい思いやりを育てようと願う気持ちを手づくりの市場のような形で表現して楽しくやろうとなりました。

島に渡る旅人のみなさんには、ゴミは出さない、作らない、持ち帰るのは島で過ごした喜びの体験をと願っています。このまちやぐわぁー(市場)や売店でエコバックもエコ弁当を販売することで自然にやさしい過ごし方をしてほしいと願っています。すべては地球にやさしく、地元の地域づくりにつながるんです。地元から地域づくりについて考えていく大事な気持ちが集まりまた次につなげていけるようになるのです。

久高島に渡るこの港は安座真(あざま)といいますが、この地名は「母」という名前のマザーにつながると思っています。母なる港から旅人を島へ渡し、海の道をつなぐ大事な乗り場。ここは出船入船の喜びを見守る母なる乗り場だと考えています。

地元の命果報(ぬちがふー)〜農産物〜出会い〜島人と旅人へ、暖かな母の心で送り出し迎えたいのです。よい旅になるようにという願いですから」
と島人の想いを伝えてくれました。

それにしてもアイデアいっぱいでその心豊かな表現には、観光客も喜びの笑顔が広がっていました。例えばエコ弁当は月桃の葉をお弁当箱代わりに利用しておにぎりやおかずを包みお箸もすすきの手作りハシ!環境にやさしいゴミをつくらないエコなお弁当は並ぶとすぐに完売。

見た目にも自然素材がうれしいエコ弁当は優しさが伝わり、味もとってもおいしく、見知らぬ方々同士でもすぐに「おいしいですね」と互いに自然と声を掛け合うような、エコ弁当で笑顔の輪が出来ていました。   
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2008年04月28日

『ゴエク城前公民館 文化祭』(平和の鐘を打ち鳴らせ):後編


ゴエク城前公民館の内間満自治会長
一個人として『公民館文化祭』を企画したのには、
誰でも一人からでも公民館が活用できること、
広く開かれた公民館活動を地域で活かしてほしい
という願いがありました。
(※参照:→『公民館文化祭』[前編]を読む)

さらにそこには、今回の文化祭を企画するにあたり、
地域住民と公民館の交流の促進による地域づくりはもちろん、
もっともっとこのゴエク(越来)の土地が、
沖縄の歴史で重要な場所であったことも知ってほしい
という願いもありました。

だからこそ文化を発信して交流し集うことから、
自分たちの足元の歴史を知るきっかけにもなってほしいと言います。

なぜなら戦争により地形も変わり、城があったことさえわからなくなって
いる現状の越来城跡ながら、琉球歴史の中でとても重要な場所であり、
城前公民館のすぐ隣に、『越来るグスク跡』の石碑も
今年2月11日に建立され、文化祭で公民館に集う事から、
地域の歴史に気づくきっかけになり、
地元を大事にしてもらいたい、という想いがあったのです。

自治会長の内間満さんはいつも語ります。

今からおよそ500年前に、『尚泰久王』を生んだのが越来城(ゴエクグスク)。
15世紀中頃の尚泰久王や尚宣威王の王子時代の居城といわれ、
「オモロサウシ」でもうたわれているグスク。
尚泰久の娘・百渡踏揚(ももと ふみあがり)は政略結婚で
阿麻和利の妻にになった有名な歴史上の人物。
『黎明告げる明けの鐘』『われら鳴らさん自主の鐘』として、
ゴエク城から国王になった『尚泰久』が作った「万国津粱の鐘」は、
今も世界平和への想いを伝えている。

城跡は戦後市街地開発でなくなってしまったとはいえ、
忘れることができない重要な沖縄の琉球の歴史の場所。
その跡地に城前公民館があるのだからこそ、
この歴史ある土地に、敬意をもって取り組んだ文化祭に、
“平和の鐘を打ち鳴らせ”としたのだと。   
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2008年04月28日

『ゴエク城前公民館 文化祭』(平和の鐘を打ち鳴らせ):前編


「自分の町の公民館で、住民はいろんなイベントができる。
住民同士のふれあいや交流の機会を通して、愛着あのある地元づくりや、
お年寄りから子供まで、自分の町で音楽や芝居等を楽しむことが出来る
ことを知ってほしい。“公民館はみんなもの”」と、
地域への想いが人一倍熱い沖縄市城前(しろまえ)公民館の内間満自治会長は、
地元の公民館を気軽に使う楽しみを実感してもらおうと
一個人として自ら立ちあがり、有志らと『公民館文化祭』を企画。

地域住民からの作品展示なども呼びかけ、地元住民らと手作りの
『公民館文化祭 〜平和の鐘を打ち鳴らせ』を4月5日(土曜日)に開催しました。
サンダル履き(島ぞうり)で気軽に参加でき、住民の笑顔が集る交流を楽しみました。

当日会場内の展示作品には地元城前から、

*城前婦人部会の手作りの島マース入り手芸品の展示即売や生け花展示。

*人形作家であり、ブラジルへ琉球人形を贈ろうと
活動している座間味末子さんによる、手作りの『琉球人形による花嫁行列風景』
と題した貴重な人形が多数飾られ、沖縄らしい情緒ある人形の表情や
衣装の素晴らしさに見学者の感心も高く集まりました。

*中石清重さんの『伊計島から宮城島に渡る橋の風景写真』展示や、

*今年で97歳、カジマヤーを迎える元気な宮里真勢さんの絵画の大作。
(闘鶏や昔なつかしい町並みの風景画ほか)の展示では、
その迫力や土地の力を表す作品に、
来場者の皆さんも魅了されて見入っていました。

*また名護市からは、内間自治会長とBLOGを通しての交流から
家族で文化祭に駆けつけ、友情参加として本業のエアーブラシを使用し、
イルカの絵を公開で制作したi-chi(本名: 我如古信一・がねこ しんいちさん)さん。

今回初めて人前で作品を描くことになり、
緊張しながらもとても楽しんだというi-chiさんは、
数年前に『突発性難聴』という病気を患って左耳の聴力を殆ど失いました。
失意の中、『自分に何ができるか?』と暗中模索し、
辿り着いたのが『エアーブラシで描く絵』だったのだそうです。


以降「シャボン玉」をモチーフに独自のシャボン玉の世界を創作し、
心の癒しを感じるなど、多くのファンを広げています。

今回のイルカの絵の仕上げにもいくつものシャボン玉を描き、
見学している子供や大人の誰をも釘付けにしました。

そして、イキイキとした輝く作品は、
短時間で仕上げられてゆき、大拍手が贈られました。

彼の手から生まれるシャボン玉1つ1つには、
「見てくださる人の願いが叶うように…」
との想いが込められているのだそうです。

完成したイルカの絵は、記念に城前公民館へと寄贈され展示されることになり、
地域の皆さんに愛され、ふれあい豊かな交流の場として、
公民館が親しまれますように、との願いが託されました。

舞台では、道をはさんで互いに近い地区の住民が交流をするきっかけ
づくりとなり、商店街の活性化にもつなげようと、
城前地区とは隣り合わせの向い側の地区『コザ十字路銀天街商店街』から、
有志による『銀天座』の芝居ミュージカル『GINTENGAI 44』
(城前ヴァージョン)が上演されました。

そのユニークな地域おこし劇に、
子供から大人まで、笑いが起きたり拍手が沸き起こるなど、
大いに楽しみました。

鑑賞した人たちからは、
「まるで昔のうちなー芝居を、
みんなで楽しんでいたあの頃のような雰囲気みたいだ」
 と、とても楽しんだ様子の感想が出るなど、
 手作りならではの親近感も大好評。   
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2008年03月11日

伊是名島のシマおこし劇『尚円王 〜松金がゆく』(後編)


伊是名島での初公演('07.3.24)から1年が経過する今年3月29日(土)に、史劇『尚円王 〜松金がゆく』が、新しいキャストを加えてパワーアップした公演が行われます。(参照:特集[前編])

昨年5月には浦添市の「てだこホール」のこけら落とし公演として1日3回公演も大成功させ、まさにカリーつけ(縁起良い)となった舞台は評判を呼び、今回は文化庁による「文化芸術による創造のまち」支援事業としてまた新たに公演が行われます。

さらなる期待のもと、まもなく伊是名島で公演にむけて稽古に熱が入っている伊是名島へと渡り、伊是名村が誇る尚円王の歴史舞台に挑む子どもたちをはじめ、出演者の島の皆さんにお話しを伺いました。

——潮平洋治くん(小4)は今回初めて舞台に挑戦ですね。芝居に参加しようと思ったキッカケは何かありましたか?

潮平洋治:去年の島の体育館での公演を見てこの舞台にとても興味を持ちました。
そして自分も舞台に出たいなぁと思っていて、ちょうど今年の元日に初日の出を庭からみながら今年の目標に決めたんです。
みんなを感動させたい。舞台に出てみたい。僕も、やってみようって。

——芝居はどんなところが好きですか?面白いですか?

潮平洋治:動作やセリフが面白いです。いろいろやりたくなります。

——尚円王のことは芝居の前から知っていましたか?

潮平洋治:僕の家のすぐそばに尚円王の公園があるので、なんとなくは知っていましたが、劇を観てから凄い人だと感動しました。だから、その尚円王の舞台に自分も立ってみたくなりました。

——名嘉真澄さん(小4)は前回に続き、今回も出演を希望したそうですね?

名嘉真澄:お芝居が面白いです。練習も楽しいのと、みんなに舞台を観てほしいなと思っています。

——尚円王の印象てどんな人かな?

名嘉真澄:優しくて頼りがいのある強い人です。

——舞台ではどんなところを観てほしいですか?

名嘉真澄:松金が、本当は優しくて立派な人だということを舞台で伝えたいです。(↓)   
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2008年03月11日

伊是名島のシマおこし劇「尚円王 〜松金がゆく」(前編)

伊是名島のシマおこし劇『尚円王 〜松金がゆく』(前編)
今帰仁村の運天港からフェリーで1時間。沖縄本島から北へ約27キロの東シナ海に浮かぶ伊是名島は、琉球王・尚円王(松金)のふるさと「生まれ島」。

悠久の歴史ロマンあふれる、海ギタラ、陸ギタラの大岩の景勝美。のどかで豊かな田園、海、山の自然の美しさ。

琉球王朝時代をしのぶ史跡の数々、神秘なる聖域の深き歴史など、伊是名島にはたくさんの魅力があります。

昨年、この島出身の英雄『尚円王』(しょうえんおう)にスポットをあて、島を追われたひとりの農民がのちに琉球国王となった数奇な運命を見つめ直し、島の誇りとして、島の発展振興につなげようと舞台劇に取り組み、大評判となりました。

出演者は村内の小中学生を中心にキャスティング、地謡もオール伊是名村民の約100人出演による伊是名島歴史ロマン舞台村民劇『史劇 尚円王 〜松金(まちがに)がゆく』は、原案・高良倉吉、シンボルキャラクター及び美術監修・名嘉睦稔、音楽監修及び主題歌製作・名嘉常安のすべてに伊是名島出身者が携わり、島ブランド創出作品として、まさに島の力が結集され村(島)と浦添市での公演の計4回の上演を行い、いずれも大入りの観客を集め大成功を収めました。

そして今年、2008年3月29日(土)伊是名島でこの舞台にまた会えることになりました!

只今、本番直前の猛練習の真っ最中で、史劇『尚円王 〜松金がゆく』の舞台に取り組む伊是名島へといち早く渡り、そのホットな様子を皆さんにレポートしたいと思います。
島おこし劇の本番に向けて練習に励む島人の熱い想いをお届けします!(↓)   
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2007年12月07日

伊是名島「しまあかり」Jimamaライブ

伊是名島「しまあかり」Jimamaライブ
沖縄県北部本部半島の運天港からフェリーで約1時間、島尻郡伊是名村。伊是名島は沖縄本島の最北端辺戸岬と殆ど同緯度にありながらなぜか沖縄最南端の島尻郡に属している。明治12年の薩摩置県により琉球藩が廃止になり、沖縄県となってから翌年に那覇役所に併合され、その後の明治29年に島尻郡に編入されたという。
戦前までは、隣の伊平屋島と合わせて「伊平屋」という行政区で括られていたが、昭和14年の分村許可指令により、伊是名村が誕生することになる。
その伊是名の名前が付いた伊是名集落は、島の南端の集落で碁盤の目のように街区が整理され、フクギや珊瑚の塀で守られた赤瓦の古民家が今でも数多く残っており、沖縄の原風景を体感できる県内でも貴重な集落となっている。

なかでも、伊是名集落の奥にある「銘苅家住宅」は、琉球王朝、第二尚氏の尚円王の叔父の子孫で、代々地頭職を続けた銘苅家の屋敷であり、当時の上級氏族の邸宅の造りがそのまま残されている。
尚円王は、伊是名の農家の生まれながら、1470年から400年以上に亘って19代も続く第二尚王統を開いた人物で、今でも伊是名の人々の大きな誇りになっている。
「銘苅家住宅」は、明治31年に一度補修工事が行われ、戦災を免れて保存状態も良く、1977年に国指定重要文化財に指定されたが、建築された年代は役所でも詳しい事は分からないという。門前から見上げる屋根や壁の線と面の美しさや、その重厚ながら質素な造り、首里城と同じ技法と言われる石垣など、他の古民家群と一線を画している。

その「銘苅家住宅」で、伊是名島を本拠地とするNPO法人「島の風」(代表:納戸義彦氏)によって「しまあかり」というイベントが催された。島の宝である「銘苅家住宅」をローソク行灯でライトアップし、その仄かな灯りの中で静かな優しいコンサートを開催するという。出演アーティストは、ji ma ma.。
ローソク行灯は「島の風」の呼びかけで島の小中学生や住民の方々、ボランティアスタッフで650基の行灯が2ヶ月前から準備され、試験点灯を繰り返して改良し今の形になった。
そしてその行灯で照らされるのは、「銘苅家住宅」と伊是名集落の赤瓦住宅群を縦横に走る道路で、延べ733mに及ぶ光の道が作られた。

フェリーが着く仲田港の南西に位置する伊是名集落へは専用のシャトルバスで向かう。着いたころには陽が落ちた直後のアコークローな時間帯だ。すでに行灯は灯され、暮れ行く空との対比が美しく、一気にしまあかりの世界へ放り込まれた。
道の両側に置かれた行灯でぼんやりと光る道を、顔の見えない黒いシルエットとなった人々が歩いて行く。
行灯に照らされたフクギ並木が妖しく美しく、やがて陽はとっぷりと暮れ、集落を散歩するうちに、そろそろ十四夜の月が昇ってきた。
「銘苅家住宅」のお庭に入り、行灯が灯された部屋を見学すると畳や掛け軸や柱がろうそくの灯りでゆらめいている。
この家が建てられた頃の夜はこんな風にひっそりとそこかしこに闇があったのだろう。
暗い縁側に紋付を着て座っているのは、銘苅家の子孫の方々だという。

曇がちな空に月はいよいよと冴え、大きな冠をまとって昇っていく。
舞台袖には今夜ji ma maさんと共演する伊是名小学校の少女たちが待機している。そこへji ma maさんが木戸をくぐって現れた。
広い銘苅家の庭を埋め尽くした300人程の観客に「緊張するぅ」と子供達が言うと、彼女は「お姉ちゃんもいつも凄く緊張するんだよぉ」と少しおどけて子供達の緊張をほぐす。
そんなほほえましいやり取りを交わすうちに開演の時間。
1曲目はji ma maさんと子供達で「想い文」。“ほろり ほろり”と繰り返される子供達の歌声とji ma maさんの少しハスキーな声が古い家に染み込んでいく。
曲は進み、父親との幼い頃の想い出を唄った「でいご」。

客席は暗く、唄われるやさしい声を聴くうちに彼女が独り深い軒先から月に向かって唄っているかの様な錯覚に陥りそうだ。
ときおり道路の行灯を吹き消すほどの風が吹くが、会場は石垣と人垣でそれも遮られ、ろうそくの灯を揺らす程度で、そのゆらゆらと揺れる灯が古い民家に様々な表情を与えている。
やがて最後の曲は、今度は小学生たちが一人ひとり行灯を手に現れて「でいご」のロングバージョン。最初は子供達だけで唄われ、ji ma maさんはステージ横にしゃがんで聴いていた。
舞台袖では、先生達がリズムを取るようにゆっくりと手を振る。

ローソク行灯と銘苅家住宅、そして伊是名の自然や人々、集落の佇まいが相まって、図らずもこれ以上無い様な演出効果をもたらして1時間余りのコンサートは終わった。
そして「島の風」代表の納戸氏の満面の笑顔が今夜の大成功を物語っていた。

NPO法人「島の風」は、「島のこしが島おこし」のスローガンの下に、伊是名島の身の丈に合った島興しの活動を進め、近年では住む人の居なくなった古民家の再生事業に取り組んでいる。
内地企業の大きな資金に頼らず、島の自然環境や伝統、文化を守り伝える事で伊是名の良さを後世に残していく、ボクはこれがひとつの正しい島興しの姿だと思った。そして来年もまた来ようと考えていた。

(レポート: てんもり、編集: KUWA、取材協力: NPO法人 島の風

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2007年12月04日

南城市佐敷津波古の『小さな文化祭』の大きな気持ち

南城市佐敷津波古の『小さな文化祭』の大きな気持ち
佐敷の津波古(つはこ)といえば、南城市で一番大きな字(区民約3000名)で「津波古(馬天)は佐敷の中でも一番ウーマクだよ〜」と、同じ佐敷出身でこの日ゲスト出演された“信ちゃん”こと津波信一さん(役者さん)がいうほど、昔から元気活発な地域。その元気の源はどこにあるのだろうと、津波古の『小さな文化祭』(今年は12/2に開催)からの招待状を持って元気な地域のお祭りへと出かけてみました。

その小さな文化祭が行われた場所は、津波古の通称“かやぶち家”。公民館ではなく、空手道場を営む嶺井時光さんの個人宅の“アシビナー(遊び庭)”です。津波古にはこのように、地域住民が自然と集い交流して遊ぶ場所が、数カ所もあるんです。

それぞれの場所で、年に一度は地域の人たちが一同に集い参加する文化祭が行われているのですが、驚くなかれ、例えば山のほうの憩いの場では14年連続開催し、ゲストに民謡界の大御所唄者・山里ユキさんや宮良康正さんが出演していたり、“かやぶち家”では連続17年も開催し、なんと沖縄の芸能界の大御所・平良とみさんや仲田幸子さんなどが出演していたりするほか、南城市の市長さんの来賓祝辞まであるという、会場の大きい小さいだけではないものがここに凝縮されていました。

この祭りを主催する津波古棒術保存会のかたにお話を伺うと、
「こういうのが沖縄のお祭りの“原点”だと思うんですよ。きっと昔もみんなで食べ物を寄せ合って楽しんだのではないでしょうか。津波古は、横の繋がりや縦の繋がり、先輩も後輩も仲良く一体となって、みんな本当の家族みたいなんですよ」と“日頃からの地域のコミュニケーションが何よりも大切”という宮城幸一さん(津波古棒術保存会)。

先輩後輩や子供からお年寄りまで世代を越えて“みんなが楽しめる”という、そんな憩いの場が地域にあるって素敵ですよね。
「例えばちょっと遠い憩いの場にはお年寄りには大変でしょうから、集落から歩いていけるくらいの場所で、地域のおじぃ・おばぁをお招きして、こうやって毎年『小さな文化祭』を続けているんですよ」とのこと。
そんな場にふさわしいゲストが今年も出演していました。名曲『おばあちゃんの唄』などハートフルな唄を歌う池田卓さん(西表島船浮出身)と、地元ラジオ番組・TVCM・映画などでも知られる人気役者の信ちゃん(津波信一)さん(南城市佐敷出身)。
信ちゃんはさすが地元というだけあって佐敷ネタを大連発。公民館アナウンスの名言の数々に、津波古のみなさんも腹を抱えて思いっきり笑ったり。

そんな有名人の舞台のほか、地元佐敷中学校吹奏部の演奏や、珊瑚舎スコーレの生徒さんたちによる『雨ニモマケズ』、佐敷キャンディーズの歌など、濃厚な第1部に続いて、それから皆さんのお楽しみは誰でも飛び入りOKの第2部。
地元青年が親孝行を歌ったラップにおじいちゃんが涙していたり、地域のお母さん達の三線サークルの演奏では「○○ちゃ〜ん」と男性陣から声援が飛んだりと、微笑ましいシーンが続いてゆきます。
クライマックスは地域の長老で空手十段の名人・嶺井南康さんが舞台にあがって、みんなといっしょに歌ってしめくくられた“地域の人たちのための地域交流のお祭り”でした。

主催の津波古棒術保存会の青年達は、完全に裏方にまわって祭りを支えていました。会長・嶺井達朗さんは、
「棒術保存会は主催ではありますが裏方にまわりお祭りを盛り上げます。なぜなら、やっぱり地域の人たちとの“つながり”こそが大切なんです。だから、究極にいえば例えば棒術も“つながり”を大事にするために行っているもの(地域の伝統を地域の人と一緒に受け継ぐ)ともいえるのかもしれません。まず“人と人”だと思うんですよ」。
南城市民俗無形文化財の津波古棒術は、伝統と格式のほか、このように“地域”と共にあるわけですね。

津波古棒術保存会OBでもある“かやぶち家”の家主・嶺井時光さんも、
「“大きい・小さい”ではなくて“気持ちの集まりにしたい”。これからもずっと、昔からのいい教えを継承してゆきたいですね」とのこと。

お祭りだけが特別な日ではなくて、津波古は普段の日から“気持ちをつなげてゆく”その心がけが“人を元気にし、地域を元気にしている”ようでした。

(取材: 桑村ヒロシ)
(取材協力: 津波古棒術保存会、天人保存会、山の会、津波古の皆さま)   

2007年11月22日

壺屋の魅力、再発見。『壺屋やちむん通り祭り2007』

壺屋の魅力、再発見。『壺屋やちむん通り祭り2007』
高層マンションなどの建設が進み都会化が進む那覇市。その中にある壺屋は昔のたたずまいを残す緑のオアシスでもあり、300年以上に渡り焼き物の町としての伝統を守り続けている町です。そんな壺屋の魅力をもっと多くの人に知ってほしいと壺屋やちむん通り会のメンバーが中心となり『壺屋やちむん通り祭り2007』が11月2日〜4日まで開催されました。今年3回目となる祭りのリポートをお届けします。

今年で3年目を迎えるお祭りは、壺屋の石畳に店を構える35軒のお店が集まった『壺屋やちむん通り会』のメンバーと地元の方々や壺屋焼物博物館、そして壺屋を愛する方々により企画から開催まで行なわれる手作り感あふれるお祭りです。
祭り開催中は無料ロクロ体験も行われ、行列が出来ていました。
ロクロ体験/テレビも取材中
体験100人目になった渡真利さん(小学4年生)は「土を触るのはなんだか変な感じだったけど、楽しいかった〜!」と嬉しそうでした。
ロクロ体験100人目の渡真利さん親子と石畳やちむん通りの風景
地元や窯元の知り合いが集まり手作りのアクセサリーやパンを販売するテントも賑やかです。
手作りパンとアクセサリーに琉球まんじゅう
今年は那覇工業高校の生徒さんが考案した焼き芋製造機を使ったお芋も販売され大人気!
ホクホクした甘〜いお芋はなんと100円!
祭り名物となっている「焼物博物館館長と茶屋すーじ小の翔子ちゃんによる民謡ショー」も2人の掛け合いが楽しく大人気です。

通り会の皆さんの「壺屋さんしんクラブ」も負けじと毎月館長から手ほどきを受けている三線の腕を披露します。館長によると「この教室で皆が集まった事が祭りを始めるきっかけにもなったんです」とのこと。
祭り名物の焼物博物館館長&翔子ライブ&壺屋さんしんクラブ
2日目は、100食限定「壺屋焼の器で食べるおでん」を目当てに長蛇の列が!具のてぃびちは県産にこだわり、祭りの準備と平行してのおでん作りは大変だったそう。通り会の方々の暖かい気持ちのこもったおでんと器のぬくもりの効果で、ご近所の方や観光でいらした方は一緒に食べながらみんな笑顔になっていました。30分も経たないうちに完売です!
このボリュームで350円。おでんを待つ長蛇の列
残念ながらおでんを食べられかった人たちは路地(すーじ小)に流れていきます。後をついていくと「釜焼きピザ」の看板が!普段は器などを焼く釜がこの日は「ピザ釜」に変身していました。クリスピーな食感と熱々のチーズがとろけておいしそう〜!1ピースがとても大きいので満足の一品です。お店の庭で地域の方が大切に守っている古い町並みや緑の町並みを眺めながら、皆さんゆっくりとくつろいでいました。
ピザ
石畳のやちむん通りでは、地元真境名迪子琉舞道場の琉舞、壺屋シーサー太鼓や華鳳会の旗頭を始め、大道芸や沖国大「浦風」によるエイサー演舞、この祭りの為に福島から駆けつけてきた鈴木さん、中村さんと育陶園窯元によるひょっとこ踊りなどさまざまな演舞が行われました。
地元壺屋・華鳳会の子供旗頭など
今回はうるま市の窯元つながりで兼箇段自治会の子供たちによる獅子舞も披露されました。地区の神獅子と同様に作られた獅子に見ている子供たちはおっかなびっくり。獅子を操るのは昔から獅子舞にあこがれていたという仲嶺さんと名嘉真さんの女子中学生2名です。棒術との迫真の演技に拍手が沸いていました。
小学生が操る子供獅子も、ジュースを飲むマネをしたりと愛嬌を振りまいていました。
兼箇段自治会の皆さんと獅子舞
今回演舞の時間に交通規制を行いましたが、その時誘導係などで活躍していたのが「NPO法人まちなか研究所わくわく」のボランティアメンバー達。
日ごろお世話になっている壺屋の為にと、期間中ずっと縁の下の力持ちで頑張っていました。

その合間に壺屋焼物博物館のボランティアガイドによるう壺屋の窯元めぐりや壺屋まちめぐりも行われました。
ここで与那城町の体験セリ取材で出会った益さん親子に再開!ネットでチェックしてお祭りにこられたそうです。
壺屋ツアー
壺屋まちめぐりに参加された皆さんはガイドの宮崎さんから、1682年(天和2年)に琉球王府が美里村の知花、首里の宝口、那覇の湧田にあった3つの窯場を壺屋に統合し、焼き物の拠点とした事や戦後那覇で最初に復興した町であった事など、壺屋の歴史の話を興味深げに聞いていました。

今回のお祭りには那覇市長も飛び入り参加し、お年寄りと一緒に歌や踊りを鑑賞したり、カチャーシーを踊っていらっしゃいました。
祭り実行委員長の高江洲啓子さんは「通り会や地元の人が集まり、いろいろ試行錯誤しながら行う手作りの祭りです。緑に囲まれた路地(すーじ小)をそぞろ歩きながら初めての方、リピーターの方が壺屋の素敵な所をたくさん見つけてくれたらうれしいです」
と話され、通り会会長の新垣紀美江さんは「壺屋は伝統ある町でもあり、祭りに参加してくれた方々のような素晴しい人も沢山いる町。もっと広く壺屋の町の魅力をアピールして次の世代に引き継いでいきたいですね」と話されていました。
祭り実行委員会会長と、市長も駆けつけカチャーシー
「ひょっとこ踊り」では福島のみかんを皆さんに配り「福」のおすそ分けがあったり、兼箇段自治会の獅子舞では獅子が沿道の人々に近寄り「福」を授けていました。
実行委員長の高江洲さんの「この祭り、そして壺屋に訪れた方々すべてに福(幸せ)が訪れますように」というアナウンスが流れ、とても暖かい気持ちになりました。伝統を守り続け、皆に愛される壺屋の魅力はまだまだ沢山ありそうです。
大黒様や獅子舞から福をもらう

昨年のカーミスーブ※お知らせ:
11月22日(木)〜25日(日)まで壺屋小で『第28回壺屋陶器祭り』が開催されます。
陶工さんが紅白に分かれ技術と速さの腕を競うカーミスーブなども行われます。こちらも足を運ばれてみては如何でしょう。
問い合わせ:壺屋陶器事業協同組合・TEL098-866-3284
(駐車場はありませんので、バス、タクシー、モノレール等でご来場ください)

(レポート: Yoko Kosuga、編集: KUWA)   

2007年10月26日

宮古で島興し『クイチャーフェスティバル07』直前インタビュー

宮古で島興し『クイチャーフェスティバル07』直前インタビュー
クイチャーは宮古のアイデンティティー。喜びの時のほか、島の神々への豊年豊作や雨乞いの祈願などでもクイチャーアーグ、クイチャーブドゥイで表現する場面もあるという。
さらに沖縄本島のカチャーシーと違うのは、大勢で円陣を組み舞う巻き踊りであり、宮古諸島の中でも地域によってそれぞれに特色がある。
沖縄本島や本土にいるとその違いがあるのになかなか気が付かないけれど、クイチャーフェスティバルでは各地域ごとのクイチャーが一同に会す機会。
ぜひ、クイチャーフェスティバルでその違いを実際にご覧になって確かめていただけたらと、そのクイチャーフェスティバルを立ち上げた中心人物・下地暁さん(同大会実行委員長)に、開催直前インタビューし、メッセージを伺ってきました。

——まず、宮古島でクイチャーフェスティバルをはじめようと思ったきっかけは?

下地暁:その理由は、いたってシンプルなんです。そこ(島)に“クイチャーがあるから”です。そしてそれは宮古独自の文化だからです。
「なんで宮古にはクイチャーがあるのに、そのクイチャーを次の世代に繋げようという機会がなかなか無いのだろう?」というのが以前からあって“もし誰もやらないのなら、自分たちだけでもやらせてもらおう”という事がきっかけでした。
クイチャー
——新しい事を興すわけですからご苦労なども多々あったことでしょう。このお祭りを興すのに構想8年の年月が掛かったそうですね。

下地暁:クイチャーフェスティバルを立ち上げるまでの経緯は、ふるさとの宮古島に戻ってきて2年目の年に、琉球國まつり太鼓とやらせて頂いた時に、とても大きな感動と喜びと一緒に、もの凄い悲しさもあったんです。

こんなに地元沖縄の文化を頑張って発信しようとしているその姿に感動し、また一方で悲しかったというのは“自分たちの宮古にはクイチャーがあるのに”なのに私たちは…と。そこが寂しかったですね。
実際に宮古の小学校を回ってみても、宮古の伝統芸能は?と訊ねてみても、子ども達はみんなクイチャーとはいわず「エイサー」って答えてしまうんですね。これは、やっぱり寂しいことですよね。

決して、ほかと対抗しようとかそういう意味では無いんです。自分たちからまずどうにかしなくちゃいけないんじゃないかなという想いがあったんです。
それぞれの地域のクイチャー
それは、実は内なるメッセージなんです。
人様のために頑張ってきたという部分は確かに外側に向けたメッセージでもあるのですが、
僕の狙いとしては、クイチャーの曲を提供して、宮古の“ソフト面”を使うことで、島に対する“誇り”や“喜び”になってゆくのではと思ったんです。そしてそこからもっと島も活性化してゆく。

宮古に戻ってきてからちょうど10年目の時が“人頭税が廃止されて100年目の年”だったんですが、そのタイミングに、これは“やりなさい”といわれているかのようなメッセージだと受け取ったんです。

自分の仕事は1年間手をつけずに、クイチャーフェスティバル開催の為に実行委員会を立ち上げたり準備をしてきて、ようやく実現することができたんです。

——なぜ、そこまでつき動かされるでしょう。

下地暁:それはもう“想い”ですね。
ただ、島の良さを気づいてほしいだけなんです。
それはなぜかというと、島(地域や故郷)を愛せなければ、親も愛せないのではと思うんですね。

もしそこに気づいたんだったら、何かひとつでもいいから“こういうので宮古を感じる”“こういうので故郷を感じる”それを自分で出来る範囲でやる、それが島の活性化につながってゆくんだと思うんです。
下地暁
——そして11/4に開催予定のクイチャーフェスティバル2007について。

下地暁:今年は、クイチャーのほか、宮古の伝統芸能もご覧頂けます。それぞれ皆さんの地域にも素晴らしい伝統芸能や文化があると思いますので、そこで感じたものを持ち帰って頂けるよう頑張っていきたいと思いますので、会場にお越し頂ければと思います。
観に来て頂くだけでも参加になると思いますので、この機会に宮古島にぜひご来島頂いて、体感してください。

『第6回 クイチャーフェスティバル2007』
日時:11月4日(日)
開演:16:00〜
会場:カママ嶺公園多目的広場(宮古島市平良)
公式ブログ:http://quichafestival.ti-da.net/

(取材+撮影: KUWA、協力: クイチャーフェスティバル実行委員会)

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2007年10月19日

池田卓インタビュー(西表島『船浮音祭り』直前!)

池田卓インタビュー
——池田卓さんの生まれ島、西表島の陸の孤島といわれる船浮で、手作りの新しいお祭り『船浮き音祭り』を興されるとのこと。その船浮の魅力と、なぜこのお祭りを興そうと思ったのかをお聞かせください。

池田卓:船浮は人口42名の小さな集落で、観光化されておらず“何もないのが魅力”でまた不便な面もあるのですが、“だからこそ、残っているもの”がいっぱいあるんですね。
みんなが沖縄に来て、不便な思いをしてまで島に渡る理由っていうのは、そこにあるんじゃないのかなって。
例えば、素朴さだったりとか、ゆっくりしに来ていたり。また、泳ぐにしても監視されて泳ぐのではなく、ある程度の危険は伴いながらも自然の海を体験することでそこから学ぶものもあるだろうし、それが本当の自然とふれあうことではないかなって。
それがその人によっては、自然のことを実際に体験しながら学ぶことがこれから生きていく上で大事なことになっていったり、そういう意味ではいい場所でないかなと思うんです。

でも、民宿が無かったり、船便が少なかったり、そういうこともあってなかなか訪れる機会も少ないかもしれません。ぜひこの機会に、船浮を体験してもらえたらと思うんです。

そして一番望まれるのは、船浮きに人が増えて子どもが増えたら、小学校が無くならなくても済むんですね。
もし学校が無くなってしまうと、先生も減ってシマの住民も今の半分になってしまうんですよ。
学校が無いということは、運動会も学習発表会も無くなってしまって、子どものイベントが無くなると親や大人達の活力も失われますからね。

今、小学生が2人、中学生が1人の状態なんですね。だからこれをきっかけに、船浮に住みたいなと思ってくれる人が増えたら、というのが正直なところでもあるのですが、
もちろん、住んでもらうことだけが目的ではなくて、この船浮で感じた事を、自分が今住んでいる地域で活かしてもらえたらと思いますし、
「あんなに不便で人が少なくても、みんな明るく生活してゆけるんだ」と言ってもらえるような場所だと思うので、ほかの地域のかたも船浮に来てもらうことによって、何かを感じ取って、またその人たちが元気になって、そしてそれを活かしてもらえたらいいですね。
そして、「船浮に来て、生き方が変わったよ」って言ってもらえたらそれは素敵な事だと思いますし。

もちろん、人が少ないなりの問題も色々ありますし、だから“絶対に船浮へ来たら間違いはない”と言い切れるものでは無いんですが、
例えば宮古のように情があつくて、自分の食べるものが無くてもお客さんをもてなす心とか、訪れる人に感謝の気持ちを表したりとかね。

みんなが沖縄に何度も訪れるというのは、自然に触れることのほかにも、
島の人から「また島に帰っておいでよ」って言われて、そのあたたかな気持ちが伝わると“もうひとつの故郷”に感じたり、そしてまたそこでつながって“人に会いにゆく”(人とのふれあい)ことも多いと思うんですよ。
やっぱり“人”だと思うんですよね。だからこそ、船浮のほうもそこから興していかなきゃと思うんです。

船浮は観光で生活している地域ではなく、観光客が少ない時のほうが魚がいっぱい捕れたりする面もあったりするので、今の船浮は生活と観光が結びついていないんです。
だからこそ、船浮に人が住んでほしいと思うんだったら、シマの人が輝いていないと「あぁ、船浮に住んでみたいな」とは思ってもらえないと思うんです。

そして今回の第1回目のお祭りが、島の人たちの中でみんなで力を合わせてひとつのものを作り上げてゆくことがきっかけとなればと。
伝統を受け継ぐことも大切ですけど、今回は新しいものを作ることがまたいい機会となって、船浮の底上げというか交流することができたらと思っています。

なので、ステージの中で、シマの良さとかを伝えてゆけたらと思っています。

それは観光客に向けてだけでなく、地元の人に向けても特に。
というのは、シマの人は「こんな小さなシマに何のためにくるの?」って、自分たちの環境の良さを案外わからないものだったりもするので、
「こんなにわざわざ来る人がいるんだよ」って。

人がいっぱい集まってくれることで、島の人のやりがいが出てくれるとも思うので、
また、「楽しかったよ。また来るね」って声をかけて頂けたらと。
そしたら、笑顔の数も増えると思うんですよね。頑張ってよかったな、また頑張ろうって、気持ちがわくでしょうし。
たとえ日帰りの旅であっても、ぜひ訪れてほしいなと思います。

第一回目だからこそ、いろんな思いはあるんですけど、これから続けてゆくことが大事なんだろうなって思っています。

——そして、第1回 船浮音祭りが開催直前となりましたね。

池田卓:本当は第1回目だから、いろんな人を呼んで、ど〜んとやりたいなぁというのはあるんですが、もし、島にバンドの機材を運ぶとなると、ものすごい金額になりますから、だから来年も続けられるようにそこは無理はしないで、今回は、島にあるものを借りてやれるくらいのアコースティックな感じでやれたらと。
ゲスト・アーティストも一組招待するくらいがちょうどいいのかなって思っています。

——その記念すべき第1回目の招待アーティストは、元ルビエスの唐真久乃(とうま・ひさの)さんということですよね。

池田卓:子どもから年輩のかたまでみんなで楽しんでもらえるようなね。
僕も島の子どもだったからよくわかるけども、TVに出ている有名な人が来るだけでも喜ぶんですよ。

この祭りを続けることによって、5年、10年後がすごい楽しみですね。
参加してもらったアーティストのみんなにも「楽しかった」「次、来年は自分たちを出してくれ」って言ってもらえるようになれたらと。

島の祭りといえば、ふつうは地域の人が出ることが魅力でもあるんですが、それはもうすでにあるんですよ。
船浮の伝統的なお祭りの節祭も、今年は11/2にありますし、裏方から出演者まで全部青年会から地域の人たちが総出でやっているんで、今回はそういう負担は掛けないように、島の人たちが純粋にお客さんとして楽しんでもらえるような祭りがあってもいいかなって。
だから、今回ポスターには「プロミュージシャンが来るよ!」って書いています。島のみんなにも楽しんでもらいたい祭りですね。

第1回目は実行委員は僕ひとりからはじめましたが、それをキッカケにして今後は青年会が主体となって、「今度はいついつやるから、卓は島に来られるか?」と日取りまで決めて動いてくれるように、青年会に力をつけてもらいたいですね。

例えば今回の経験が、今後のほかのお祭りや行事などでもいい変化につながってゆくかもしれませんからね。
これまでの祭りにしても、長老から「もうすぐ節祭りだから、青年会は練習はじめなさい」と言われたりするような感じなのですが、本当は若くて動ける人から動かないと。
青年会のほうから「おじい(長老)、今年の青年会はいついつから練習をはじめたい。指導に来てもらえないだろうか?」と積極的に変わってゆけるかもしれませんよね。

——島の青年会は何名くらいなんですか?

池田卓:船浮の青年会は20歳から40歳くらいまでで、先生も入れて10名くらいですね。
お祭りや行事をやるにしても先生たち10人の力ってとても大きくて、先生でもあるけど住民としてその10名の参加がないと行事も成り立たないんですよ。
ですが、島の人たちと新しい先生が親しくなっていくのは大体夏休み明けてくらいからで、運動会とかそういう行事がきっかけになるんですが、もうその頃には1年の半分が過ぎてしまっているんです。それってもったいないですよね。
そして教職員であるので、毎年移動で4〜5名は入れ替わるんですね。であるなら、島に赴任してきたばかりの若い先生たちと早めに交流して親しくなってもらいたいというのがあって、本当は4月くらいにこの祭りが開催できたらなぁって思っています。準備とか打ち上げとかでコミュニケーションを深められると思うんです。
それに4月は天気がいいという事で海も荒れないし、海の輝きも綺麗なんですよ。

——最後に読者の皆さんに一言メッセージをお願いします。

池田卓:船浮きはたぶん沖縄の中でも最も小さな集落のひとつだと思うんですよ。そんなシマでも頑張っているだというのを感じてもらって、船浮の元気がほかの地域の元気に繋がればいいなって。
僕も精一杯頑張りますので、ぜひ船浮にもこの機会に足を運んでもらいたいです。

『第一回 船浮音祭り』(ふなうき おとまつり)
平成19年11月4日(日)
12:00〜15:00
※入場無料!
出演:池田 卓、唐真久乃、ほか
主催:船浮音祭り実行委員会
実行委員長:池田 卓(船浮出身/ミュージシャン)
後援:船浮公民館・船浮婦人会・船浮青年会・(有)船浮海運・(有)船浮観光

(取材: 桑村ヒロシ、写真: KUWA+さにしゃ)   

2007年10月16日

広がる沖縄の海をさらに綺麗に☆ビーチクリーン体験記@だーしゃ

だーしゃのビーチクリーン体験記
今沖縄の海はみなさんが思っているより汚れてきています。



それは沖縄という島に100万人以上の人々が生活し、
日々生きていくためには、避けては通れない問題です。

生活廃水だったり、ゴミ問題だったり、その一つ一つが
本当に大切な事、大きなことにつながっていたりします。

環境という面でやっぱり沖縄の海もだんだんと汚れてきていました。
海では生き物やサンゴが減り、浜にはゴミが散乱している。

そのうちのたった一つかもしれませんが、
浜を綺麗にしようということで、活動されているエドワードさんがいらっしゃいます。

今回恩納村真栄田という地域で行われた
ビーチクリーンという活動に参加してきました。


このビーチクリーンという活動は10年ほど前からエドワードさんと
友人のケニーさんとでボランテァで活動ていました。


『大好きな沖縄のビーチに、あまりにゴミが多いことにワジワジー(立腹)したのがきっかけ』




まず目の前の海を綺麗にする事から。


最初は沖縄の人も関心が低く、ゴミを拾っているそばから
ゴミを捨ていている状態だったそうです。


しかし、次第にそのビーチクリーンの輪が広がっていき、
今では沖縄本島各地で開催しています。



今回僕自身この活動に初めて参加したのですが、

皆さんの以外な身の軽さに驚きました。

当初、「沖縄の海をがっちり綺麗にしていこう!!!」

とかいうものかとおもっていたのですが、


ぜんぜん肩に力が入った感じではなく、


目の前のビーチのゴミを2時間ぐらい拾って、
あとはビーチでBBQをして楽しもう(^^)




という風なとても自然な感じの集まりだったんです。



それにまずびっくりしましたが、自然な感じで浜を綺麗にして、
自然を感じようという雰囲気がとても心地よい気がしました。






さて、どんな浜を綺麗にするかというと、
こんな感じで目的の浜に下りていきます、





そうすると、こんな浜が広がっていました。
ちょうど天気もよく、日差しはつよいですが、
海の青さがとても気持ちがいいですねっ。





そこでまずエドワードさん(以下エドさん)に、
ビーチに流れ着いているゴミの説明をしてもらいました。

「ゴミというのは自然にないものなので、分解しない、
だから処理しないといけない」


という説明を受けて、

みんな各自ビーチクリーンに入ります。





この日はお昼前がちょうど引き潮のタイミングだったので、
潮が引いていいるうちにみんなで手分けしてゴミを拾いました。

みんなが各自ゴミ袋を持ってちょっとづつかもしれませんが、
ゴミを拾う事によって、驚くほど浜がどんどんキレイになっていきます。






また、ただ一生懸命にゴミを拾うだけではなく、
エドさんがポイントポイントのタイミングで、