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大工哲弘“ゆんたしょーら”インタビュー【前編】

大工哲弘“ゆんたしょーら”インタビュー【前編】
大工哲弘“ゆんたしょーら”インタビュー【前編】沖縄県無形文化財保持者で八重山民謡界の第一人者である大工哲弘さんは、今年でレコードデビュー40周年を迎え、5年に一度のリサイタル『ゆんたしょーらpart6』を12/6(日)に開催する。デビューの頃のエピソード話の数々から、現代の若い世代の島唄につながる歴史をたどる貴重なインタビューを【前編】【後編】の全2回にわたって特集連載します!

——レコードデビュー40周年とのことですね!

大工哲弘:レコードデビューしてから40周年なので、実際の芸能生活でいえば13歳から歌い始めて本格的には高校生の頃からだから、芸能生活ということでいえばそれ以上になるんですよね。

よく一般的には、三線をさわり始めてから○○年ということがあるけど、それはしたくなかった。きちんと歌手としてレコードデビューから何年という節目なのかという芸能歴になります。

『川原山節/マルマボンサン』(マルフクレコード KF-36)レコードデビューは20歳の頃に、シングルレコード『川原山節/マルマボンサン』(マルフクレコード KF-36)でデビューしました。

——その当時、20歳でレコードデビューというのは珍しかったのではないでしょうか?

大工哲弘:その当時はいないですね。まず、八重山民謡を若い人が歌うというケースがほぼいなかった。
沖縄本島では、フォーシスターズ、屋良ファミリーズ、糸満ヤカラーズとか、グループサウンズと沖縄民謡を交ぜたような若いグループはあったけれども、八重山民謡を三線ひとつで歌う若手というのは八重山では画期的なことだったと思いますね。

『とぅばらーま』(アーサーレコード ASA-1)——その当時のレコードジャケットも拝見させて頂いたのですが、LP『とぅばらーま』(アーサーレコード ASA-1)のジャケット写真にはジーンズ姿で写っていますが、正調八重山民謡をジーンズで歌う若者というのは、当時としてはとても斬新だったのではないでしょうか。

大工哲弘:そうですね。元々“唄”というのは作業唄だし、それをそのままステージに持っていくのは違和感があったんです。
ですから、我々は我々の世代のスタイルの民謡があってもいいんじゃないかと。我々の時代では、着物姿で作業をする人はもういませんでしたからね。“普段着で歌える八重山民謡”という雰囲気を世の中に作っていきたいなという想いがありました。

同じように、知名定男とも一緒に「ジーンズでやろう」とやっていたんだけど、そういうスタイルでやった時には、知名定男も僕もずいぶんと非難されたけどね(笑)。今では、ジーンズスタイルもごく普通になってきているけどね。

——スタイルは革新的でも、唄っている民謡そのものは本物の正調八重山民謡を歌ってこられた。時代に合った衣裳になっただけで、歌は伝統をしっかりと歌ってこられた。だから珍しいだけでなく(珍しさはきっかけで)、しっかりと若い人たちにも受け入れられたのではないでしょうか。八重山民謡に触れる若い人たちや後輩が増えていく最初のきっかけになったのでは。

大工哲弘大工哲弘:例えば嘉手苅林昌さんの時代には嘉手苅林昌さんの生活がにじみ出た揺るぎない島唄を歌ってきたのであってね。だから自分たちは、自分たちの世代を歌い上げようというのが、かたちに表れた。
また例えば、僕らの時代には“毛遊び”はありませんでしたからその体験はありませんし、であれば、当時の時代の空気に合ったものを等身大で、たとえばライブハウスでやったりとかね。そういうのを友人たちと作り上げてきたのは確かですね。
そういう時代の変遷があったり積み重ねがあって、そして今があるので、今の子たちがいきなり今のスタイルになったのではなくてね。かつて僕たちがやってきたことも、先輩達が蒔いてきた種があったからこそ開花したのであってね。

——そういう意味では、大先輩の嘉手苅林昌さんたちの時代の歌とも直に接してこられて、そして今の若い時代の後輩の唄者たちもいて、時代を繋ぐところにおられますね。

大工哲弘:だからこそ、ちゃんとしたものを残していこう。自分の生きた時代に学んできたものを発表していきたいというのが今回の『第6回ゆんたしょうら』公演につながっていきます。

——5年ごとに開催されている『ゆんたしょーら』が今回で6回目ということですのでこのリサイタルも30年の歴史になりますが、5年に一回というコンサートにしたのは。

大工哲弘大工哲弘:やっぱり、成長度をみるのは5年おきぐらいのほうがちょうどいいのではないか。1〜2年では短すぎるし、充電するにしても5年くらいが充分に満ちていると思う。
中には毎年する方々もいらっしゃるかもしれないけれど、何しろ、僕のリサイタルはみんなで手作りでやっているものだから、みんなが毎回新鮮さをもってやるにも5年間くらいの期間があったほうがいいと思っています。

——節目として、5年という区切りとのこと。5年毎というのはオリンピックよりも長いですよね。

大工哲弘:いつも思うのだけど、毎回これで満足というのはないんですよ。たとえば、女性が難産してお産したあとと同じかもしれなくて、これで終わりという訳でなく、すべてが積み重ねなんですよ。

——唄者・大工哲弘さんとして満足の領域とはどのような地点になるのでしょうか。容易には想像できません。

大工哲弘:そうですね…、自分が納得がいく歌い方ができるまで。それは一生続くかもしれないけど。もしそれができたら、今回で終わりにするのかもしれないが、それはないかもしれない。何しろこれまでも何十枚とレコードやCDを録ってきたけど、自分の過去の唄は聴かないんですよ。いつも前へと進みます。
大工哲弘“ゆんたしょーら”インタビュー【前編】
——ある著名なアーティストも、かつて同じ様なことをおっしゃっていました。

大工哲弘:大事なことは、20代は20代の声、30代・40代にはその時の歌があっていい。節目で5年間をやってきたのは確かで、前回は50代最後の節目をやってきた訳です。

過去を悔やむことが大事ではなく、レコードやCDも『ゆんたしょーら』公演も記録なんだから、その時代、その瞬間をみなさんと一緒に共有できたらと思います。

八重山民謡を歌っている限り、これまで頑張ってきた姿をみてほしいし(聴いてほしい)、20代の頃から大工哲弘を支えてくださった方々をはじめ多くのみなさんたちと、共に歌い、共に喜び合えたらと思います。
つづく/[後編]では『ゆんたしょーら』の詳細やこれまでの歴史をさらに掘り下げます!

大工哲弘コンサート『ゆんたしょーらpart6』
 “歌って40年。八重山の心を歌い上げる。”
日時:2009年12月6日(日)
   開場午後5時30分/開演午後6時
会場:那覇市民会館 大ホール
前売:3,000円/当日:3,500円
プレイガイド:リウボウ・チケットぴあ
ブログ:http://daikutetsuhiro.ti-da.net/e2583396.html
大工哲弘HP:http://daiku-tetsuhiro.com/

(取材: 桑村ヒロシ)


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Posted by ryuQ編集室 at 2009年11月19日   09:00
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