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宮古の『忘れがたき故郷・池間島』展

宮古の『忘れがたき故郷・池間島』展
池間島の半世紀前の光景と記憶を写し残した写真展が、伝統行事ミャークヅツが行われた3日間に開催され、地元の皆さんからの好評により11月初旬まで期間延長されたという『忘れがたき故郷・池間島』展。
地元のみなさんで集めた島の写真数十枚の中からと、1961年に訪れた民俗学者の野口武徳さんが池間島で半年間暮らしながら記録された古い写真フィルムから複刻した写真を中心に計108枚が展示されました。
地元の福祉施設が主催し、フォトセラピーの観点から島のお年寄りのみなさんの記憶を辿る作業を目的としながら、島の行事に帰省してきた池間出身の方々にとっても、とても懐かしい記憶と記録が詰まった写真の展覧会になったといいます。(参考記事:フォトセラピー【池間島編】を読む)
芦川剛志今回、半世紀前のフィルムから写真を複刻プリントされた芦川剛志さん(池間島在住10年/写真家)に、その背景などを語って頂きました。

——今回池間島で、とても懐かしい写真の展示会を開催されたという経緯について。

芦川剛志:ちょうど1年ほど前に、米軍が池間島上空から撮った昔の貴重なカラー写真を、福祉施設の職員のかたが、施設のお年寄りの皆さんにお見せしたところ、「とても懐かしい」という皆さんの声から、池間島の昔の写真などを集めようという話に発展しました。島の人たちから50〜60点ほどの写真が集まったんです。

野口武徳でもそれだけではまだ足りないとなり、民俗学者の故・野口武徳さんが47年前に池間で半年間過ごされた時に、記録写真をいっぱい撮っていたはずだという話を聞きつけました。島一番の情報通・ラジオ屋の健さんに伺うと、『<池間民俗>考』を出版されている笠原政治先生がご存知のはずだという事でした。実は笠原先生とは10年程前に知り合っており、すぐに連絡を取り合いました。そして先生を通じて野口武徳さんのフィルムが30本ほど届くことになりました。

しかしそのフィルムがとても古く保存がよくない状態でしたので、まずは綺麗に補正することから作業がはじまりました。全部きれいにして、スキャンしはじめたところ、凄い写真がいっぱいあるんです。

——そのフィルムを初めて見たときの印象はいかがでしたか?

芦川剛志:何より1コマ1コマがとても大事にじっくりと写されていること自体が凄いですね。もちろん、その当時はフィルムが貴重品だった事もありましたが、1コマずつまったく違うシーンが写っているんですよ。
民俗学者の方でしたが、フレーミングもしっかりして、写真が上手いなという印象でした。

当時記録用の写真のつもりが、半世紀近い時を経て当時とはまた違う価値が付加しているのですよ。たとえば当たり前の光景だったものが、今では当たり前では無くなっていたり(失っていったり)、とか。

——失われたものが写真の中にいっぱい残っていたのですね。どのような貴重な写真があったのですか?

芦川剛志:昔の島のウタキ(聖地)の様子が写っていたり、洗骨のシーンが写っていたりとか、今ではとても貴重な写真がいっぱい記録されていました。
ウタキ
現在は島にツカサ(神人)の後継者がいなくなって、香炉のまわりに草が生えて荒れてしまっている状況なんですが、当時の写真から見えてくるのは手入れがしっかりとしていて、今以上にきちっとやっていた時代だったんだなという事などが伝わってきます。

——現在、池間島のツカサ(神人)の継ぎ手がいなくなってから、もうどれくらい経つのですか?

芦川剛志:昨年の旧暦の年末まででしたね…。

それでもツカサの制度が条件がこのまま(厳しいまま)、これからもいなくてもいいのか、やっぱりいたほうがいいのか。島はどっちの道を選んでいくのでしょうか…。

よく「ツカサになると大変だから」と聞きますが、この47年前の写真からはツカサたちが活き活きとしていて喜びが伝わってきます。いつの時代からか喜びや楽しさが抜けて、ツラさだけが残ってゆくのですよね。
ツカサンマ
たしかに年間に何日間も拘束されているのに無報酬で続けるというのは、現代では大変な事だなとも思います。

——昔の写真から見えてくる風景の中で、大きく変わっていったところなど、何か気が付かれた事などはありますか?

芦川剛志:今は池間湿原となって淡水化してしまっている場所は、昔は海岸だったんです。イーヌブーといって、昔は豊かな海だった場所が写真に残っているところは貴重ですよね。
イーヌブー
そのほかにも、当時の写真に写っているツカサのひとりは、今も102歳で健在なんですよ!

——47年前の写真に写っている人たちが誰かというのはほぼ判明したとのこと。記憶を辿るというのは貴重な作業でしたね。

芦川剛志:ここの施設には80代のかたが多いのですが、この写真展の準備では、パネルに写真を入れる手先を使う作業をお年寄りの皆さんがされました。
それと、昔の写真をみて、記憶を呼び戻すという作業が大事になってくるんです。実はそれがリハビリの一環だったのです。
宮古の『忘れがたき故郷・池間島』展
そのほかにも写真展示の設営のため、写真を吊り下げるのに紐の結び方を覚えてもらったのですが、結局40人の40通りの結び方ができましたね(笑)。島のお年寄りたちの為のプログラムでもあったんです。

——島のおじいちゃんおばあちゃんたちからは、どのような声が聞かれましたか?

芦川剛志:写真をみて「これは誰々だ」とか「何をやっている場面だ」とか、記憶を語ってくれるんですよね。それが何よりも第一の目的でした。
※くわしくは→フォトセラピー【池間島編】の記事を参照
そしてデータベース化してきちんと保管するのが第二の目標なんです。

——また島内外から来られたお客さんからはどのような反響がありましたか?

芦川剛志:島内や島出身のお客さんからは「懐かしい」という言葉が一番多かったですね。思い出ばなしは尽きないようでした。そのほかには「販売用のDVDは無いのか?」という問い合わせなどが多かったですね。写真についてもプリントで欲しいというお客さんがいたりしました。
島外から来られたお客さんからは「この写真展をきっかけに、池間島の事をもっと深く知りたくなりました」という感想もありましたね。
宮古の『忘れがたき故郷・池間島』展

——今後の展望はどのようにされて行く予定でしょうか。

芦川剛志:今回は、集まった500枚の写真から108枚の展示でしたので、500枚全部を公開してゆくことができたらと思います。また、DVDのクオリティーを上げて製品化できたらとも思っています。
そしてそれは、野口武徳氏が池間のためにと御礼として本を出版されたのと同じように、欲しいと願う人のための要求に応えていきたいのです。
今後は、写真に限らず、テレビ映像から出版物まであらゆるものを集めて、池間島の記録をアーカイブして未来につなげたいと思っています。

※関連記事:
 →フォトセラピー【池間島編】

(取材: 桑村ヒロシ)
(取材協力: 老人福祉施設きゅ〜ぬふから舎、芦川剛志写真事務所)



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Posted by ryuQ編集室 at 2008年12月05日   09:00
Comments( 3 ) 写真でみる沖縄
この記事へのコメント
"芦川剛志:今は池間湿原となって淡水化してしまっている場所は、昔は海岸だったんです。イーヌブーといって、昔は豊かな海だった場所が写真に残っているところは貴重ですよね。"

凄い、鳥肌ものの写真です!!!

昔、当たり前だった風景が、
今は、当たり前でなくなっている・・・・


写真って、
凄い力だと・・・・
Posted by パイパティローマ at 2008年12月05日 10:42
パイパティローマさん、こんにちは。ryuQのKUWAです。

たった50年くらいの間に、島の形がこんなにも変わってしまっているのには驚いたかと思います。

今では、湿地があり大橋が架かっているのが、池間島というイメージがあるかもしれません。
でも、ほんの半世紀前までの本来の池間島はこういう姿をしていたんだな、というのが記録写真によってわかります。

今回の展示を実現するにあたって、過去・現在が客観的にわかり、
そして未来をどうしてゆけば良いのか、いろいろ学ぶものがあったというお話を伺うことができました。

池間の姿(昔の写真と今)から、宮古や沖縄(たとえば泡瀬干潟)のほか、各地とも重ねてみることもできるのかなと思います。
Posted by ryuQ編集室ryuQ編集室 at 2008年12月06日 08:15
こんにちは 菊池一郎と申します。
宮古島在住当時(平成7-15年)池間島に興味があり、何回も訪問しました。海から池間湿原へ至る道を逆行したこともあります。沼や、岸部の石垣がありました。米軍の写真は何年に撮影されたのでしょうか。確かに、埋め立てたために、海への流れが遮断され、池が湿原化したと聞きました。いろいろな生物が昔のまま、棲んでいるといいと思います。Ichiro Kikuchi
Posted by Ichiro Kikuchi at 2011年10月29日 18:55
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