ryuQ HOME > ryuQ特集ページ

2008年06月23日

「白花が美しい『イジュ』も…」(比嘉淳子)


今年の春先。庭いじりをしていたら突然腕に痛みとかゆみがドッキングした妙な感覚が走った。「やば!」瞬時にわが腕にナニが起こったか察しがついた。

「毛虫だ。奴に違いない」

ガーデニングを趣味に持つ人の悩みベスト1が「紫外線によるシミ」、2位が「水遣りや消毒が難儀」、3位が「生物による被害」だ(と推測する)。

この3位の「生物」にやられた!と思ったのも、沖縄では2月になればサツキや桜が花盛りである。しかもこれらの木には「毒蛾の幼虫」が好んでつくのだ。

刺された腕はみるみる真っ赤に腫れ上がり、マダラ模様になった。痛いし痒いし、皮膚をカッターでこそぎ落としたいくらいに激痛が走る。

よく見ると、毛虫の産毛のような針が刺さっている。足元には数匹の黄色と黒の色鮮やかな毛虫がウネウネしていた。踏み潰し微塵に討伐した後、勢いよく水で洗い流したが、かかる水さえ痛い。「もう!! ガーデニングなんて止めてやるぅ! 草を焼き払ってやる〜!」。周囲3メートル内の人がドン引きしているがそのくらい痛い。

ここは、都市の住宅街であるから焼畑はできないし、そんなこと当たり前だ。憎しは虫であり、庭ではない。しかし、あの時は庭があるから虫が来る。そうでもしなけりゃ気が済まねぇ〜!の一念しかなかった。

幸いな事に近くに医者がいたので早急な治療を施してもらい、庭も焼き払わずに済んだ。あれから数ヶ月経過するが、今なおマダラ模様は広範囲にやわらかい内腕に残っている。
大体だ。毛虫の分際で毒を持つ事が気に食わない。

毒といえば「ハブ」ではないか。あの鎌首をもたげて「くわぁ」っと大口を開けてこそ威光があるってものなのに。そこで世の中、異に『毒持ち』の多い事に気付いた。

ハブくらげにイモガイ、毒魚にサソリ、毒蜘蛛、スズメバチ、毒女のお局様。
ああ、挙げればキリが無いほど。そして、植物にも有毒植物がある。

代表をあげれば「夾竹桃」。耐潮性・排気ガスに強い事から街路樹や公園に植えられているが、弁当を食べようとしてお箸を忘れた子が、夾竹桃の枝を折り箸代わりにしたところ中毒を起こした事故があった。

また、最近、イングリッシュガーデン人気で広まった「エゴノキ」。白い小花が涼しげでいかにも洋風な家にぴったりな木であるが、実にサポニンという有毒物質が含まれている。他においしそうに見える「琉球柿」、青紫の花がかわいい「ルリハコベ」、沖縄うりずんのシンボルともいえる白花が美しい「イジュ」、ガジュマルに似ている「シマシラノキ」、海岸で見かける「シイノキカズラ」などなど。

これらは、『魚毒』に使い、昔は枝や葉を海中に投棄してその『毒』を利用して浮いてきた魚を獲っていた。しかしながら、現在は、『水産資源保護法』で毒物による漁業行為が禁止されているので絶対にやってはいけない。

では、何故ここにあげたかっていうと、家庭での植樹を避けたほうがいいから。
毒と言っても使いようで漢方薬になる植物もある。
しかし、専門的な知識の無いものが簡単に手をかけるものではない。

子どもがいれば、なおさらの事。庭木を選ぶときには、ガーデニングの本に掲載されているからと安易に植えるのではなく、専門家に吟味してもらった上で植樹して欲しいと切に願う。   
続きを読む

2008年06月16日

「島ラッキョウ食べて、ラッキーラッキー」(嘉手川学)


毎年この時期になると嬉しいことが、旬の島ラッキョウ(ウチナーグチではラッチョウという)が味わえることである。沖縄料理の店や居酒屋で薄塩に漬け込んだ美味しいラッチョウがでて、花鰹をかけて食べると泡盛が何杯でも飲めてしまうので、なんだか得した気分になり「ラッキー、ラッキョー、チェケラッチョウ!!」といってみたくなる。

島ラッキョウは本土のラッキョウに比べて球の大きさが小さく、球体にならずにスラリとスマート。香りは強く味が濃いので本土のように甘酢漬けにしないで、主に浅漬けにして、食べるときに鰹節を花鰹をふりかけ、ほんの少量の醤油をたらして食べるとメチャクチャに美味しくて、ビールはもちろん泡盛や焼酎、ウィスキーだって飲めてしまう。あ、でも、ワインには合わなかったけど日本酒はまあまあいけた(そこまで飲むか!)。
島ラッキョウ
何よりもご飯にもよく合うことが島ラッキョウファンを増やしている。特に細かく刻んで花鰹と醤油をまぶしたものは、ご飯が何杯でもいけてしまう。旨い酒の肴はご飯にもよく合うといわれているだけあり、ご飯好きのボクのカアちゃん(女房のことね)はこれだけでご飯3膳は食べてしまう。ボクが他に美味しい夕食のおかずを準備しても、まず細かく刻んだ島ラッキョウでご飯を3杯食べた後、ボクの作った夕食に手をつける有様である。

島ラッキョウには体力の低下や風邪の引き始めに食べるとケッコウがよくなり体が温まり、疲労回復に効果があるといわれている。また、殺菌効果も高く味覚低下を改善する亜鉛を多く含み、食物繊維も豊富なので腸を整える作用もある。

島ラッキョウ島ラッキョウの主な食べ方としては、前述の薄塩の浅漬けがポピュラーだが、薄皮を取り除いた島ラッキョウを豆腐と一緒に炒める「ラッチョウチャンプルー」も美味しい。島ラッキョウに熱を加えることで、特有の香りが陰を潜め辛味は甘みに感じられるが、シャキッとした食感と豆腐とのバランスが食欲をかきたてる。さらに10年ほど前から居酒屋のメニューとして並ぶようになったのが、「島ラッキョウの天プラ」。

きっかけはオリオンビールのCMからだった。あの江守徹が「島ラッキョウの天プラ、塩が旨い」といいつつ、オリオンビールをングング、プハーッとやったもんだから、島ラッキョウの天プラの人気に火がついて一気に広まった。

それまでボクの周りには食べた人がまったくいなかったから、島ラッキョウの天プラは多くのウチナーンチュに衝撃を与えた一品だったといえる。島ラッキョウの球の部分がホッコリとして甘くなり、サクッと揚がった衣との食感が絶妙で塩味が全体の味を引き締めて、まさにオリオンビールの美味しさを引き出す最高のつまみの一つになった。ただ、当時は上手に天プラを揚げきれてない店も多く、ベチョッと油っぽい島ラッキョウの天プラは島ラッキョウ本来の美味しさを損なうものだった。

今では一時的なブームも去り島ラッキョウの天プラも定番料理になっているが、やっぱり美味しい島ラッキョウといえば薄塩でつけた島ラッキョウである。   
続きを読む

2008年06月09日

厳選・沖縄音楽(6月号)「古典の心」「大浜みね独唱歌集」

厳選・沖縄音楽「古典の心」「大浜みね独唱歌集」
今回は私が復刻を望む2枚のアルバム、すなわち、安富祖竹久の「古典の心」と大浜みねの「大浜みね独唱歌集」を紹介したい。

安富祖竹久「古典の心」
(RBCレコード RML-1004 1970年)

2007年、私は金武良仁全曲集「名人の呼吸が聴こえる」という二枚盤復刻CDアルバムをプロデュースした。SP盤レコードを蓄音機で再生させ、録音した。三線の抑揚と声の抑揚とのバランスの微妙さが実にすばらしく、まさに名人の呼吸というものはこういうものだと感動した。

安富祖竹久(1915〜1990)のアルバム「古典の心」はどうしても復刻してもらいたい一枚だ。古典音楽のことをいろいろ書くと、ボロが出そうなので少し控えて、とにかくゆったりとした中でも音が全くぶれない。それは当たり前なのでありますが、普通のぶれなかたではない。低音も高音も限界がないように余裕で発声する。1970年の録音というからまあ絶頂期の録音といってもいいのかもしれない。その後野村流古典音楽保存会会長に就任し、名人ぶりを発揮したことはあえて説明の必要なないでしょう。

とにかくここに名人芸の足跡があり、これを鑑賞できるのだから、その復刻は少なくとも私は待望して久しい。


'76民謡大賞受賞記念「大浜みね独唱歌集」
(マルフクレコード F-34 1976)

八重山民謡の女性歌手といえば、真っ先に大浜みねの名前が浮かぶ。八重山古典民謡の最大の功労者で夫の故大浜安伴を影で支えながら女性歌手の手本として歌い続けてきた、大浜みねのこれまた絶頂期のアルバムがそれである。

1969年、NHKのど自慢コンクールで日本一になった宮良康正の囃子を受け持ち、全国的にも注目された。そして76年、民謡大賞を受賞し、その年に記念公演も行っている。このアルバムはどこをとってもどこから聴いてもすばらしいのだ。とばらーま、つぃんだら、でんさー、脂が乗り切っているというのはこいうアイテムにいうのだろうと聴くたびに感動している。本当にレコードもジャケットもテカテカに光っているように見えるから不思議だ。

希望的結論からいうと、復刻されることなく、自分ひとりだけでイヒヒと聴いておきたいアルバムだが、しかし沖縄音楽の財産として大浜みねの全音源といわないまでも、せめてこのアルバムは復刻してもらいたいものだ。   
続きを読む

2008年06月02日

むぎ社 その不思議な世界『オバァが拝む 火の神と屋敷の御願』


 ここ数年、沖縄県産本業界で確立したジャンルがある。本屋の郷土本コーナーでも目立つところに位置するようになった「御願本コーナー」である。沖縄県以外の本屋さんでは絶対ないジャンルだろう。「うがん」「うぐゎん」と読むのは沖縄人の常識だが、我がボーダーインク刊行の『沖縄の御願ことば事典』(1998年 高橋恵子著)なども、県外からの問い合わせだと「おねがいことば事典」と注文がくる場合がごくたまにあったりする。「御願」とは何かと説明すると話はとても長くなるのであるが、要するに、沖縄の人々がいろんな沖縄の神様に様々な祈りを捧げること、としておこう。このジャンルをここ数年脇目もふらず追求し、独自のスタイルを作り上げた沖縄県産本の出版社が「むぎ社」である。

 1986年に、沖縄の地元出版社で編集をしていた座間味栄議氏が立ち上げたむぎ社は、沖縄の歴史、グスク、沖縄で見られる星座、沖縄の川の本など、沖縄の文化と自然をそれぞれの研究者や専門家が、一般向けに、印象としては学校の教材・副読本として使えそうな内容としてまとめた本を、コツコツと出していたオーソドックスな県産本の出版社だった。

 変化のきっかけになっただろうと思うのが、2005年に出た『琉球の死後の世界 −沖縄その不思議な世界』である。郷土の民俗研究家である崎原恒新氏が文献資料調査と独自の聞き取り調査によってまとめた本だが、専門的な研究書といった案配ではない。沖縄の民間に伝わってきた「死」「あの世(グソー)」「幽霊」「まじむん(妖怪)」の事例をざっくりと集めて紹介している。実は当時僕も沖縄の呪い(まじない)とか魔よけに関する本を企画していたので、この少々怪しげなタイトルのこの本は、とても面白く読んだ。「多様な個性を持つ幽霊 / 墓と墓地の幽霊 / 村の内外に出没する幽霊 / 幽霊屋敷 / 歌をうたう骸骨・幽霊 / 骸骨編 / 歌う幽霊編 」など、そそる項目が並んでいる。「研究書」でも「トンデモ本」でもない、そのギリギリのニュアンスが県産本の味わいと言っておこう。(ちなみに僕の企画は頓挫した)


 そしてその翌年にいよいよ登場したのが、『オバァが拝む 火の神と屋敷の御願(ひぬかんとやしちぬうがん)』である。この本でいよいむぎ社代表の座間味氏自らが著者となり、沖縄のオバァたちが拝む「火の神」とはどのような神様なのか、懇切丁寧に説き、「ウグクトゥバ」や「屋敷の御願」について、沖縄の各地の事例を細かく説明している。いつのまにか座間味氏は、「御願」を独自に研究し専門家となっていたのである。その内容はというと、枕なしにいきなり本題の話にはいる名人落語家のように、木訥としているがスッと内容が入ってくる。御願の副読本とでもいえようか。この本は県内書店での売上げもよくすぐに増刷をしている。県産本ベストセラーである。

 実は当時、我がボーダーインクでも、都市化した沖縄の生活なかで、だからこそ必要とされている普通の沖縄の家庭における「御願」の仕方についてのハンドブックを編集していたので、この本が出た時はびっくりしたが、路線やターゲットとしている読者イメージが違っていた(ので、頓挫しなかった)。そして『オバァが拝む……』の数ヶ月後に出たのが、ボーダーインクの『よくわかる御願ハンドブック』である。この二冊のヒット本により、沖縄県内の書店では関連本を充実させ次々と「御願本コーナー」が作られることになる。

 さらにむぎ社は、同じ年に『沖縄の魔よけとまじない  家と家族を守るムンヌキムン』(座間味栄議著)、翌年07年には、『ひと目でわかる! スーコーとトートーメー  沖縄の葬式と法事と位牌』(むぎ社編)、さらに今年08年は『まるごとわかる!ユタ 霊能者か!エセ占い師か!』(座間味栄議著)と、もう迷うことなくこの路線に特化した出版活動を展開している。   
続きを読む

2008年05月26日

「エンマ様の庭木に“相手を思う樹”を」(比嘉淳子)


5月後半の沖縄はもう梅雨だが、前半のゴールデンウィークは天気にも恵まれ、主婦としては充実した日々を過ごし、たっぷりの充電期間後の初仕事がなぜか「家庭裁判所」訪問である。
(誤解のないように言っておくと、我が家はいたって「円満」であるからご安心を!)
人に頼まれて、ちょっとした届け物を預けに立ち寄ったのだけど、約束の時間より早めに到着したので、せっかくの「家庭裁判所デビュー」に恒例の「世間さまウォッチイングゥ」をしないわけにはいかない。

広い駐車場のサイドに広がる法面には「タイワンレンギョ」で「かていさいばんしょ」と文字が描かれていた。実はこの場所、幼い頃の遊び場だったのである。
実家は背を伸ばすと見えるほどの距離。母がテレビを観ているのがわかるほど近いのだ。
「かあちゃ〜ん」と声を掛けたかったが、何せ「家庭裁判所」にいるのでさすがにやめた。

建物の中は案外明るく受付の女性も感じがいい。
「ふ〜ん、テレビドラマのイメージとは大違いじゃないか」と思いながら勧められるままにパステルカラーのソファーに座った。
しかし、このソファーたちが妙に点在し、不自然な位置に置かれている。
「こんなんじゃぁスペースの無駄でしょ!」とツッコミを入れたくなった。

しばらくして、女性が入ってきた。目が真っ赤である。追うように男性が入ってきた。両者、目と目が合う! 殺気が漂った!
(「!?」タブン、夫婦か・な?夫婦なのに、遠くの席に座った。)

側のテレビがさっきからずっと同じ番組を放送している。
「調停というものは、離婚、親権、財産の…」と始まり「それが、調停で解決できなければ審判となります。」のような事がずっと流れている。

つまり、大人の喧嘩が、スイミングスクールのクラスのように「めだかさんコース」から始まり「いるかさんコース」に発展し「オリンピック選手養成コース」になるになるのだな。フムフム、と私流に解釈していた。

それからというもの、入場してくる人の顔は鬼のような形相の人たちばかり。一見して親族だなと思われるような“そっくりな人たち”がそれぞれ遠くに分裂して腰掛けているのだ。
道理でソファーの位置関係が多方面に置かれ、不自然だなと思ったわけである。
一般の人々なのに強面の人がドンドン増えてきた。何だかいたたまれない…。

目の前のおじさんが私の隣のほうに居る男性に「えー!いったぁ フラー父ちゃんは?」と言い、その兄さんはギロッと睨み返し「ポッテカおじさんに会わせたくないばぁよー」と、答えた。私を挟んでこの会話である。「ここは、地獄か?!」

裁判所という所は『エンマ様の住処』というイメージが強烈にインプットされてしまった。きっと、2階の各部屋(現場)では怒号が飛び交い、泣き声が響きこの世の地獄絵となっているのだろうな…。

ようやく知人が現れて地獄からは開放されたのだが、彼らから吐き出された「いやぁな感情」に汚染されたようで一刻も早く解毒したかった。

5月といえば春うららかな季節で、沖縄ではつい先月まで「清明祭」で一族郎党が先祖の眠る墓地に会し、亡き先祖たちと一緒に楽しく会食を共にしたのである。
「5月は憲法月間です。身近な人の人権を考えてみませんか」の垂れ幕が悲しい。

歩みを止めて空をみあげると、一面に広がる「相思樹」の黄色。
5月は「相思樹」の季節なのだ。そう「“相手を思う樹”」。

黄色の小さなぽんぽんのような花が、うっすらと甘い香りを漂わせている。
マメ科の「おじぎそう」の仲間である。木ですら「おじぎ」をするのだ!

相手の立場を思いやり、礼を尽くす。そうなれば、閻魔様も暇になるはずだ。
沖縄は「守礼の邦」だった。廉恥を忘れた現代人は一体どこに向かっているのだろう。   
続きを読む

2008年05月19日

「夏の始まりはゴーヤーを食べて乗り切ろう」(嘉手川学)

ryuQ100味5月号
5月を代表する沖縄の年中行事は「ハーリー」である。旧暦の5月4日(今年は新暦6月7日)に行われることからユッカヌヒー(4日の日)とも呼ばれ、漁村や港町では豊漁祈願の爬竜船(ハーリー)競争が行われる。現在では「那覇ハーリー」が新暦の5月3〜5日のゴールデンウィークに行われるが、多くの地域で旧暦5月4日にハーリーが行われている。

ハーリーのことと行事料理は去年もこのコーナーで詳しく書いたので、今回はハーリーではなく沖縄を代表する野菜のゴーヤーのことを書くね。

ゴーヤーナゼ、ゴーヤーかという、と実は沖縄では5月8日は「ゴーヤーの日」だからである。どうしてこの日が「ゴーヤーの日」なのかというと「5」と「8」で「ゴーヤー」の語呂合わせから来ていて、ベタだけどなかなかいい記念日だと思う。余談だが、沖縄ではこんなベタな記念日は多く、3月4日が「3」と「4」で「三線(さんしん)の日」、4月3日が「4(し)」と「3」で「シーサーの日」。また、4月9日が「フォークの日」で「4」を「フォー」と読むあたりが語呂合わせの極致といえる。

他にも6月9日の「ロックの日」、7月5日が「名護の日」、7月8日が「那覇の日」、9月4日が「クースの日」、9月18日が「島言葉(しまくとぅば)の日」と語呂合わせの記念日のオンパレードである。こうなれば「ソーキの日」や「テビチの日」、「ナーベーラーの日」や「フーチバーの日」、「ウッチンの日」など何とか語路合わせをして記念日を制定してもらいたいものである。

いかんいかん、脱線のしすぎだ。話はゴーヤーの日に戻そう。5月8日が「ゴーヤーの日」になったのは、語呂合わせもさることながら、この時期になるとハウス栽培のゴーヤーから露地もののゴーヤーが市場に出回るからでもある。ゴーヤーは沖縄を代表する野菜であり、普通に料理され食卓に並ぶ食材であることは間違いない。食べ方も一般的なのが「ゴーヤーチャンプルー」が代表的な料理だが、薄くスライスして酢の物や和え物、サラダのトッピングなどにもする。また、厚めの輪切りにし衣をつけて沖縄風の天ぷらや、ひき肉を詰めた「ゴーヤーの肉詰め」なども人気がある。チャンプルーだけではなく煮たり、焼いたり、揚げたりできることから、最近では洋風や和風、中華風など多彩な料理が作られている。
ゴーヤーンブシー
ゴーヤーは野菜の中でもカロテンやビタミンCの含有率がかなり高く、しかもカリウムや鉄、カルシウムといったミネラルもバランスよく含まれている。最近の研究ではゴーヤーの苦味成分のモモルデシンには血糖降下作用があることがわかり、糖尿病に有効な食材として注目されている。さらに…   
続きを読む

2008年05月12日

ryuQ100歌5月号「玉城一美、金城洋子」特集


今回のryuQ100歌5月号では「探しているのになかなか見つからないぞ」とよく聞くレコードを2枚取り上げてみました。どちらも後々本人がデジタル録音しているのではありますがご紹介しましょう。

「女童花染小」
 歌・玉城一美、玉城清美

 (マルフクレコード
 KF-324 1979)

 玉城一美、清美姉妹が29年前に発表したシングル。作詞・上原直彦、作曲・知名定男のコンビ。数え歌仕立ての歌の各連の最後に「思てぃくぃりよー かなさしよ(思ってください 愛してください)」というリフレインが耳に残りとても覚えやすい歌だ。私の店でも探しても見つからず聞かせてもらいたいという曲の三本指には入りそうだ。またジャケットがいい。戦後沖縄を代表する歌手の一人・故玉城安定の娘二人。いまや中堅女性歌手のこれまた代表的存在の玉城一美と、かたや今では一線から離れている妹の清美とが並んで微笑む初々しい姿は玉城一美ファンならずとも沖縄音楽のファンなら欲しいジャケットではないか。そして二人のコーラスは聞き応え十分過ぎるほどこれまた初々しいのである。1997年にリリースしたアルバム「天縁」(ディスクアカバナー)ではその完成された「女童花染小」を歌っているが、レコードというものはその18年前の歌声を聞くことができるのです。


「にーびちすがやー」
 歌・金城洋子

 (BCYマルフクレコード
 FF-1007 1982)

 タイトルの「にーびちすがやー」は「結婚しようかな」という感じの意味。この楽曲も作詞・上原直彦、作曲・知名定男の黄金コンビ。金城洋子は現在沖縄民謡界の重鎮・金城実の娘。彼女はこの歌の通り本当に結婚してしばらく歌の道から離れることになる。ところで、レーベルが気なるところである。ジャケットにはBCYマルフクレコードとあるが、歌詞の方を見ると制作・BCYンナルフォンとある。BCYンナルフォンは(有)キャンパスのレーベルで今でも沢山の沖縄発CDをプロデュース及び販売しているキャンパスレコード。BCY(びーしーやーと読む)はビセカツ(代表者)の実家の屋号。
ンナルフォンは代表に担ぎ上げられた金城実のミノルをウチナーグチ風に発音するとンナルとなる。メジャーのミノルフォンならず、ンナルフォンてな具合。また、ンナルーには何も持っていない、体身一つという意味もある。BCYマルフクというのは未だレーベル=ンナルフォンが確立されてない頃のレコードだということになるのか。しかし“ん”から始まるレーベルの発音は難しいのでは?   
続きを読む

2008年05月05日

『ハブヒル ストーリー』のヒストリー(久米島)


『ハブヒル ストーリー』のヒストリー
 古き良き隣人たち?が見た久米島


 先日、ボーダーインクの同僚が久米島出張から戻って、「おもしろい写真集があったよ」と一冊の本をお土産に買ってきた。それは久米島自然文化センターが発行している『ハブヒル ストーリー』という写真集。〈ハブヒル〉という地名が久米島にあるのかと思ったら、それは「ハブの丘」という意味なのである。サブタイトルに「駐留米軍人が見た久米島」とある。なんだなんだと頁をめくってみるとそこには古き良き島の風景が詰まっていた……。

 実は、復帰前まで久米島の小高い丘に米軍のレーダー基地があった。そこに配属された米軍人たちは、勤務の傍ら、久米島の風景や集落の様子、そしてそこに生きる島人たちの姿を写真撮影していた。1950年代から70年代のことだ。彼らはその丘の事を、「バブがたくさんいる丘」ということで、〈ハブヒル〉と呼んでいた。沖縄が日本に復帰すると、その丘は今度は自衛隊のレーダー基地となった。それから数十年の時がたち、久米島に駐屯していた元米軍人のひとりジョン・ロンドン氏が、そのころの久米島の思い出の写真を公開するウェブ・サイトを開設する。そこには久米島に配備されていた多くの元米軍人たちから寄せられた写真がたくさんあった。彼らは久米島で過ごした日々をノスタルジックな記憶として大事にしていたのだ。

 そのハブヒルのすぐそばには、宇江城というグスクがあり、久米島町の教育委員会では数年に渡りそのグスクの修復活動をして、またグスクに関する資料の収集に努めていた。その活動の中で、ジョン・ロンドン氏のサイトの存在を知ることになる。グスクに関する情報は得られなかったが、そこで公開されていた写真は資料としても価値が高く、なによりもその風景は久米島の人たちにとっても懐かしいものであった。そこで久米島自然文化センターが主催で、その写真をもとにした写真展を久米島町制一周年記念として開催することになった。その際作られた図録が、この『ハブヒル ストーリー』なのである。

 僕としても初めてみる写真ばっかりなのであるが、なんとも懐かしく感じる。アメリカ世時代の、どこかしらのんびりとした農村風景と、まるで映画のセットのような街角の風景。写真につけられた英語と日本語のキャプションもなかなか味がある。
翻訳を担当したのは、久米島高校の先生と英字新聞部の生徒達だ。例えばこんな感じ…   
続きを読む

2008年04月21日

ryuQ100味4月号『サングヮチグヮーシの話』


気がつけばもう新年度の4月。去年から始まったたこの琉球百科シリーズも早一年である。ボクが担当しているこのコーナーは年中行事の料理を中心に紹介しているけれど、一年で代表的な年中行事と料理をだいたい紹介してきた。なので、今年度は前年度、行事が重なって紹介できなかった年中行事の料理を中心に、沖縄の旬の食材や季節の料理なども紹介していきたいと思う。

とういわけで、4月である。4月といえば沖縄の三大年中行事の一つであるシーミーであるが、去年、このコーナーの第1回目がシーミーだったのである。というわけで今回は旧暦3月の中でもわりと大きな年中行事の「浜下り(ハマウイ)」を紹介するね。


旧暦3月3日はサングヮチサンニチとも呼ばれ、沖縄では女の子だけに限らず若い娘を中心にすべての女性が、ヨモギ餅や色とりどりのお菓子、ご馳走などを重箱につめて海で楽しく過ごす「女の節句」である。浜辺で身を清めることから「浜下り」ともいわれている。

浜下りの始まりは、その昔、未婚の美しい娘が誰とも知らない美青年と恋におちいり、夜な夜な逢瀬を重ねているうち娘は身ごもってしまう。母親は素性の知らない男の子供を身ごもったことに困り、男の身元を確認するため娘に男と会うときに、麻糸のついた針を着物の袖に刺すよう命じた。

翌朝、母親が麻糸をたどっていくと石垣の穴に突き当たってしまい、その穴をのぞくと中には2匹のアカマタ(蛇)がいて、1匹のアカマタの尻尾には針が突き刺さっていたという。穴の中からは2匹の話し声が聞こえ、針の刺さったアカマタが「自分は人間の美しい娘に自分の子種を宿らせたので、針が抜けなくて苦しみぬいて死んでも悔いはない」といった。

すると別のアカマタが「人間は利口だからヨモギ餅を作って海辺におり、飛んだり跳ねたりして波とたわむれて遊べば、海水に清められてお腹の子種は流されてしまうかも」といった。それを聞いた母親は急いでうちに帰り、娘を連れて海に行き浜に下りると娘の体は小さなアカマタが7匹も出てきて、娘の体は海水に清められ、元の美しい体になったという。その日が旧暦3月3日だったことから、女性はこの日に浜下りをして白い波に足を浸すと災厄が払われるといわれ、浜下りが始まったという。


昔はこの日の重箱にヨモギ餅やサーターアンダギーのような味わいのサングヮチグヮーシ(三月菓子)、落雁のようなコーグヮーシ、赤寒天などのお菓子、小豆ご飯のおにぎりや赤飯のおにぎり、豚肉のごぼう巻きや魚のてんぷら、赤カマボコ、白カマボコ、赤く染めたゆで卵昆布巻き、祝いの席に欠かせない花イカといったご馳走が詰められている。   
続きを読む

2008年04月14日

ryuQ100歌4月号『奄美しまうた名盤特集』

ryuQ100歌4月号『奄美しまうた名盤特集』
今回は奄美アルバム3枚を取り上げてみました。奇跡の喉とか地上で最も優しい声とか言われて、最近注目をあびる奄美音楽=しまうた。ここに挙げる3枚は奄美のしまうたの原風景が詰まっている。


奄美大島民謡・南政五郎傑作集*奄美大島民謡・南政五郎傑作集
(セントラル楽器 0-27)

奄美島唄の第一人者・南政五郎(1899〜1985)のアルバムを何時手に入れたのか記憶にない。何年もレコード棚にしまっておいて、ある日、こんなレコードもあったっけ、と針を落として凄いと感じたのは90年代に入ってからであった。何が凄いか、その悠長な節回しには、やはり時代の重さをその吐息から感じることができるということか。戦後の奄美群島の日本復帰(1953)以前に島々を歌い歩いて、島人のアイデンティティ深め、第一人者としての名声を得たが、初レコーディングは10年後。このアルバムはそれから10年後の氏が75歳のとき。前回の録音に新録5曲を加えてのLP盤は聴きごたえ十分だ。


奄美民謡・坪山豊名演集*奄美民謡・坪山豊名演集
(マーキュリーレコード JL-813)

奄美民謡ファンで坪山豊の名前を知らない人はいないだろう。あの有名な「ワイド節」が氏の作曲ということを知っている人は沖縄では少ないかもしれない。その坪山氏が伝統船建造術保持者としてはどうだろうか。ライナーノーツによると、幼少時から三線になじんで育ったが、民謡界へのデビューは42歳を過ぎてからであるという。1972年9月に開催された「実況録音奄美民謡大会」に友人のすすめで出場したのが初舞台。翌年には「坪山豊傑作集」なるアルバムもプレスされてその名が広く知られるようになった。1980年に名瀬市での「第一回奄美民謡大賞」にて大賞を受賞して、坪山節の完成を印象付けたという。その直後のアルバムがそれだ。ワイド節が初々しい。


奄美民謡・武下和平傑作集*奄美民謡・武下和平傑作集
(セントラル楽器 0-32)

坪山豊が遅咲きなら武下和平は早くから頭角をあらわした。16歳で初舞台を踏み、26歳の時には東京にて文部省主催の「芸術祭民俗芸能大会」に出演。その翌年にはファーストアルバムを出している。土着の響きの坪山節に対して華麗な武下節はほんの少し前の両横綱だった。貴島康男や元ちとせなどの若手の出現により、奄美民謡が全国的に知られるようなったが、今の若手のうたしゃ達の出発地点であり、目標が武下和平であり、坪山豊である。もちろん CDのデジタル音源も多数出回っているが、当時のレコードで聴くのも一興というもの。

●小浜 司の『ryuQ100歌』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73392.html
  
続きを読む

2008年04月07日

ryuQ100冊4月号/ある意味「ミスター・沖縄県産本」


 気が付けば、風がやふぁやふぁとしてきた。四月である。季節はといえば、うりずん。いろいろな社会的な節目にこの季節が選ばれたのはよく分かる気がする。降雨が地に染みわたり、大地は潤い、新たな生命が芽吹き始める。何かが始まるにふさわしい気が満ちているのだ。この「ryuQ」も、一年前にスタートした。「四月三日なんです」と、沖縄ウェブ界のキジムナーことスタッフのKUWAさんが教えてくれた。満一歳を迎えた訳ですね。なにかカリーをつけないといけないですな。

 ryuQぬブログや ばが島ぬ恵み うりずんぬぐとぅ 染みて咲ちゅさ

 なんちゃって琉歌、なので意味は不明であるが、とにかくおめでとうございます。今後とも末永いお付き合いのほどを読者ともどもよろしくお願いします。

 今回紹介する本は、うりずんとも一周年ともまったく関係ないので恐縮だが、しかたない。去年の年末に出版されて、さっそく紹介しようとしたら、本がどこぞに紛れ込んでしまい、冬の間中、ずっと探していたのだ。春になり、本棚からひょっこり顔を出していたのをようやく見つけ出した。ゆい出版が実に久々に出した『カンタン家庭で作れる薬膳みそ』(知念美智子著)である。

 食育研究家の著者が、長年の研究・実践の中から作り出した手作り味噌「沖縄薬膳みそ」のすべてを伝授する内容で、〈本書が、食育について考え、健康の基本である「食べる」、それも「何を」「どのように」「誰と」食べるかを考えるきっかけになれば〉ということだそうだ。「沖縄薬膳みそ」の作り方がとにかく懇切丁寧に説明されている。しかし全体的に実にざっくりとした、沖縄県産本らしい実用書である。しかし僕が紹介したいのは、実はその味噌ではなくて、この本の版元「ゆい出版」である。   
続きを読む
タグ :新城和博

2008年03月24日

ryuQ100花3月号:沖縄・生めば都!子宝をもたらす植物?

ryuQ100花3月号「沖縄・生めば都!子宝をもたらす植物(!?)」
沖縄は日本一・子沢山な県だ。夫婦に3〜4人の子どもがいても別段驚きでもない。
結婚して11年間子宮が空室になった事がないと自慢げに話す友人がいるが、とにかく会う度に赤ちゃんをダッコしているか妊腹なのである。彼女から来た今年の年賀状には「今年から産児制限します」と、年頭の挨拶には似つかわしくないコメントが書かれ、その背面には、ウジャウジャいる子ども達と赤ん坊に髪の毛を引っ張られつつも、満面笑みを浮かべ座っている彼女がいた。

とにかく沖縄って子どもに大らかな島で「生めば都」というか「みんなで育てるサァ」精神で一族や近隣で子どもを育てていく、いわば、子育てが終わってヤレヤレの時代が訪れにくい島である。
その彼女であるが、結婚前に「子宝草」という多肉植物の葉っぱを石垣島土産にもらったそうだ。ご利益たっぷりのその葉を分けてもらったが、我が家ではすぐにしおれ、いつの間にかミイラ状態になっていた。(名誉のためにいっておくが、説明通りに育てた…)

子宝草は、カランコエの仲間で葉っぱの脇に小さな子葉っぱをたくさんつける植物で、子株をたくさんつけた様子から「子宝草」の名前がついたと思われる。
沖縄では、ハガキ大のビニールに入れられてみやげ物として売られている。また、結婚の御祝儀カードに子どもに恵まれますようにと、添えられる事も多いそうだ。

「2人しか生まないねぇ」
と、周りの諸先輩方にため息をつかれる私なんか、彼女のあの姿は慈悲あふれる観音菩薩のようで真似どころか想像すらできないプロジェクトであるのだ。

沖縄で子孫繁栄的植物「ターイモ」
とにかく、沖縄には「子孫繁栄植物」がたくさんある。それは…   
続きを読む

2008年03月17日

旧歴2月で唯一クヮッチーが、彼岸のクヮッチーだ

旧歴2月で唯一クヮッチーが、彼岸のクヮッチーだ
 3月は沖縄でクヮッチーを食べるチャンスが少ない。年中行事といえるものがないわけではないが、旧暦の2月は集落単位や地域単位の大きな行事や屋敷の願い事などをして、大々的のクヮッチーを作って神様を迎えるという行事ではないからである。

 主な3月(旧暦2月)の沖縄の年中行事といえば「ヤシチヌウガン(屋敷の御願)」。旧暦の2月と8月の吉日(新暦だと3月11日と9月3日から数日間)に行われる行事で、自分の住んでいる屋敷の土地神様を廻り、家内安全を感謝し、家族の健康と子孫繁栄、円満な生活を願うもの。この日は朝から敷地内や屋内を掃き清め、果物や御米、御酒などをビンシーと呼ばれる小型の祭祀用具入れ、いわば携帯用御願セットと一緒に持って屋敷の四隅や井戸、玄関、便所、屋敷の中央を祈っておしまい。とくにクヮッチーなど準備せず、昼食や夕食は普段食べているメニューが食卓に並ぶだけである。

 また、旧暦2月15日(3月22日)は「二月ウマチー」があるけど、穂が順調に実ることを願ってお酒を仏壇やヒヌカンに備えて五穀豊穣を願い、収穫のための物忌みを行いこれといったクヮッチーもなく、賑やかな「六月ウマチー」に比べると、どちらかといえば地味な行事である。あまつさえ、二月ウマチーそのものがない地域もある。

 地味な行事といえば、旧暦の2月から4月のかけて「クシユクイ」という行事もなかなか地味な行事である。クスユクイには「腰憩い」の漢字が当てられ、もともとは田植えや種まきなど主要作物の植付けや収穫といった大きな農作業を終え、村中が申し合わせて慰労をかねて一日を休養日に当てることいっており、かつては唄三線を楽しんで豪農から酒やクヮッチーがふるまわれたという。近年では田植えだけではなく、サトウキビの収穫後に行ったりするが、今では、生活の多様化で農村部が一斉に休むこともなく、酒をふるまわれることもなくなった。が、会社単位や家族単位でこの時期に、慰労会を行ったり仏壇に手を合わたりするという。

 他にも、主に旧暦2月に行われる「シマクサラシ」という行事は、集落に疫病やヤナムン、マジムン、魑魅魍魎といった悪いもの入らないように、アッチの世界とこっちの世界とに境界線を引く行事である。   
続きを読む

2008年03月10日

厳選・沖縄音楽『ryuQ100歌・3月号』

厳選・沖縄音楽『ryuQ100歌・3月号』
荒木栄代表作品集」音楽センター MLS-1001
 「沖縄を返せ」という歌をご存知でしょうか?もちろんですよね。では、誰が作って誰が歌ったのでしょうか?やはり大工哲弘?いやいや、実はこの作品は“うたごえ”が生んだ労働者作曲家「荒木栄代表作品集」というLPの16曲の中の一曲であります。A面の5番目に収録されております。作詩は全司法福岡高裁支部が担当したということです。ライナーノーツによると、1956年、第3回九州のうたごえ祭典(大分市)で九州最初の創作発表会が開かれ、大衆投票で第1位となった「沖縄を返せ」の歌が暗すぎるという声が出たため、全九州合唱団会議の要請によって作曲者が同じ詩を行進曲ふうに改作したものということです。
 私個人的にはどうも好きになれない歌詞とリズムではありますが、大工哲弘などが歌うとなぜかつい口ずさむほど時代の流れのなかで歌われたものだということを認識せざるを得ません。

あじさい色の雨がふる」歌・流さとし ウインザーレコード AW-0015
前回沖縄演歌と関連のあるレコードを3枚掲げましたが、私が最初に手に入れた演歌のレコードを紹介するのを忘れていました。流さとし(現在・琉智)歌う「あじさい色の雨がふる」であります。沖縄の日本復帰に確か前年、街には「沖縄を返せ」の歌が響き渡る頃、私はまだ中学生でありました。家業のクリーニング屋を手伝わされていた時、確か琉さとし本人だと思いますが、訪問販売で売り歩いているのを母に買ってもらったのです。後に私は彼の30周年記念コンサートの舞台監督をつとめるのですが、その時の打ち合わせで私が氏のレコード持っているがジャケットを失った事を伝えると、数少ないかつての一枚を持ってきてくれました。

●小浜 司の『ryuQ100歌』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73392.html
  
続きを読む

2008年03月03日

地元新聞連載に注目『挑まれる沖縄戦』『がじゅまるファミリー』

地元新聞連載に注目!『挑まれる沖縄戦』『がじゅまるファミリー』
 春先になると、出版社には原稿や企画の持ち込みが多くなる。自費出版の相談とか。春は地中に蠢いている虫たちも地上に出てくる、なんていうから、人の思考・行動にもなんらかの影響があるかもしれない。
 一転して実際の県産本の新刊となると、実は例年だとこの時期、比較的おとなしく刊行点数も少ないのだが、今年はかなり賑やかそうです。特に、新聞社系の出版物! ということで、今回は、永遠のライバル、沖縄タイムス社と琉球新報社のそれぞれの春のイチオシ本をとりあげてみませう。

 沖縄タイムス社が満を持して刊行したのが、『挑まれる沖縄戦「集団自決」・教科書検定問題報道特総集』(沖縄タイムス社編)。去年沖縄県全体で盛り上がった「教科書検定問題」は、地元の新聞社が行った報道キャンペーンが牽引していった部分がかなりある。そしてその問題の根は深く、去年突然起こったことではない。この本は、二〇〇五年から沖縄タイムス紙上で始まったキャンペーン報道のドキュメントを再編成し論点をまとめたものだ。まずその総量に驚く。その多くは僕も新聞で読んだはすだが、こうして一冊にまとめられることにより、改めてこの問題が今の沖縄県民にとってより重要なことであることを実感させられる。

 内容では個人的に「ll ルポ・証言」に目がいった。これは岩波・大江裁判・「集団自決」問題でクローズアップされた、慶良間諸島の「集団自決」について、当事者である住民の証言をまとめたものだ。僕の両親もこの島々で「集団自決」の当事者であることもあって、連載中も欠かさず読んでいた。

 この住民の証言をまとめる、ということで想起されるのは、五七年前、沖縄タイムス社が出した『鉄の暴風』である。戦後、沖縄でまとめられた最初の本である。まだ沖縄戦の記憶も生々しい頃、沖縄タイムスの記者が住民達の声を取材しまとめたものだ。「集団自決」という言葉もこの本から生まれた。今まで続く沖縄戦のイメージの源流となる本だ。そして今でも本屋に並んでいるロング・ベスト・セラー。今回の『挑まれる沖縄戦』は、その続編と考えてもいいかもしれない。同じタイミングで岩波新書から、沖縄タイムスの謝花直美記者による『証言 沖縄「集団自決」 慶良間諸島で何が起きたか』も刊行されているので、合わせて読んでおきたいところだ。

 一方、琉球新報社からは、朝刊で二〇〇四年から好評連載されている四コマ漫画「がじゅまるファミリー」の第一巻が刊行された。作者のももココロさんは、普通の沖縄県民だったのが、突然一念発起「地元新聞の四コマ漫画家になる」と宣言して、一年間作品を描きためて琉球新報社に送ったところ、採用となり連載が決まった、という、   
続きを読む

2008年02月25日

ryuQ100花2月号「住んでいる土地の土に生かされている」

ryuQ100花2月号
「粗物上戸は、胴頑丈さん」=「粗食は体を丈夫にする」

「そして人間は住んでいる土地の土によって生かされている」

我沖縄県男子諸君は、誇たる長寿ナンバー1だったのに、26位に下がってからというもの「メタボ、メタボ…」と呪文のように唱えては、まるで臨月様の腹をさすっている。
スポーツジムの帰りには、居酒屋で打ち上げをして今日の反省と明日への「メタボ」解消へ夢をかけて乾杯するのだ。
そして、そこでの話題といえば、メタボをどう克服するかの議論を展開させ、自慢の腹を酒と肴でもっと膨らませて帰宅するのである。
知り合いの内科の医師は「本人の自覚がないとメタボは解消できないんです。どんなに、検査データーを見せて説明しても日々の生活の反省をしない。これじゃ、長寿ナンバー1なんて返り咲けるわけがない」と、嘆いていた。
加えて、沖縄の人間は、DNA的に長寿と思い込んでいる節があるという。

肉なんて、とても特別な時でなければ食べられないような時代を、我々沖縄の祖先は歩んできた。
100歳を超えるお年寄りに若い頃の話を聞くと、
「芋の葉を食べていた」とか「食べるものなんて葉っぱ以外なかった。肉なんて行事の時にしか出てこなかった」など。

今で言う、ダッシュ食生活だ。その上、農業で肉体労働をこなしている。つまり、血管に油や余分な栄養素が溜まる暇がないのだ。摂取した栄養素は労働によって消費されていく。
その上、沖縄の水はミネラルが豊富で血管をやわかくするといわれている。
これらから沖縄の長寿は確立したものの、現在に至ってはどうだろうか。アメリカ世になってから、脂肪たっぷりの食生活、移動には車がかかせない。
こうなっちゃぁ、皮下脂肪だけじゃなく血管にも脂肪が蓄積され、いわゆる「26ショック」になり、短命へのカウントダウンがはじまるのである。(沖縄のオジィをタンメーというが……まさか???)

そうそう、血管に詰まった油は簡単には落とせるものではないらしい。
血管壁に浸透するようにはびこり堆積されていくっていうから怖い。
人類創世来、ヒトは常に飢餓との闘いで、脂肪をためる体を作ってきたといわれている。現在のような飽食にヒトの体はまだついていっていないのだ。
今の飽食の生活にヒトの体がついていくのには、人類創世から今日までと同じ長い時間を要するといわれている。

前置きが長くなってしまったが、沖縄はかつて長寿の邦であった。
それは、食生活からきていたのだが、それが崩れてきているにもかかわらず、沖縄県以外の人は、今の沖縄の食は長寿食と勘違いしているのかもしれない…   
続きを読む

2008年02月18日

ウチナーソーガチ(旧正月)でクヮッチーサビラ(いただきます)


新年明けましておめでとう。イーソーガチデービル(いい正月ですね)。

3月も近いというのに、「何がいい正月デービルだよ」と思った人もいるかもしれないが、沖縄で2月の大きな年中行事といえば…、そう、バレンタインデーである?!(違うよね?)

朝、お袋が島ウコー(線香)に火をつけて、ウブチダン(御仏壇)にウチャトー(御茶湯)をウサギティ(お供え)して、トートーメー(位牌)に向かって「ウートートゥ、チューヤ、ばれんたいナトーイビークゥトゥ、ワッターマナブーが、イナグングヮからマギサルちょこれーとグヮー、ウホークイーティチ、ついでにンゾーサルイナグングヮげっとナイルクトゥ、ミーマンティクィミソーリ、ウートートゥ(直訳すると、今日はバレンタインデーだから学が大きなチョコレートをたくさん貰ってきて、ついでに可愛い子もゲットできるよーに)」とご先祖様にお願いをして〜っていうか、バレンタインデーは沖縄の年中行事じゃないし、お袋もバレンタインではウートートゥしないってば!

もとい、2月(旧暦の1月)の大きな行事といえばズバリ旧正月及び関連行事である。今年の旧正月は2月7日でもう過ぎてしまったが、関連する行事では2月22日(旧暦11月16日)にグソー(後生)のソーグヮチといわれる「十六日祭(ジュウルクニチー)」、26日(旧暦1月20日)の「二十日正月(ハチカソーグヮチ)」がある。ちなみにボクが子供のころ、親父の世代は新正月を大和正月、旧正月をウチナーソーグヮチといっていた。明治になって日本が旧暦から新暦に変わったのに対し、沖縄ではずっと旧暦が生活に密着していたため、行事も旧暦を使って行っていたからそう呼んだのあろう。

そのウチナーソーグヮチであるが、今では那覇や浦添市、宜野湾市の都市部ではでほとんど見られなくなり、いわゆる「絶滅危惧行事」になっているが、それでも南城市や南風原町といった農村部では今でも旧正月を行っている。さすがに旧正月オンリーということはなくなったが、糸満市では今でも頑なに旧正月に重きをおいている家が多いという。何故かといえば糸満市は自然を相手にした漁業の町、海人の町だからでである。漁と季節が密接に関係している海では、自然の流れに密着した旧暦が必要不可欠だからといわれている。沖縄の季節は旧暦どおり動いているといっても過言ではないのである。ところで…   
続きを読む

2008年02月11日

ryuQ100歌[2月号]は『♪沖縄演歌特集』

ryuQ100歌[2月号]は『♪沖縄演歌特集』
今回は、沖縄演歌をテーマにしたレコードを3点あげてみました。

「海洋博ユンタ」三橋美智也 「オキちゃんマーチ」今陽子
 キングレコード K-108

 沖縄の演歌人口は多い。私の母など沖縄島唄はほとんど聞かないが、演歌、得に三笠優子のファンで、私に対して「お前は若いのに民謡なんか聞いてどうするのか」といつもたしなめていた。演歌のカラオケ教室は結構繁盛しているようだし、レコード会社の専属演歌歌手のメシのタネには困らないようだ。沖縄出身の演歌歌手も他府県と比べると人口密度からすると上位にランクされるのではないかと思う。昭和40年代後半、すなわち日本復帰から海洋博にかけて沖縄県内において沖縄音楽が盛んになった。民謡はもちろんのこと、沖縄を題材にした演歌も盛んに歌われ、沖縄出身の演歌歌手が多数現れ沢山のレコードが出回った。もちろん中央の歌手も沖縄をテーマにした歌を歌った。美空ひばり、島倉千代子などの有名どころも競って歌ったりした。

 ここに紹介する「海洋博ユンタ/オキちゃんマーチ」はA面に三橋美智也歌う、海洋博(作詞・横井弘作曲・遠藤実)B面に今陽子歌う、オキちゃん(作詞・あさひな知彦作曲・小林亜星)と当時とすれば相当な売れ筋路線だ。オキちゃんマーチは海洋博のいるかのオキちゃんショーのときに流れてよく耳にした覚えがある。

「糸満浜育ち」歌・山内たけし
 ビクターレコード TES-1002

 故嘉手苅林昌らとならぶ戦後民謡歌手の巨人の一人である山内昌徳の二代目・山内たけしは鳴り物入りで演歌界にデビューした。今風に言うとイケメンでスタイルがよく、声も良ければ二代目サラブレッドというところだ。マルタカレコードも結構力を入れていた。時代は沖縄島唄も沖縄演歌も受け入れる素地はなかったようだ。ともあれ「糸満浜育ち」今聞いてもかつてラジオから流れた懐かしさがこみ上げてくるのはなぜだろう。

「沖縄天国」歌・南株間(ナン スーチェン)
 ミノルフォンレコード PR-172

 先日、我が島唄カフェいーやーぐゎーにて、城間ヨシ・バースデーライブ「トーカチに歌う」というライブを催した。88歳のヨシさんの歌声には聴いているお客全員がひれ伏すほど歌えば歌うごとに力強くなっていった。三度のご飯より歌うことがすきで歌こそが若さの秘訣という彼女の言葉には説得力があった。

 南株間歌う「沖縄天国」、1984年のプレスというが彼に関する素性などの情報は私は持っていない。しかしこの歌は一度皆さんに聞かせたいと思うレコードの一つである。歌詞を少し紹介しよう。
 ♪めんそーれと鳴く こおろぎ横丁 待っていたわと 松山横丁
  若さにまかせて 若さの通り 年貢納めは 高砂殿
曲もなかなかなものですぞ!

●小浜 司の『ryuQ100歌』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73392.html   
続きを読む

2008年02月04日

「沖縄県産本ニュース NOW&THEN」

ryuQ100冊2月号「沖縄県産本ニュース NOW&THEN」
 先日、「輝け! 2007年沖縄県産本大賞」の選定が行われた。沖縄県の出版に関する賞としては、沖縄タイムス社が主催する「沖縄タイムス出版文化賞」が県内に広く知られているのだが、こちらは、その存在を知るものは、あまりいない……だろうなぁ。
 実は「沖縄県産本大賞」とは、県内の出版社が数多く参加する「沖縄県産本ネットワーク」の事務局を中心とする編集者数名が、年の初めに突発的に集まり、前年に出版された「県産本」の中から数点選び出し、この本はとっても上等だった、よく出来ている、おもしろかったと、かってに一方的にいろんな賞をあげるというもので、権威的なものは一切はないが、まぁ面白いじゃないの、というものだ。県産本編集者が、自分たちの県産本を褒めるという、いわゆる「どぅーふみー」な企画である。
 なぜこれがよく知られていないかというと、発表される場が『沖縄県産本ニュース』という、これまた知る人ぞ知るフリーペーパーだからだ。ネットワーク会員の出版社が出した新刊紹介を主な内容としていて、一応隔月刊だ。編集者や関係者による寄稿エッセイや、その時の沖縄出版界の話題に関するコラムや版元探訪などの企画物が載ることもある。そしてもちろんフリーペーパーには欠かせない! 四コマ漫画も付いている。創刊は1994年で、2008年1月に56号が出たばかりだ。これまで、ほぼ621点の本を紹介している。登場した版元は、たぶん48社。「県産本」を世間にアピールすべく、県内外の書店や関係各位に配っているのだが、皆さんは目にしたことがあるだろうか。県内のだいたいの書店には店頭に置いてもらっているはずなのだが。見つけたら人見知りせず、遠慮せず、もらってください。

 しかし「沖縄県産本ニュース」も、もう14年目になるのだなぁ。ふとバックナンバーを読み返してみた。
 記念すべき第1号には、なんとあの中江裕司監督がエッセイを書いている。しかも編集者として。そうなのだ、実は中江さんは、かつてあの伝説の沖縄ローカルの月刊漫画雑誌『コミックおきなわ』の編集長だったのだ。
 その頃は、パナリ本舗という自分たちの会社で『GARVE』という雑誌を出していた。今、桜坂劇場などに関わるプロデューサー・Nさんが編集長だった。当時、国際通りにフェスティバル・ビルというのがあって(現OPAビル)、そこで映画を上映したり、ライブをしたり、著名人のトーク・ショーなどができるスペースがあって、パナリ本舗はその運営にも関わっていたはず。たしかその一環に発行されていたのが、『GARVE』だった。誌名の由来は、ガープ川である。あの頃、国際通りの「沖縄ジァンジァン」が閉まり、「リウボウ・ホール」では、ウルトラマンの父・金城哲夫展が開かれていたなぁ。『GARVE』はそうした沖縄サブカルチャーのディープな部分にこだわった特集を組んでいた、かなりかなり褒めていえば、『Switch』のような雑誌だった。何号まで出していたかなぁ……。なるほど、考えてみると、今ある桜坂劇場というのは、その時やろうとしていたことを展開しているのだなぁ。
 最初に紹介されている県産本は、『アロハ 沖縄人PW』渡久山朝章著、ひるぎ社の本である。「おきなわ文庫」シリーズでよく知られ沖縄出版界に名を刻んだひるぎ社も、今はない。しかし「おきなわ文庫」の幾つかは、今も那覇空港の売店に並んでいる。

 我がボーダーインクはというと、シマーコラムマガジン『Wander 14 ふぁむれーうたぬぐとぅく号』が紹介されている。「沖縄雑誌名鑑ふくぁんじぇんぶぁん(不完全版)」が特集だった。当時たくさんあった沖縄関係の雑誌を例によってなんでもかんでもコラムで紹介していた。『Wander』は、2005年、38号を持って終刊した……。

 さすがに14年前のことを振り返ると、こうなってしまうのだなぁ。これまでの歩みをざっと振り返ろうとしたが、どうやら無理があるようだ。またいずれの機会にちゃんと整理してみよう。
 みなさんも、書店などで「沖縄県産本ニュース」を見かけたら、ぜひ手にして持ち帰ってください。14年後には、とってもいい資料になっていることでしょう。(文・新城和博)

●新城和博の『ryuQ100冊』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73391.html

プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
ボーダーインクHP:http://www.borderink.com/
  

2008年01月28日

ryuQ100花・1月号『クワディサー』(モモタマナ)


2005年に出版した『沖縄の庭を見直そう 琉球ガーデンブック』(ボーダーインク刊)のきっかけになった木だ。
それまで沖縄の植物に関する云い伝えはおもむろに聞いてはいた。
どれも皆「フーン…」という感じだったが、ある設計士から「クワディサーは、家に植えるのを昔の人は嫌がりましたよ。人の泣き声を聞いて大きくなるんですもんね。」
こともなげに言ったその台詞が衝撃だった。水や肥料ではなく、泣き声を聞いて大きくなるぅ!?
そういえば、お墓に植える木だってウチのバァちゃんも言っていたなぁ。
お墓でシクシク泣く未亡人を見ながらうれしそうに大きくなるのだろうか…?
い、いやらしい木だ。
そう思いながらも、無性にこの木について取材をしたくなった。
こういう時は、お年寄りに聞くのが一番!

てなわけで、お年寄りに遭遇する確率の高い病院はもちろんのこと、もやしのひげをとっている商店のおばぁさん、御嶽でウートートーしているおばぁさん、私がお年寄りと認定した方々に直撃インタビューをした。「クワディサーって…」の質問に「ああ、泣き声を聞く木ね」って。
「!」うれしかった。

クワディサーは、別名『ももたまな』『コバテイシ』
シクシン科の大木で、落葉樹である。手の平大の大きな葉をつけ、枝は横に広がる性質を持っている。横にかなり広がるので緑陰樹として墓地によく植えられ、沖縄の強烈な太陽光線からご先祖様をお守りしているのだ。沖縄では、旧暦の3月の清明の季節に「シーミー」という行事が行われる。一族郎党でお墓を清掃し、その後お墓の前でご先祖様らと楽しい会食をするのだ。お弁当を広げて生きている人もあの世の人もピクニック気分でお墓で過ごす行事である。

その年、私はさっそく仕入れたばかりのネタを親戚一同に披露したくなった。
口を開こうとしたそばから叔母が、
「あの木はクワディサーといってね、33年忌が終わったら骨を骨壷からこぼして土に返すさーねー、その骨の栄養を吸って大きくなるからお墓のクワディサーはご先祖様と一緒だよ。みんなを見守っているよ。大事にしないと。」
「へええ!!」。
今度は、高校生だった娘が、
「先輩が学校のクワディサーには、どんなに暑い日でも3年生になったら近寄るなっていってた。泣き声が好きだからって。受験には泣きたくないジャン!」
「へええ!」
わが娘よ!案外かしこいじゃん!ってな親ばかな事を考えつつ、こりゃ記事にしようと思い立ったわけですな。

沖縄の植物の云い伝え。
クワディサーをきっかけに芋づる式でネタが出てくる出てくる…。
庭だけじゃなく、沖縄の植物は本土では、観葉植物として流通しているので、植物を選ぶ際の参考に一冊いかがでしょう。

それからもクワディサーという木は、いろんなところで目に付くようになった。

健康食品店の前で、
「悩む男性の救世主!コバテイシ(クワディサーのこと)強い男を作ります。夜の自信におススメです!」

民芸店のまえで、
「モモタマナ(くわでぃさーのこと)染め。シックな茶色が落ち着きを感じさせます」

そして、昨夜、
「ウルトラマンの顔ってさ、クワディサーの実をデザイン化したんだよ。」
新しいネタである。

ウルトラマンの生みの親・金城哲夫氏は、こよなく平和を愛し、争いを否定した人だったそうだ。

金城氏は、ウルトラマンの顔を作るとき、故郷沖縄で見た「クワディサー」の云い伝えを思い出したという。たくさんの想いを込めてクワディサーの実に目をつけたのだ。

争いで泣き声を増やして欲しくない。
正義の味方こそ強い男である。

子どもへ正義のメッセージを伝えると共に、大人へは平和のメッセージを伝えたかったのである。
人の泣き声を聞いて大きくなったクワディサーの実は、強い正義の味方・ウルトラマンに変身し、人の泣き声を「うれし泣き」にしたくてこの世に生まれてきたヒーローなのだ。

ウルトラマンの最終回から数十年、クワディサーつながりでようやく見えてきたウルトラマンの素顔。
子ども達にも伝えていかなくちゃ!


プロフィール:比嘉淳子(ひがじゅんこ)

2児の母。すっかり“沖縄のおばぁ”的存在になりつつあるこの頃。
『沖縄オバァ列伝・オバァの喝!』『オジィの逆襲』(双葉社刊)、『琉球ガーデンBOOK』『よくわかる御願ハンドブック』(ボーダーインク社刊)、『琉球新報・うない』『琉球新報・かふう』のほか、新刊『沖縄オバァ列伝・オバァの人生指南』(双葉社)が発売中。


(協力:oNLINE 植物アルバム)