2008年06月26日
むとうありさインタビュー「確かなモノ」

県内の国民年金のCMソングとして使用された『心の音沙汰』で話題を集めた“むとうありさ”さん。順調に活動を続けていましたが、突然病魔に襲われ闘病生活を余儀なくされました。周囲の人の励ましや、かけがえのない人との出会いもあり、病を見事克服。その後創作活動を再開し、今回発売した1stフルアルバム『確かなモノ』をリリースしました。100曲を超える書きおろし作品の中から選ばれた曲への想いについて伺いました。1stアルバム作成までの軌跡
——今回のアルバムは沢山書かれた中から選ばれた書下ろしから選ばれたそうですね。
むとうありさ:はい、創作活動を開始し、日常生活のふとしたことから闘病時の苦しさ、大切な人への想いが詰まったアルバムになりました。
——今回のアルバムも沖縄先行リリースですが、活動の拠点を何故沖縄にしようと思われたのですか?
むとうありさ:アメリカ留学時、同期に沖縄出身の男の子がいて話をよく聞いていました。初めて訪れた時から違和感なくとても落ち着いて過ごせる場所で、なんだか沖縄に呼ばれた感じです。——県内のCMソングにも使用された『心の音沙汰』のミニアルバムも発売するなど精力的に活動を行い、東京に上京し「これからますます活躍」というときに病魔に襲われてしまったそうですね?
むとうありさ:はい、石灰沈着という手に激痛や腫れを伴う病気やガン、原因不明の病気にかかってしまいました。手術は決まっていたのですが、余命も短いかも…と医師に宣告されてました。
闘病生活と出会い
——闘病生活がはじまったと同じく大切な方との出会いがあったそうですね?
むとうありさ:病気が完治しないのであれば自分の好きな沖縄に戻ろうと思っていたときに以前一度だけ一緒に仕事をした沖縄在住の今の主人から「元気?」と偶然メールが来たのです。それからお付き合いが始まりました。
——お付き合いがはじまってから何かが変わりましたか?
むとうありさ:病気にかかるとやはり考え方もナーバスな方向になったりとても不安になる事が多かったのですが、主人がそばで「大丈夫」と声をかけてくれるとと ても安心出来ました。誰かがそばにいてくれる事のありがたさが実感できました。そして、プロデューサーの入江さんも「絶対あきらめるな。音楽もやめるな」と励まし続けてくれたのがとても心強かったですね。
——そして病気を克服されてゆかれたのですね?
むとうありさ:周囲の人たちのおかげと沖縄の気候や風土に癒されたのか、病気がすっかりよくなったのには驚いてしまいました。皆さんには感謝しています。
そして活動再開
——活動を再開するにあたって入江氏を訪ねたのは?
むとうありさ:病気になる前に元YMOの第4のメンバー・松武秀樹氏によるLogic System25周年アルバムに楽曲を提供しボーカルで参加した事がありました。Logic Systemの編曲家であった入江さんはそれからのお付き合いでしたが、闘病中もずっと励ましてくれていたので、アルバムを一緒に作るには「彼しかいない」と思っていました。——それから数百にも及ぶ書下ろしが作られたわけですね…?
むとうありさ:そうですね、やるからには妥協したくなかったので…。とにかく心の中にある感情を全て出しつくす感じで作りました。入江さんからも「やる気ある〜?」などはっぱをかけられたりして(笑)。今回のアルバムはシンセサイザーに松武秀樹さん、ギターに古池孝浩さん、ピアノに倉田信雄さんや中西康晴さんなど素晴らしい方々が参加してくださったのでとてもやりがいがありました。
——日常的なことから恋する気持ちなど様々なことを歌い上げる曲の中でも『壊れた翼』は一番自分に近い曲だそうですが?
むとうありさ:これは病気の時の気持ちを表現しているのですが、通院しているとき自分よりもっとつらい痛みに耐えている人に出会い「自分の痛みなどまだまだ」と感じたり、しっかり支え続けてくれている人がいるおかげで、また飛び立てるように回復するのではと希望も持つことが出来ました。現在病気と闘っている方にも聞いていただいて少しでも心の支えになってくれればうれしいです。
——様々な恋愛や出会いなどの人間模様を表現した『月光』や『月になりたい』など月にかかわる曲もありますね?
むとうありさ:ずっと太陽のように明るくというのはとても大変です。エンジン全開の情熱を注ぐのではなく穏やかに、でもしっかりと暗闇を照らす月のような存在でありたいと思っています。
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2008年06月13日
「すべてメッセージソング。地球へのラブソングです」しまだあや

石垣島の白保にルーツをもつ若手シンガーソングライター・しまだあや。'06年『NHKみんなのうた』にて、シングル『花風車の森』でデビューし、ちょうど2年。
「全曲すべてメッセージソングで、それは“地球へのラブソング”です。」というファーストフルアルバム『しあわせ』をリリースした。CDジャケットは著名な造形作家として知られる島添昭義氏が、初めてCD向けに制作したという作品で、特製の紙パッケージに仕上げられている。
そのオリジナルアルバム『しあわせ』について、しまだあやさんから直接メッセージを伺いました。
●心あたたかくなる歌が琴線にふれて、ちょっぴり切ない
——心があったかくなるような歌なのに、ちょっと切ない。そんな感じの作品がいっぱい詰まっているアルバムですね。
そして、タイトルに『しあわせ』とつけた想いを聞かせて頂けますか?
しまだあや:今回のアルバムは、これまでいろんな方々と出会い、みなさんと一緒に紡いできたことを感謝をこめて作品にしようと思いました。自分はもちろん、まわりもみんな「しあわせ」であって欲しいという気持ちをタイトルにしました。
●「しあわせ」が原点なので、あえて言葉にして歌いたい
——カタカナの“ハッピー”でなくて、ひらがなの“しあわせ”というのが優しい響きですね。
しまだあや:ライブでは、みなさんが笑顔で聴いてくださったり、涙を流してくださっていたり。そんなふうに、お客さんの顔がよく見えたり、心が見え隠れしたりしていたりと、それがライブで歌っていて一番好きなところです。
歌うということは、私にとって“出会い”だったり、“しあわせ”を感じられる瞬間だったり。いつでも“しあわせ”が原点にあるんです。それに「しあわせ」という言葉は、普段は口に出してはあまり言わないですよね。だから、あえて歌いたいんです。
そしてその言葉をはじめ、日本語の響きを大切にしたいと思っています。
——そうやって言葉にするのは遠慮してしまうところを、歌で気持ちを表現されているのですよね?
しまだあや:そうですね。歌は自分を表現するもの。歌を歌っていると、体調的にも精神的にも元気をもらえたりするんですね。それが不思議だなと思っているところです。
●歌は、みんなと共有できるもの
——発しながらチャージ(充電)している、そんな感じでしょうか?
しまだあや:音楽を届ける相手が、(例えば)人ではなくて“場”であっても同じですね。循環している感じです。
それから、曲を作る時は、オブラートに包まずに率直に作るんですね。それが聴き手によっては、ストレートに心に響くのかもしれません。
歌詞の内容に、多くの人がいっしょに共有できるものもあると思うんです。
例えば、もし悩みを抱えている人がいたとしたら「自分だけじゃないんだよ」「人間はひとりだけじゃないよ」って、歌を通して語りかけたいと思います。
また、6曲目の『一歩近づいてまた一歩』の間奏には、沖縄の島言葉(しまくとぅば)や奄美(語り: 朝崎郁恵さん)の島口(しまぐち)をはじめ、世界各国の言語で語りかける言葉が流れてきます。
それから沖縄といえば、2曲目の『はじまりの唄』という作品ですが、以前沖縄に暮らし初めて間もない頃に、朝焼けをみた時に感じた“沖縄”を歌にしてみたんです。
●石垣島の白保は、私にとって特別な場所
——沖縄には、どれくらい住まわれたのでしょうか?
しまだあや:まるまる1年くらい沖縄本島に暮らしていました。じつは、私の母が石垣島の白保出身なんですね。白保は石垣島の中でも特別に感じる場所なんですよ。もちろん、私のルーツでもあるんですが、
石垣島にはまだ暮らした事も無いのに、そこにずっと居たような、体はそこにいなかったのに心(魂)はその島を深いところで知っているような、そんな不思議な感じですね。
島は私にとって心の拠り所になれる場所で、自然体でいられる場所なんですね。
10曲目の『母ぬ島風 〜 白保節』で白保の民謡を歌っているおじいちゃんの歌声が、じつは私の祖父なんですが、
民謡を歌うことが大好きで、“歌うということの本来のありかた”を私はおじいちゃんから教わりました。
——その『母ぬ島風』という歌は、八重山出身のお母さん宛に贈ったお父さんの詩と伺いました。ロマンチックですね。
しまだあや:母は高校を卒業後に上京してからずっと東京に暮らしているんですが、とくに若い頃はそんなにしょっちゅう帰島できなくて、きっと寂しい想いをしていたと思うんです。それを支えていたのが父だったんですね。
父は昔から詩を書くのは好きだったみたいなのですが、とてもシャイな人なので、どんな詩を書くのか私はみせてもらったことは無かったんです。
ある日、私のピアノの上に、新聞のチラシ広告のウラに書かれた詩がぽつんと置かれていたんですね。それは見覚えのある父の書体でした。
もう嬉しくて、その晩のうちに曲をつけました。父の想いを作品にして残したいと思ったんです。
●おばあちゃんがいたから、おかあさんがいて、そして私がいる
——その曲は、おじいちゃんが歌う八重山民謡の『白保節』へとつながってゆきますね。父と子とおじいちゃんと3代にわたって一曲を紡いでいますね。
しまだあや:そして、その『白保節』のお囃子を歌っているのは祖母なんですよ。
おばあちゃんの先祖は、白保の大切な水場で聖地でもある真謝井戸(マジャンガー)を神さまからの啓示を受けて掘り当てた神人の家系で、今もおばあちゃんは水の神さまの司(ツカサ)をしているんですね。そのエピソードを白保の方言で語っているところを10曲目の曲の間に挿入しています。
おじちゃんやおばあちゃんがいたから、お母さんが生まれて、そして私を産んでくれた。その流れを、ひとつの作品にすることが出来ました。そこから家族の大切さとかを伝えられたらという想いがあります。
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2008年05月29日
三線で聴きたい弾きたいJ-POP&フォークBEST15

ryuQのCDチャート(情報提供: キャンパスレコード)でも常に10位内にランクインしているCD『三線で聴きたい弾きたい J-POP BEST15』と『三線で聴きたい弾きたい フォーク BEST15』。みんなが知っている名曲の数々を三線一本だけで聴かせるというありそうで無かったCDについて、今回三線を担当したFu-mi(from: ティダカンパニー)さんにお話を伺ってみました。(三線の始祖が祀られている赤犬子宮にて)
——三線といえば“歌三線”といわれ、歌があってこそ三線だと思うのですが、なぜ三線だけのメロディー音源集が登場したのでしょう。Fu-mi:実は、かねてから“そういうCDが欲しい”という要望が、レコード会社(リスペクトレコード)のほうに寄せられていたんだそうです。
このレーベルは、大御所の登川誠仁さんから若手民謡歌手のよなは徹さんまでリリースしてきたんですけど、「いつか三線だけで聴けるBGMも出してみたら面白いのではないだろうか」という案や意見があったそうなんですね。
それも(歌がなくて)三線のみ。極端な話、太鼓の音から波の音(SE)とかも一切なくて、そしてさらには、本土の人もよく知っているようなJ-POPが三線で弾けたらさらにもっと面白いんじゃないかというリクエストがあったそうです。
僕はふだんはポップスを中心に地元のエイサーの地謡までやっているんですが、今回のCD『三線で聴きたい弾きたいJ-POP BEST15 (by. Fu-mi)』などで三線を弾く事になったのは、昨年沖縄のエンターティナー・かでかるさとしがオリジナルCD『まじゅ〜ん』をリリースした際に、僕が三線で2曲参加したんですが、その時の演奏がキッカケでこの企画にも参加する流れにななりました。
——沖縄民謡ではなく、J-POPS集ということですね。三線の音域の中で無理なく弾けるJ-POPの曲というと選曲が難しかったんではないですか?
Fu-mi:三線で聴きたい曲のリストが15曲以上ずらっと並んでいたのを初めて見た時に、その中で偶然にも『千の風になって』とかは普段から遊びで三線で弾いていた曲もありました。ほかにもみんなが知っているようなSMAPの『世界にひとつだけの花』からドリカムの『LONE LOVE LOVE』まで14曲ほど収録したあと、一番最後にリクエストが来たのがZARDの『負けないで』だったんです。よく“オススメの曲は何ですか?”と聞かれるのですが、オススメしたい曲はいっぱいあるんですけど、もし難しかった曲を選ぶなら、そのZARDの『負けないで』ですね。半音上がりの曲って三線では無いんですよ。それを普段三線では押さえないようなポジションまで弾くわけですからネ。そのご要望に応えてチャレンジしてみました。
——これまで歌無しの三線だけのBGM作品って、ありそうで無さそうな、それもJ-POPというので新鮮な驚きでした。
Fu-mi:たしかに沖縄では“歌三線”といいますから、ふだん歌と三線はセットなんですが、ところが本土のほうでは三線の音色そのものに癒しを感じるとか、三線の響きだけでもいいものだというニーズもあって、それは例えばオルゴール的なものだと思うんですね。
いっぽう地元沖縄では歌無しのCDってどうなのかというと、僕の周りでは思った以上に反響がありますね。
たとえば、看板屋さんをやっているかたが仕事のBGMとして流す際、J-POPなどの歌詞が頭の中に入ってきてしまって仕事に集中できない場合があるそうですが、それがこの三線で弾いたJ-POPのCDでは歌が無いのでBGMにちょうど良かったという声もあったり。沖縄そば屋なんかでも最適なBGMになると思うんですよ。
最初そのお話を受けた時には、すでに三線でBGMって地元沖縄の高良レコードさんからもCDが出ているんですが、沖縄民謡のBGM作品なんですね。キャンパスレコードさんからも、沖縄ポップスの工工四に対応した歌入りCDはリリースされていました。それをJ-POPまで広げたのは実はその時はまだ無かったんですね。“J-POPもあったらいいのになー!”というお客さんのリクエストにお応えするかたちになりました。
——工工四と一緒に教則用音源CDも同時発売されている作品など、三線を習いたい人にとても重宝されていますが、このCDにも工工四など譜面は出ないのでしょうか?
Fu-mi:そういう要望もあるみたいで、それが実現することになりました。このCDと連動したかたちで、譜面の出版社で知られるドレミ出版さんから工工四(三線TAB譜付き)が近日発売予定です。
——そうですか! BGMのほか三線練習の音源CDとしてのニーズもあるのであれば、調弦の音がボーナストラックなどに収録されてはいないのでしょうか。
Fu-mi:実は裏話がありまして、このCDをいよいよ録音という際に、オリジナル曲のキーに三線の調弦もひとつひとつ揃えようという話があったんですよ。『千の風になって』ならまだ1音違いなので調弦は容易ですが、ユーミンの『やさしさに包まれたなら』など女性の歌う音域(キー)が男性の歌とは大きく違ってくるんですね。それでもカラオケとしてこのCDを使ってそのまま歌ってもらえるようにとこだわって、全曲オリジナルキーで最初録音したんですが、三線の音色としては高すぎたり低すぎたりする曲も出てくる訳なんです。
やっぱり、三線の一番いい響きで弾いたほうが、聴く人にとってもいいだろうし、“三線BGMならシンプルがベスト”という結論になって、三線のキーを基準音(ピアノのC音を基準にしたド・ファ・ド/本調子)で統一してまた新たに録音し、今回のCDが完成したんですよ。
このアルバムでは、どの曲のCDも三線のキーが統一して揃っているので、いちいち調弦し直さなくても全15曲とも同じキーの高さで三線を弾くことが出来るんですね。つまり、三線の練習に適しているんですよ。
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2008年05月16日
本日(5/16)すべりだい2ndレコ発ライブ特別インタビュー

CDは1000枚限定!ライブは100人限定!
沖縄インディーズ界の姐御と言えば泣く子も黙る(?!)“CLAP HANDS!!”の代表・KEN子。近頃はエコ番長として『アースキャラバン2008』での活躍も記憶に新しい。そのKEN子が、ギタリスト・さとしと一緒に活動する“すべりだい”が、4/22のアースディに2nd CD『Morning JAM』を発売し、まさに本日5/16(金)が桜坂劇場でレコ発ライブの日!
まずは最初にご案内。このryuQを読んで、当日券でライブに来てくれた方への特典として、“CLAP HANDS エコ・ステッカー”をくれちゃうらしい!!
ryuQを読んでかけつけた当日券の方は「ryuQみました〜」と言って下さいね。
というわけでライブ直前ぎりぎり特別インタビュー、スタートです♪
——2ndアルバム『Morning JAM』おめでとうございます。このアルバムが出来たきっかけは?
KEN子:毎年、九州ツアーをするんだけど、2005年に1stアルバム『すべりだい』を出して、それを持って周っていたら、翌年「次のアルバムは?」って聞かれて。「2007年に録ろう!」とは思っていました。昨年2月の『Peace Music Festa!辺野古』で「エコ班」として活動したり、10月に富士山麓のキャンプインフェス『朝霧JAM'07』に参加してみて、「あぁ、みんな自然が好きなのは同じなのかな」って思って。
朝霧の帰りの飛行機の中で完成したのが『Morning JAM』という曲。「今度 CD作るなら、紙ジャケにしたいな。富士山とか海とか動物とか自然とか、みんな繋がってる感じの絵にしたいな」って思ってた所で、一緒に朝霧に行った友達、はらだゆきこさん(ハナレグミなどのCDジャケのデザイン・イラストレーターでもある)に話してみたら快く引き受けてくれた。その後にすぐ録音ができる環境がやってきたり、とか、いろいろなことがタイミングよく重なって…。
さとし:11月末から12、1月にかけて約2ヶ月で完成したんですよ。自分も最近、子供が生まれたので、このタイミングじゃなかったらCDは出来ていなかったかも。
——どんなアルバムに出来上がりました?
KEN子:今回のアルバムは、はらだゆきこさんのイラストに引っ張られたところもある。
そして、録っている時は、二人の作品って思っていたんだけど、ゲストミュージシャンやエンジニアの川満拓路の細かなこだわり、とか、比嘉康晶さんのマスタリングとか、資料作ってくれたしんいちろう、中ジャケも外に合わせて描いてくれたTEL-C、朝霧に誘ってくれてライナーも書いてくれた杉山敦さんとか、誰か1人でも欠けたらできなかった作品になった。
さとし:前作は宅録(自宅録音)だったこともあって、1枚目に比べると今回は凄く豪華な作り。だけど、本人たちが一番ゆるいかも(笑)。

『妄想エンジン』という楽曲では、「世界の人が幸せになったり/森や海が生き返ったり/君が僕を好きになったり/難しいけど…不可能じゃない!」と歌っている。
個人的な問題も、はたまた世界の問題もすべて“まずは良い方向に妄想してみよう!”と、アルバムの中では一番、ロケンロ〜♪なノリの曲。(といってもギターとウクレレでゆるゆる、なんですけどね)
そして『愛(めぐみ)』という曲も似たような内容でありながらも、こちらは相方や友達の家に生まれてきたこれからの子供たちのために、何かできることを、という思いで出来た歌だという。
ハワイのマッサージと同じタイトルの『ロミロミ』はシンプルながらもトラックを重ねて重ねて出来たものは遊び心満載の曲。こちらはライブの構成とは違うノリでCD録音ならではの一曲。他にも思い入れのある曲が並べられている。
——このアルバムを一言で言うと?
KEN子:1枚目の時は自分達がまず癒される為に“がんばらない”がテーマだった。この2枚目は少し外向けに“伝えたいこと”が見えて来た感じかな。
一言で言ったら、家族や友達や地球に“感謝と愛”…かな?(笑)。
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2008年05月15日
5.15名盤復刻「やさしい心を武器にして」をビセカツ氏が語る

40年前の歌が、初のCD盤として復刻。本日5月15日に発売。
これまでデジタル音源化されなかった沖縄の知られざる名曲の数々が、CDで蘇るという。
作詞家・ビセカツ氏の処女作をはじめ、全曲・ビセカツ氏の作詞作品が収録され、復刻されるアルバムのタイトル名は『やさしい心を武器にして』。
そして「5月15日」といえば、沖縄が本土へ復帰(返還)した記念日。もうこれは気にならないはずがない。
*発売日の5.15というのは当然意味があるのでは?*なぜ今、40年前の歌がCD化されるのだろう?
*その歌とは一体どんな歌が収められているのだろう?
ビセカツ(備瀬善勝)氏とは、作詞家としてもたくさんの作品を手掛け、沖縄音楽界の生き字引として県内外から沖縄の音楽のことを学ぶ方々にも信頼厚い方で、キャンパスレコードの社長さんです。
早速、発売元となるキャンパスレコードへ。気になるCD『やさしい心を武器にして』について、取材に伺ってきました。
——名盤復刻のCD『やさしい心を武器にして』が5月15日発売とのこと。これまで長い間復刻されることがなかった曲の数々が収められていますね。今回どういうことからこのCDが発売されることになったのでしょうか?ビセカツ:沖縄はここに収められた歌の数々が出来た当時の環境と、そして今現在も状況が全く変わっていません。
「現実の沖縄は何も変わっていない」ということが、復刻してCDを作ろうとなった事の背景にあります。
このCDには古い歌では40年前の作品や、30年前の歌、20年前の歌も収めましたが、当時と沖縄は変わらないのです。考えるとゾッとします。なぜ同じなんでしょうか、不思議でなりません。
だからあらためて、これまではカセットテープやレコードでしか聴けなかったものを集めてCDにして出すことにしました。そしてそれぞれの曲の制作した年も記しました。いつの曲かわかるように。
またCDの帯に書きましたが、
「“歌は世につれ”というけれど、時間が動かない浮世もあり、どこへも連れていけない歌もある」のです。

——沖縄の変わらない現実…あらためて若い世代やその時代を知らない世代でも、今の沖縄を見つめたり、考え、感じる想いの歌の数々ですね。
そして、ビセさんにとっては作詞家としてのデビュー曲を収められたことも注目しています。今年で作詞家活動40年になられるのですね。
ビセカツ:かつては、もともとポエムの詩をかいていたのですが、作詞を学びましてから歌の作詞を続けています。詩と作詞は違うんです。作詞のデビュー作品が『帰ってきたよ』(1968年作)で2曲目に収録されています。
——それにしてもこのCDの12曲すべてが、実はビセカツさんの作詞であり、そして沖縄メロディーの父といわれる普久原恒男さんがすべて作曲した作品なのですね。驚きました。
作詞家のデビュー時代からビセカツさんと普久原恒男さんとのコンビ作品がたくさんあるのですね。
ビセカツ:沖縄県民のみならず県内外から沖縄といえば親しまれ愛されている歌に『芭蕉布』があります。作曲家・普久原恒男さんの代表作です、その沖縄の偉大な作曲家の普久原恒男さんとの出会いから、これまで一緒に作品を作り、一緒に時代を歩んで来られたのは幸せなことです。
このCDに収めた曲も『芭蕉布』や『ゆうなの花』の歌のように県民に愛され沖縄版“沖縄のみんなのうた”と同じように地元からの想いで生まれた歌です。三線が使われていなくても、沖縄だと感じる歌ばかりで普久原さんの凄さです。
——ところでカセットで発売されていた頃の作品タイトルは『人間の輪』となっていたそうですが、今回の新タイトル『やさしい心を武器にして』としたのは?
ビセカツ:たとえば竹中労さん(沖縄音楽を愛し、評価し、東京で『琉球フェスティバル』を最初に開催したという異質なルポライターとしても知られる)の著書『汝、花を武器とせよ』(竹中労・著/ちくま文庫 2002年6月出版)のように、時代背景を映す言葉のように曲で時代を示すようにと、CDタイトルと同名のタイトル曲も1曲目に収録されています。
この歌は米軍基地撤去を求める“嘉手納基地包囲網・人間の鎖”の第1回目1987年にそのテーマソングとして生まれました。今もまだ、変わらず人間の鎖は行われています。変わらない現実。なぜなんでしょう。
CDジャケットの写真はその第1回目の嘉手納基地包囲網の記録写真を使いました。あの日は大雨の日でしたね…。
——5月15日という日に発売するのもそうしたことからなのですね?
ビセカツ:自然にそうなりました。
それでもこのCDの中に沖縄の踊り好きの皆さんで楽しまれる民舞(みんぶ)の会で親しまれている曲もあるんですよ。だから難しい話だけではなく県民に愛されてる歌としてどこかで聴いていることも多いはずですよ。
歌い手もホップトーンズや伊波智恵子、ひがけいこと親しまれている皆さんです。
また、先日亡くなられてしまいましたが、沖縄と大変深い関わりのある作家・岡部伊都子さんがとても気にいっていらした歌も収録されています。岡部さんは沖縄に対してもとても熱意のある方でした。沖縄で自然破壊する団体などにはことあればこの中の歌詞を見せていたという話は有名です。
——あの岡部さんもこちらの歌詞で沖縄の心を伝えようとされてくだっていたのですね。そうしたエピソードもたくさんあるのがこのCDに収められているのですね。たくさんの沖縄の想いをこのCDで多の方にあらためて聴いてもらいたいですね。
最後に、ビセカツさんからぜひ読者の皆さんにメッセージを。
ビセカツ:もっと私が若ければ今も、もっと激しい歌詞を書いたかもしれません。
そしてこうした歌が今の歌にもなるというのは考えさせられる。しかしそれが現実の沖縄です。
語るよりも聴いてみてください。この「沖縄」を。
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2008年05月13日
多和田えみ『∞ infinity ∞』インタビュー

長い真っ直ぐな黒髪、大きな瞳、そして伸びやかな声が印象的な宜野湾出身・多和田えみが2008年4月23日に5曲入りのミニアルバム『∞ infinity ∞』(インフィニティ)で、アミューズ新設のプロダクション&レーベル『AZEAL(アズィール)』第一弾、専属アーティストとしてメジャーデビューを果たした。
インディーズで発売したシングルCD『ネガイノソラ』(ナンクル・レーベル)は2007年5月から沖縄限定でリリースし、2000枚以上を売り上げ、1年もしないうちに全国へ飛び立ち始めた。メジャーデビュー直後の記念インタビューをお届けします!
——メジャーデビューおめでとうございます。カナダ留学中にストリートで歌うことを覚え、沖縄に戻ってから音楽スクールのナンクル(沖縄市)でレッスンされて、今に繋がったと思うのですが、子供の頃から歌は好きだったんですか?
多和田えみ:お母さんに言わせるとよく踊っていたそうですよ。カーペンダーズとか、お父さんが好きだった曲でだそうですねぇ。

——なるほど。それでカナダ留学後は沖縄で音楽活動をして、今回のメジャーデビューになるわけですが、きっかけは?
多和田えみ:MSNとEMIのオーディションに沖縄代表で出場して最終まで残り、2007年4月に審査員特別賞をもらったんです。それから話が決まっていきました。
——今はどんな気持ちですか?
多和田えみ:それはもう驚きの連続です。全国でのライブは夢だったので実現できることに感謝の気持ちでいっぱいですね。
——今回のミニアルバム『∞ infinity ∞』の曲について教えて下さい。多和田えみ:『Naturally』は上京後に作った最初の曲。この曲は、沖縄で学んだことや得たもの、それによって音楽がもっと好きになって、もっと向き合いたいと思うようになったんです。そして沖縄からもらったパワーや支えを、今度は私がたくさんの人にパワーをあげられたらな、と。そのためには自分がナチュラルで正直で素直になって音楽を発信していきたいな、と思って作りました。
『ゆらゆら』は風味堂のカバー曲でもともと大好きで、物凄く心を揺さぶられてシンプルで純粋で、ぜひこのメッセージを自分で届けられればと思って歌わせていただきました。
『ネガイノソラ』は、ナンクル(音楽スクール)に入ってライブハウスで歌う機会が増えて、オリジナルとして歌うようになった思い出深い曲です。玉置さん(※)のこの曲があったからこそ出会い、いろんなことを呼び寄せた大切な楽曲だな、と思います。
つまづいて音楽の壁にぶつかった時に、心から音楽を見つめ直して良い歌を届けたい、多和田えみの原点の曲なんです。
(※(株)ナンクル代表・玉置淑晴(たまき としはる)。インディーズ時代のタワタエミの育成・総合プロデューサーとしてメジャーデビューのきっかけはここから誕生した。)
——それから『∞ infinity ∞』というタイトルですが、なぜ“インフィニティ=無限大”というタイトルに?
多和田えみ:“インフィニティ=無限大”というタイトル『∞ infinity ∞』にした理由は、私はすべてのものの始まりは宇宙だと思っているんです。始まりも終わりも分からないけど無限の中でいろいろなことが起きている自由で無限な空間。私たちはそこに居て、木や水や太陽があって支えあっています。音楽もどんな形にも変化できるし無限だし、という気持ちから今回のアルバムタイトルにしたんです。
あと、多和田家では昔から「インフィニティ」というのが家族のキーワードでして…。お父さんとかいつも「うちはインフィニティ(∞)だから大丈夫」とか言ってます(笑)。
——楽しいご家族! そして今後ですが、どんな風になっていきたいですか?
多和田えみ:ライブが大好きなので、“Soul to Soul”で心を交わしながら、独特の空気の中で生まれる音楽を共有していきたいんです。
現在は沖縄を離れ東京で生活し活動するえみさん。どんな風に東京ライフでの音楽が展開されているのか聞いたところ「音楽は…深いですね。聴いたことがないようなジャンルの音楽があって、とても幅が広くて、でもそれこそインフィニティが溢れていて刺激を受けています。」と答えてくれました。
また「ある時、ブラックミュージックを聴いていて、エモーショナルでガツンと魂を揺さぶられる感覚を感じた。言葉で説明することもできるけれど、より音楽を愛する気持ちが大事だなと思うようになり、以前は音楽を表面的に聞いていたものからでも、今は歌で愛や魂を感じるようになった。」と伝えてくれました。ジャンルの壁を越えて無限大に広がる彼女独特のリズムやグルーヴ感は、この体験から生まれているのかもしれません。

4月19日には宜野湾市海浜公園で行われた『ジャパンレゲエフェスタ in 沖縄・2008』にも出演。楽曲を少しレゲエ調にしたり、PJ(レゲエシンガー・DJ)とボブ・マーリィーのナンバーを歌うなど、小さな体でありながらも彼女らしくのびのびとステージで歌っていました。
——読者の方へ一言どうぞ!
多和田えみ:満足度は120%です! 心を裸にして音楽に浮遊感を感じ受け取って下さい。そして“インフィニティ=無限大”を感じてもらえたら嬉しいんです。

“インフィニティ=無限大”な沖縄新世代のDIVAの歌声をぜひ聴いてみて下さい!
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2008年05月02日
阿部敏郎・復活7周年記念特別ロングインタビュー[前編]

阿部敏郎さん、復活7周年の節目に、復活記念ライブとCDをリリース。
『復活7周年記念特別ロングインタビュー[前編]』
「誰もが見放されていないし、
みんながすでに今この瞬間に満たされている。」(阿部敏郎)
——沖縄で果たすことになる復活までの17年間に、大きく人生を変える出来事があったようですね。
阿部敏郎:誰もがみんな“より良く生きたい”、“幸せになりたい”と思って生きていると思います。
では、その“幸せの在処はどこなのか?”“そこに行き着くにはどういう事が的を得るのか”というのは、意外とわからないものですよね。
僕自身もそうでしたが、普段の生活をしているとみんなと同じ生き方を足並みを揃えてしまったり、同化してしまったりする中で、自分が埋没してしまってね。
でもなぜか自分はその因果に気付く出来事があって、だったら気付いた人間の役目として、そのことを手探りで生きていて堂々巡りをしてしまっている人やそのままでいいと思ってしまっている人に、“こっちだよ”ってそういうメッセージを伝えていかなきゃって、そういう自覚みたいなものがあったわけです。
——その体験が、阿部敏郎さんのもうひとつのブログ『随(かんながら)神』に書かれているような出来事なのでしょうか。
阿部敏郎:ブログ『随(かんながら)神』は、全体的な流れとしては大まかそうですが、すべてが体験そのままではなく物語としてまとめたものです。
そして今はその第2部を企画しているところで、沖縄に来てからのストーリーにしてゆくつもりですが、それはフィクションではなくドキュメンタリーとして事実をお伝えしたいと思っています。
本当に“事実は小説よりも奇なり”というのが実際にあったりするので、これから事実を語ってゆきたいと思いブログを編集し整理しているところでした。
そこにチベット問題が勃発したりしました。
そもそも、みなさんに“お伝えしたいな”と思ったきっかけというのが、自分の“気づき”をどう言語化して(文章に)表現したらいいのかわからない時に、最初に読んだ本がチベット仏教の本だったんです。それは整合性のとれた論理的な本だったんです。あぁ、こうやって文章をまとめればいいんだということをチベット仏教に関する本で学び、それがヒントとなりました。
ですので、チベットの問題というのも他人事には思えなかったんですね。だから何かご恩返しをしたいと思って、ブログにも書かせてもらっています。
——仏教といえば、阿部さんも禅の修行をされた期間があったのでしょうか。
阿部敏郎:禅の修行というとおこがましいけれど、禅について触れていた事があります。仏教は、学問としてもとても優れている伝統だなと思いました。でも僕は仏教徒ではないのです。
まず自分には伝えたいメッセージがあって、それをどう翻訳すればいいのか、禅を通して学ばせてもらいました。しかし僕は禅のお坊さんでもないのです。
禅との出会いについては、ブログ『随(かんながら)神』で書かれているままではないのですが、出会った時のインパクトや、そこでお坊さんと出会う必然性や、お互いの信頼性が生まれてくるプロセスなどはそこに書かれている通りです。
——阿部さんがそうやって貴重な体験をされた“気づきの出来事”というのは、皆さんにも共有できる情報として、ブログ(日々書き綴る短編集『いまここ』と長編物語『随(かんながら)神』)でオープンに表現されたり、音楽で表現されたりしているほか、それと『いまここ塾』という講座も中城村(吉の浦会館)で開かれていますよね。私も二度ほどおじゃまさせて頂きましたが、毎週毎週新しく語れるものがあるというのは凄いことだなと思いました。

阿部敏郎:ライフワークとして毎週火曜日に開いている『いまここ塾』の講演はもう140回を越えましたが、お客さんが僕から引き出してくれるものがありますね。
肉体の中に閉じこめられているものばかりでなく、実はお互いに電波を発しているものがあって、お客さんと同じ空間にいるだけでお互い影響しあっているんですよ。
(例えば、ある人といるとイライラする時もあれば、ある人と一緒にいると何も語らなくても気持ちがゆったりしてくるという事もありますよね)
1/3は常連さん、1/3は時々参加されるかた、そして残り1/3が新しく来られるかた、というふうにその時その場で違いますから、お客さんが引き出してくれるものでもあるんですね。
——講演会『いまここ塾』ではどのようなことをされているのかご紹介ください。
阿部敏郎:話を聞くことで“あぁ、そうだったのか!”というような“気づき”になるような時間を共有できると思います。ですのでそれは、一般のテレビやラジオ、新聞や雑誌からは得ることができないような情報をお伝えしています。
それはどういう情報かというと、自分の外側の世界のことを言っているのではなくて、自分の内側にあるものの洞察です。私はそれのガイド。気づくのはその人なので、つまり“気づき”の道案内ですね。
——つまり“自分の中(内側)に答えがあるはずだよ。答えを外に求めなくてもいいんだよ”“誰かだけが特別なのではなく、みんなそれぞれが特別な存在なんだよ”ということですね?
先日は4年ぶりにリリースするCD『for You』のレコ発ライブにおじゃまさせて頂きましたが、ライブのMCでもそのようなお話を伺うことができて面白かったです。
阿部敏郎:ライブでは歌が好きで歌いたいということもあるんだけど、“歌は歌、講演は講演”と分けることができなくて、“歌うように講演し、講演するように歌う”んです。もちろん、歌の中にもメッセージはありますし、歌を通して講演しているようなものです。また講演の時には、みなさんが飽きないように強弱の抑揚をつけたり、それは歌のようなものですよね。
それはそもそも“伝えたいこと”が、言葉だけでは表しきれないものだからなのです。
——阿部さんのブログのタイトルにもなっている“いまここ”というキーワードですが、みなさんに“伝えたい”と思った“気づき”のきっかけとなった体験は、どれくらい前の出来事だったのでしょうか。
阿部敏郎:もうかれこれ23年前のことになりますね。ブログ『随(かんながら)神』では階段から落ちたことになっていますが、実は突然、それは起こりました。
それは僕だけの特別な経験ではなく、人間の本質はみな同じようなものですから、遅かれ早かれ皆さんもいずれ経験されることだと思います。
その深い体験の共通点には“因果関係がない”こと。つまり何かをしたから結果こうなった、というような原因と結果に基づいたものというのはこの世(三次元)のものなんですね。
次元の違う体験というものは、突然起こってくるものなんです。
——沖縄でもそうですが、精神世界でいわれる事というのは因果関係はあると。例えば、前世からの因果によるものが今世にも影響しているとか、ご先祖様を大切にしていないからこうなった、とかいわれますよね?
阿部敏郎:それは三次元の中での解釈であって間違いではないのだけど、それもひとつの解釈であって、真理というものは言葉ではいい表せない、それを超えたものなんです。
次元が変わると、時間というものが変わり、過去とか未来とかが消えるんです。すべてが“今”の中に同時に起きている。実はこの世には“今”しか存在していないんですよ。
頭の中には過去はありますが、実際のリアリティーとしては“今”しかないですよね? これまでもずっと“今”の連続だったんですよ。
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2008年05月01日
対談『風に聞いた話 〜竜宮(りゅうきゅう)の記憶〜』

宜野湾にあるCAFE UNIZON(カフェ ユニゾン)の店主でもあり作家で編集者の三枝克之氏と、沖縄をリードする南方写真師の垂見健吾氏の二人による沖縄の季節ごとの“風”をテーマにしたタイトル『風に聞いた話 〜竜宮(りゅうきゅう)の記憶〜』(角川書店)がリリースされ、今注目されています。
沖縄の母なる風土・神話をモチーフに三枝氏が連ねた21話のストーリーと、自然や文化の風景を写す垂見氏の写真。そして三枝氏の総合的視点で構成されたこちらの本が出来上がったいきさつを伺いました。
——この『風に聞いた話』は、どういうきっかけで出来たのでしょうか?
三枝克之:角川書店の『野性時代』が一時休刊して新創刊した時に、編集長も沖縄が好きな方なので“沖縄の事を何かやりたいんだけど”という希望がありました。
ちょうど引っ越してきたばかりだったので、沖縄の事は知らなかったのですぐには取り掛かれなかったのですが、僕が本を作るのは“自分が物を知るための方法論”であって、知っているから作るのではなく、知らないから作るんです。
自分が興味持った世界のことを勉強し、読者にも知って欲しいという想いで編集し作り上げていくので、そういう形であれば作れるかもしれないと思ったんです。

僕はちょうど移住ブームの頃に越してきたらしいんですが、僕自身はそういうのは知らなくて、子供の頃から母の生まり島(うまりじま)である沖永良部の原風景を見ていたので、洗骨を覚えていたり。イノー(サンゴ礁に囲まれた浅い海・礁池)で遊んだり、と、そういうものを体験したくて来たので、当時あったような沖縄を紹介する本とは違うものを作りたいな、という事は思っていました。
——“風”をテーマにしようと思ったのはいつ頃ですか?
三枝克之:引っ越して感じたのは風が気持ち良い島だな、というのをまず感じたので、割とはじめの頃から“風を語り部にしたらいいのかな”と思っていました。
——実際にはどんな風にして作り上げたのでしょうか。
三枝克之:『野性時代』で連載していたものを基本にプラスしていったのがこの本なんですが、一つ一つ歩いて話しを集めてというのは無理なので、そこは割り切って文献を読みながら自分が長老か何かになった気分で、自分なら神話や伝説をどう伝えられるかな、というスタンスで書いていきました。あえて創作というほどの事はしていませんが、自分なりにアレンジしたりということは随所にしています。
——写真はどうやってセレクトされたのでしょうか。
垂見健吾:2年の連載が終了して本を作る時に三枝さんからリクエストがあって、連載とはまた違う写真が欲しい、と。そこで僕が沖縄に通い始めてから36年くらいになるんですが、撮りためたストックの中から、こんな物語だからこんな雰囲気の写真が欲しい、と三枝さんに言われた内容をベースに自分なりに検討し、ストーリーに合う写真をセレクションしていったんです。
使わなくて埋もれている写真がまだまだ沢山あるので再び陽の目を浴びて表に出てくるというのは、写真を撮ってる者としては非常に嬉しいですね。

——本では嘉手苅林昌さんの写真など、貴重な写真も紹介されていますね…。
垂見健吾:そういった方たちと交流ができたのも今では貴重な体験でした。また、もちろん行ってない場所もありますが、特に僕は布に関していえば、以前、澤地久枝さんと『琉球布紀行』という本で布を求めて島々を歩きました。
沖縄には今でも貴重な布がたくさんあって、琉球の織りと染めは工芸の中でも特に素晴らしいものだと思うんですよね。
表紙や扉の布は、八重山上布作家の新垣幸子さんという方の作品なんですが、表紙は三枝さんも「これがいい」と言ってくれて、宮古出身の宮川隆さんのデザインでこんな素敵な本になりました。

そして、ここの展示(写真展は〜5月6日(火・祝)まで開催中)をするにも「風を感じられるようにしたいね」ということで、麻の布にプリントし、風で揺れるような展示にしたんです。
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2008年04月10日
サースティロード物語[後編]
![サースティロード[後編]](http://img01.ti-da.net/usr/ryuqspecial/080410blog_top2.jpg)
D-51のプロデューサーで知られるイクマアキラ氏と、矢井田瞳などを手がけた片岡大志氏による2大プロデュースによるファーストアルバム『OVERFLOW』を'06年8月発売し沖縄県内のレコード店インディーズチャートで1位を獲得、'07年5月には一気に全国発売へ展開!そして'07年9月にはシングル『風舞 -kazemai-』発売など活発な活動で目が離せないサースティロード。
待望の2nd Mini Alubum『たった一人のエール』を沖縄限定で4月2日から発売しました。インタビュー[後編]をお届けします。
——今回の新譜のミニアルバムには(7曲入り)県内のTVCMに起用されいる人気曲なども収められファン待望の発売になりましたね。
まずはタイトルについて、どのように決めたのですか?『たった一人のエール』としたのは?
サースティロード・岩田:今までライブ活動してきて、いろんな方がたに励まされ、応援をいただいてきたので、それに対して、個々に向き合って歌を届けたいなという想いでタイトルに気持ちを込めました。同名の曲も7曲目に収録されていまして、すでにライブでは歌っています。
この歌で女性ファンだけでなく、男性ファンも増えてくれているようで嬉しいです。
またストリートを始めてからいつもタイトルのような気持ちはあったのですが、2年、3年とライブ活動を続ける中で、曲としてその気持ちをエールにして送りたいという気持ちを全開で伝えることがようやくできる形になりました。もちろんそれは自分自身に対しても歌っています。

——サースティロードの曲は歌詞の表現やサウンドに細やかな切なさや、デリケートな思い、メロディアスなムードなどとても人気がありますが、今回の収録曲はどんな仕上がりですか?
サースティロード・中嶋:1曲目の『kiss』は、サースティの中では割とポップな感じでキャッチーな曲ができたと思います。明るく自然体な自分たちを感じてもらえるのではと思います。サースティロード・岩田:僕も『kiss』はとてもサースティらしい曲になったと思います。
また今回の7曲の中では初めて女性になりきって失恋した曲『約束』を作りました。
ぜひ女性の方々に聴いてもらいたいです。共感してもらえるのではと思います。
サースティロード・松本:『ナミダ』などは3人ともにサースティらしい曲になったと気に入っています。
どの曲も沖縄にいるから出来た曲で、自分達の新しい部分も気に入ってもらえると嬉しいです。
——サースティロードといえば女性ファンがとても多いという印象ですが、男性の反応などはいかがですか?
サースティロード・岩田:約束、風舞、たった一人のエールなどで男性ファンがかなり増えてきました。
今までは割とラブソングが多かったのですが、最近は夢にかける想いや沖縄で暮らして出来る曲などいろいろな曲が出来て、新しいファンが増えてくれているのを感じて嬉しいです。
——ところで今回沖縄限定発売ということですね?
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2008年04月10日
サースティロード物語[前編]
![サースティロード[前編]](http://img01.ti-da.net/usr/ryuqspecial/080410blog_top1.jpg)
沖縄を拠点に県内外で活発に活動する3人組のサースティロード。
(ヴォーカル: 岩田秀聡、ギター: 中嶋成臣、ベース: 松本裕之)
彼ら3人は全国各地で路上ライブ活動をしながら2004年、初めて沖縄で路上ライブを挙行。これがご縁で、沖縄で活動することを決意し移住。2005年夏より北谷町美浜のストリートライブを本格的に始動し、これまで述べ400回のライブを超す活動になる。
'05年9月に発売したオリジナル曲『雨の日曜日』は現在もロングヒットの人気を継続中!飛躍が期待される彼らの待望の2nd Mini Alubum『たった一人のエール』(7曲入り)が2008年4月2日に沖縄限定発売された。
2008年、注目のサースティロードの新譜発売記念・特別インタビューをお届けします。
——沖縄移住を決意したキッカケから教えていただけますか?
サースティロード・岩田:もともと岩田と中嶋は神奈川県の中学の時の同級生で、10代の頃から2人で音楽活動をしていました。全国各地で路上ライブ活動をしている中で、栃木でベースの松本と出会いがあり3人で音楽活動をするようになりました。

そして路上ライブ活動の中で、沖縄にはじめて来たのが2004年。
イクマアキラさんと以前から知り合いでしたので、はじめて沖縄に来た2004年の時のライブは、イクマさんのご縁で北谷町の美浜で路上ライブをやることが出来ました。その時、すっかり沖縄に魅了されてしまい、沖縄で活動しようと決めたんです。
——沖縄での初・路上ライブの印象を覚えていますか?
サースティロード・岩田:全国各地で路上ライブをやっていましたが(たとえば駅前とか)、割と狭い場所でやっていたことが多かったので、美浜はとても広い空間で、気持ち良くライブが出来ました。またそこで聴いてくれているみなさんとのふれあいがとても好印象だったので、沖縄で音楽活動したい!と気持ちがもうすっかり沖縄につかまりました。決意してすぐに移住しました。
——移住した沖縄の暮らしはいかがですか?
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2008年03月20日
高良結香インタビュー(2)「ちゃんぷるーで、私は“虹色”。」

——インタビュー[前編]に続いて、[後編]での話題は舞台表現について伺いたいと思います。
5月の東京公演を前に、先日の沖縄先行発売記念ライブ(@桜坂劇場)が行われましたね。
歌やダンスについての前に、まず“言葉”から伺いたいと思いますが、うちなーぐちでMCしている時と英語でMCしている時、まったく別人のようにスイッチしているようにもみえたのですが、うちなーぐちと英語では感覚的に違うものがあるのですか?
高良結香:特別意識はしていないんですけど、真剣な話をする時や怒っている時は不思議と英語なんですよ(笑)。
強い気持ちをストレートに言いやすいのは英語なのかな、と思います。
そして優しく喋る時は自然とうちなーぐちになったりしているようです。でも自分の中でギヤチェンジしているつもりはないんですよ。
そうやって、ちゃんぷるーされたのがまた自分なんです。小さい頃からアメリカンスクールに通ったりして、いろんなものが入ってきているので自分は“虹色”です(笑)。
レコ発ライブの時は、最初のほうではあまりMCはしないんですよ。前半はストーリーを観て聴いてもらっています。
そういうところでも、CDとライブは全然違うもの(表現)。舞台ではダンサーズがいたり、顔の表情での表現(演技力)もあったりするし。

——舞台では、またCDだけでは表現できないものが観ることができますものね。
そして、様々なシーンで活躍されているプレイヤーの皆さんの演奏も楽しみなんです。
高良結香:先日の舞台ようにチェロやヴィオラやバイオリンなどのクラシック楽器もありますけど、全体的にはJAZZかな。メンバーは、夜のジャズクラブに行くとみんな居る人たちばかりです(笑)。
——ミュージシャンだけでなく、踊り手には後輩の皆さんも舞台に立ちましたね。
高良結香:一人は引き抜いて来たんですけど(笑)、その他はみんなバレエの後輩達で、私が帰国して沖縄に帰るたびにダンスのレッスンをしています。そう、バレエでしっかりした基礎を身につけているからこそ、そこからモダンやタップやJAZZやHIP HOPなどのダンスにも応用でき、何でも踊れるんですよ。それは自分が実践して経験しているからわかるんです。
その逆のパターン(例えばHIP HOPダンサーがバレエを踊ること)は難しいんですよ。

——小さな可愛らしいダンサー達もいましたね。オーディションの時のエピソードはありますか?
高良結香:発表会やコンテストは、ちゃんと地道に練習を積み重ねていたら、審査無く受けることができるんですね。
でも、私の舞台に出てもらうときは、“出演できて当たり前”と思ってほしくなくて、まず“本当にやりたいのかな”というのをそれぞれ自分自身で確認させたくて。たとえば“ハングリー精神はあるのか、無いのか”。あの子たちが“どんな表現をするのかな?”と、その点をみたかったんです。
みんなをオーディションを受けさせた時、名前と住所を言うだけでも唇をぶるぶる震わせてね、将来の夢を語らせたらもう声が小さくて、歌も聞こえないくらいになって。
でもみんなそうやって勇気を振り絞ってきている訳だから、オーディションを受けたこと自体に意義があるので、「これはみんな合格でしょ!」と心の中で思っていました。
——最初から全員合格にするつもりだったんですね。
高良結香:実はそうでした。発表会やコンテストは技術力をみる為のものであって、オーディションの場合は技術力はあるのは当然で、その以上の“表現力”をみる為のもの。“どれだけ、自分はみんなとは違うんだよ”というのを出すのかが重要なので、そういう点からもぜひみんなにオーディションを受けてもらおうと思いました。
——子ども達がオーディションを受けた際、印象に残った“将来の夢”についてなどありましたか?
高良結香:バレエ教室なので“夢はバレリーナになりたい”というのはもちろんあったんですけど、“ミュージカルダンサーになりたい”“宝塚にいきたい”“女優さんになりたい”という子ども達の将来の希望を聞くことができて、
「ミュージカルダンサーさんになりたい」だなんて、私が小3の頃なんてミュージカルという言葉もそういう世界も知らなかったのに、今では小さい子ども達にも“あぁ、伝わっているんだなぁ”って。
今まで何年間も子たち達に教え続けてきたのは意味があったんだなって、それは嬉しい事ですよね。今年も2名ほど宝塚の受験を受けたいのだそうです。高3になってからではなくて“今、受験したいから高1でも受けたい”っていう、そういう気持ちが嬉しいですよね。
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2008年03月20日
高良結香インタビュー(1)「希望のエネルギーがここにある」

沖縄出身で、今やブロードウェイでも活躍する数少ない日本人アーティスト・高良結香。
5月7日には全国発売(沖縄限定で2月14日に先行発売)される2ndアルバム『free to fly』では、“怒りと苦闘(anger & struggle)”がコンセプトにあるという。華やかな表舞台ばかりではなく、癒しと対極にあるキーワードのその先(向こう側)に“希望”があるのだという。世界最高の舞台も経験されてきた高良結香さんご本人に、直接メッセージを伺うこと。
——今回のニューアルバム『free to fly』についての背景をぜひお聞かせください。
高良結香:日本語で表現したら“自由に飛ぶ”という訳になるんですけど、毎日の暮らしの中には、現実としていろんな悲しみや怒りや苦しみもあったりもするかもしれないけれど、その先には光があって“その希望の光に向かって飛んでいってほしい”。“苦しい日もあるけど、新しい日もまたあるので”というメッセージです。実は、自分にも言えることなんですけど…。
——高良結香さんの実体験も含まれていらっしゃるのですね?そしてニューアルバムの『free to fly』のキーワード“怒りと苦闘(anger & struggle)”にはそういう意味があったりするのですね。
高良結香:人間生きていて、時にはそういう事もあるだろうと思うし、“それをあえて表現する”ってなかなか無いような気がしていて。でもそれをわざわざコンセプトにしようと思ったのではなくて、書き上げて通してみたら何故かそういう部分があったんです。
陰と陽があるように、苦しみがあるから飛ぶ喜びもあるし、HIGHがわかるからLOWもわかるしという意味もあって。
やっぱりHIGHな事ばかり歌ったら、(今の現実には)嘘になると思ったんです。人生の中には闘いもあったりするので。
——ニューヨークで活躍されるまでの間にもそういう苦闘(LOW)があったからこそ、その先に華やかなステージ(HIGH)もあったのですね。またその晴れ舞台(HIGH)の最中に怪我もされてしまうというアクシデント(LOW)もあったとのことで…。
高良結香:あんな最高のステージに立っていたはずなのに全治3カ月の怪我をしてしまい、「なんと最悪な!」(苦笑い)。その頃の葛藤もあれば、そんな引きこもりな3カ月の間に、これまでの人生の中で“今まで言えなかったこと”も全部吐き出してしまったんです。
——そうやって表現された音楽を聴くと、もしかしたらツラくなるのかなと思っていたらそうではなくて“その先の希望が感じられて”それは救いでした。
こんどのアルバムコンセプトを先に耳にしていたので“一体どんな激しい曲になるんだろう?!”と思っていましたから。
実際には希望があり、明るい向こう側へと弾んでゆくものが感じられました。
高良結香:それは嬉しいです。4曲目の『rescue me』などは、まさに怪我してどん底だった時に書いた曲なんですけど、“今は身動きができなくても、いつかまた舞台に立てる日がくる”という自分が見えているというか、イメージトレーニングしていたというか。
そこに行くまでには大変だけど“どうにか辿り着こう”というのもあったんです。なので、歌詞に悲しい部分があっても、口笛の音が希望でもあったりしたんです。
黒だけでなく、白だけでない。(TAOのような)バランスがあるんだと思います。
“今苦しんでいても、その先があるよ”“いつかは羽ばたけるよ”そして“一人じゃないよ”っていう希望のエネルギーがここにあるのだと思います。

世の中、頑張っている人も多い。また頑張り過ぎるのもツラいけれど、高良結香さんからの応援ソングが励みになったり、そして希望の光を感じてもらえたらと。
インタビュー後編では、“表現者・高良結香の魅力”がいっぱいの舞台のお話など、ドラマがまだまだ続きます。
(※後編は、本日21:00に更新予定です)
(文+写真: KUWA、取材協力: ハーベストファーム)
2008年03月18日
沖縄に全国初・市民レーベル『A-signレコード』誕生!

コザの『ミュージックタウン・音市場』が建ち、1月で半年が過ぎた。
グランドオープン時に行ったryuQのインタビューで、金城副館長が「ハード環境は整いったのでソフト面をどう地域の皆さんと育んでゆくかですね。」と話していました。
そこで2008年3月19日、全国初でもある珍しい試みとして、沖縄市が「音楽によるまちづくり」の一環として“市民レーベル”(Public label)の<A-signレコード>が立ち上がり、第一弾オムニバスCD『A-sign』がリリースされることとなりました。今回、金城副館長に登場いただき、CD『A-sign』のまとめ役・広報役でもある南国ドロップスの波平さんと共にお話を伺いました。

——まず『A-sign』が出来上がるまでの経緯を伺えますか?
金城副館長:このミュージックタウン・音市場が建つ前、準備期間からレーベル(通常はCDを制作の会社やチームの意)を作ろうというのがあったんですね。これには二つの意味があって、情報発信と人材育成。パブリック・レーベルとしてこれらをやっていこうというのがまずありました。そのうち情報発信は今回のような形でのCDを作った事。

人材育成については、トレーニング・ラボ(M.B.A. Traning Lab)と言ってオン・ザ・ジョブ・トレーニング機能を持つことで実践までできるプログラムを構想し、コリンザの中にミュージックタウン構想の一環として勉強する場所を設け、音楽プロデューサー講座などを行いました。これは、プレイヤーは沢山いるのでプレイング・マネージャーを育てよう、というもの。プロのレーベルの方を招き具体的な音楽ビジネスの流れとか、著作権利の事とか、そういった内容の講習をしてもらいました。
——どのくらいの期間でしたか?
金城副館長:3年間ですね。ここで人材を育てていくことでその後に続いて引っ張っていく人材が生まれます。ここでは音楽以外でも芸能観光文化ガイド養成講座として語学などもやっていましたよ。このトレーニング・ラボはこの春で終了ですが、音楽に関する部分について今後は音市場の方で行っていきたいと考えています。——波平さんは南国ドロップスのメンバーでもあるわけですが、音楽の講座を受講されてきたそうですが、例えばどんな内容でしたか? また感想はいかがでしたか?
波平:例えば“アーティスト戦略を学ぼう”という講座ではプランを立てよう、というのがあって、南国ドロップスはプランとかなく(爆)、実践で叩き込まれてきているので、南国ドロップスで自分たちがこれまで行ってきた事が、“あぁ、これなのか”とか“こういう風にすればいいのか”とか、そういった確認が出来てとてもタメになりましたね。
——それで今回、オムニバスで8アーティストが参加し『A-sign』というタイトルのアルバムが出来たわけですが、こちらはどう結びつくのでしょうか?
金城副館長:受講したメンバーを主に、演奏・レコーディング・ミックスなどの制作、そしてプロモーションなどの活動などの実践(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)として、『A-sign』を発表することで情報発信をしました。
——なるほど、そういう事なんですね。では『A-sign』とタイトルをつけた理由は?
金城副館長:はい、皆でいろいろな案を出し合ったんですが、A-signというのは米軍人の入店が認められた店やホテルなど許可証で、かつての沖縄の象徴でもあって、“Approved”=推奨・公認されているという事ですよね。最終的に“コザがこのCD薦めている”という意味も含めてこのタイトルに決定したんです。
——ちょっといじわるな質問です。例えば今回は市が作るレーベルですが、県内の民間の音楽制作の会社との関係はどうなるのでしょうか?
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2008年03月13日
沖縄民謡界のニューフェース・島袋辰也デビュー物語(2)

若手正統派民謡歌手として注目される島袋辰也のデビューCDは、同世代の民謡歌手・松田一利が初プロデュースに挑戦した話題作。
同世代だからこそ、互いに磨き合いが光る作品としても注目される。
収録された曲は、沖縄民謡のスタンダード曲や師匠名嘉常安のオリジナル作品、また沖縄で活躍している著名人の新作、さらに自身での作曲や作詞も手掛けた贅沢な12曲。
タイトルの「飛」(トゥヌギ)のごとく、デビューCDで大きく羽ばたこうとしている。
——新譜の参加メンバーも多彩で注目ですネ。
琉球國祭太鼓(http://ryukyukoku.ti-da.net/)の創始者で知られる目取真武男さんと共作の作詞で『泡瀬』という曲がありますが、これはどんなことから共作になったのですか?
島袋辰也:私は泡瀬3区のエイサーの地謡もやっていまして、地元の青年会とはエイサーなどでも交流があります。
全国各地で活躍している創作エイサーの琉球国祭り太鼓の本部も泡瀬にあることから、泡瀬地域の先輩、後輩という繋がりの会話の中で、泡瀬を歌にした曲って無いのでは?と話が出ることがあったんです。
それで、他のもっと上の世代の先輩たちからもいろんな泡瀬の話を聞いてみると、面白い歴史などいろいろ伺い、泡瀬の土地がさらに好きになりました。
それでぜひ泡瀬を題材にした歌をつくろうと、地元への想いを込めて作りました。
——泡瀬の土地の歴史にはどんなことがありますか?
島袋辰也:はい、知らない人のほうが多いのですが、泡瀬では昔、塩を作っていました。
評判の良い塩だったそうで那覇からも買いにくるほど有名な塩だったそうです。
また泡瀬といえば伝統芸能の泡瀬の京太郎(ちょんだらー)も欠かせませんし、昔はかなり繁華街もあって賑わっていた話など、いろいろとあるんです。
泡瀬を築いてきた諸先輩たちに感謝して、今度は若い世代からも次の世代に伝えていく歌があってもいいなと、自分の育った泡瀬地域の歴史を歌に作りたいと思って協力しあい共作になりました。
——ずっと泡瀬で育っているとのことですが、 子供のころと今の泡瀬は何か印象など変わりましたか?
島袋辰也:変わりました。土地開発が進み、ちょうどアーシベイストリートのスーパーかねひでの後側に遠浅の広い海がありましたが、埋め立てられてなくなりました。

子供のころはその海でよく遊んでいましたヨ。
——そうなんですか! このあたり海だったんですか! そうすると1曲目に収録されている『アーシベイストリート』にも地元ならではの想いがありそうですね?
島袋辰也:この歌は師匠の名嘉さんが作詞作曲してくれました。歌いだしの歌詞に「♪わんねー泡瀬とぅんばるぐわぁー」とあるのですが、
たまたま、私の母親の旧姓は富原(とみはら)といいまして、屋号も「とぅんばるぐわー」というのです。歌詞の出だしが「わんねー泡瀬とぅんばるぐわー」と作られたのは、不思議な縁を感じますし、師匠の名嘉さんは、沖縄で有名な伝説の富原(とぅんばる)ナークニーを歌った名人富原盛勇(とみはら せいゆう)という人に挑戦するぐらいの気持ちで、三線一本で聴く人たちを魅了し、惹きつけるような曲にしようと作ってくださったのです。
タイトルの『アーシベイストリート』は実在する泡瀬にある通りの名前です。英語まじりのタイトルながら、三線で古い民謡を歌うような曲の意外性があり、皆さんに気に入ってもらえると嬉しいです。
——あの名人・富原(とぅんばる)ナークニーのような名三線者として活躍する


