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海人カメラマン・古谷千佳子物語【第2話】

第2話「海人への道。そして表現者としての道」
海人カメラマン・古谷千佳子さんのドキュメンタリーTV番組が全国放送されて以来、沖縄の海人に憧れて沖縄に移住してくる人も少なくはないようですが、やはり現実は厳しいようで長くは続かないようです。

当時、古谷千佳子さんがどのようにして夢を実現してきたのか。その実際を伺うと相当な強い意志と、夢の実現に向けての努力を妥協しなかったこと。(第1話参照)

彼女が目指したのは、写真家になるよりも以前に“海人さんたちの海に暮らす姿(生きる姿)”に惹かれ、自らが吸収してそれを“表現してゆきたい”という目的がありました。その計画に向って、どのように実行に移していったのか。古谷千佳子物語【第2話】です。

海人への道。そして表現者としての道

——古谷千佳子さんは、まずは漁師になるためには2年掛けてご自身なりに下準備をしてきたといいます。そして準備も整い、いよいよ念願だった海人になるために沖縄へと渡ることになりますが…。

海人カメラマン・古谷千佳子物語【第2話】古谷千佳子:ようやく沖縄に移り住んだのですが、私が当てにしていたおじいちゃんは、絶対に船には乗せてくれなかったんですよ。
昔からの言い伝えで、「海の神様は女性だから、女性を船に乗せて漁に出ると神様は嫉妬するので不漁になる」「天候が悪くなる」とかそういう迷信的なことのほか、女の子を船に乗せて海に出てもし万一何かあったらいけないという心配もあったと思うんですね。

今でも初めて訪れる地域では、女性の私が船に乗せてくださいというと「え?!」という顔をされるんですよ。それでもしぶとく(笑)通い続けました。

また今までやってきたこと(実績)があるから、「あの娘は、海人をあちこちで撮っているんだ」という事を人伝に聞いて、とりあえず乗せてもらったり。そして実際に潜るところをみせると、そこでようやく認めてもらえて、次からは何も言われなくなるんですね。

とにかく最初の頃は、海の仕事といっても年輩のかたの船には乗せてもらえなかったので、モズクの収穫を手伝ったり、あとは若手の漁師さんたちの海の仕事をお手伝いしていました。また、潜水士やダイビングインストラクターの資格も取っていたので、夏場にダイビングショップのお手伝いをして日当を貰うとか、とくかく海だけで暮らしたかったんです。海の仕事は本当に大変ですが、なんとか続けてゆくことができました。

——海の仕事に携わりながら、その後どうやって表現者の写真家へと転身していったのでしょうか?

古谷千佳子:本当の夢は“漁師そのものになる事”ではなくて、それを実体験しながら表現することだったんですね。
理想は、仕事をしながら表現活動ができたらと思っていたんですけど、やっぱり海の仕事って片手間にできる仕事では無いから、しばらく海の仕事に専念していました。

そのうち、記録用に持ってきていたカメラもいつの間にかサビてしまって、“表現する”というところから、どんどん離れていってしまったんですね。このままではよくないなとは思っていたんです。

——どんどんインプット(吸収)しても、アウトプット(表現)する機会がなかったのですね。

古谷千佳子:沖縄に来て最初の頃は海の美的景観とかに関心がありました。例えば、波の波紋だったり、白い砂に描かれるような光の線であったり、不思議な空間があったりしますよね。
でも、そのうちそういうところから、人の営みとか一生懸命な仕事姿に惹かれて、そこに興味が移っていった時に、表現手段として“絵よりも写真だ”と思いはじめたんですね。

海人カメラマン・古谷千佳子物語【第2話】
写真は、撮る人(表現者)によって変わりますよね。撮るにはコミュニケーションも必要だし、人間関係が映り込む写真が面白いなって思って、そこでカメラマンになりたいと思ったんです。沖縄に移り住んで3年後の頃でした。

写真を本格的にやるには、自分を本気で崖っぷちに追い込む為にも、その仕事をするしかないと思ったんです。
その時は、写真の仕事というとスタジオマンしか思い浮かばなかったんですね。
カメラ雑誌の募集広告をみたら、その時の募集が東京にしか仕事が無かったので、思い切って東京へと行くことに決意しました。

——沖縄で海の仕事を3年間やってきてすっかりその環境に慣れていたところから、またまったく違う環境(職業や場所)へ行ってまで、それに挑む。目指す目標に向かってまっしぐらですね。

古谷千佳子:写真スタジオは東京都内なので、東京の実家に戻るという手段もあったかもしれません。でもまだ、夢に向かっている途中なので、そうはしませんでした。
安アパートに住んでそこから通っていたんですが、電車賃も無かったのでいつもJRの駅まで走って通いました。そのほうが鍛えられますしね(笑)。

またアパートには風呂も無かったので、スタジオの帰りにはプールのインストラクターのバイトもやって、そこで最後にシャワーを浴びて帰りました。実家から通えばラクだったのでしょうに、貧乏生活をしてでも、って意地っ張りですよネ(笑)。

ところでスタジオマンって、大体25歳くらいまでなんですよね。当時私は27歳でしたが、どうしても撮影の現場に入りたかったんです。見た目が子供みたいだったので誤魔化してでもなんとか入れてもらったりして。でもすぐにバレちゃって皆に大笑いされましたけどね(笑)。

海人カメラマン・古谷千佳子物語【第2話】東京で2年間スタジオマンをしながら、そのうち誰かのアシスタントを務めたり、フリーでカメラマンをやったりしていました。そうやってカメラマンとして仕事が出来るようになったので、そこで再び沖縄に戻ることにしたんです。

それは当初からの目的だった“海で働く人たちの姿を撮りたい”、“そしてそれを表現したい”という夢を果たす為にでした。

——夢を成し遂げるために目標に向かってひたすら貫いていったその姿はとてもドラマチックです。そしていよいよ、そのドラマが夢を実現しようとしていました。再び、舞台は沖縄へと展開てゆきます。
古谷千佳子物語はつづく

 第1話:「沖縄の海人にみた“原点”を表現したい」(只今掲載中)
 第2話:「海人への道。そして表現者としての道」(只今掲載中)
 第3話:「海人に惹かれるのは、そこから色濃く深いものがみえてくるから」(NEW!)



※古谷千佳子『海人ちーかのブログ』:http://kakosukem6.ti-da.net/

(インタビュー: 桑村ヒロシ、取材協力: 古谷千佳子事務所)


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Posted by ryuQ編集室 at 2008年07月24日   09:00
Comments( 0 ) 沖縄の人々
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