登川誠仁インタビュー【後編】
登川誠仁さんの名曲秘話から、嘉手苅林昌さんと民謡のことで誓い合った話、これからの人生をかけてやっていきたいことなど、登川誠仁さんの渾身のメッセージを記録したスペシャルインタビューは【前編】に引き続き【後編】をお届けします!(※直筆メッセージ入り)
——戦後すぐは本土の歌とかが流行ることとかは無かったのですか?
登川誠仁:なかった。替え歌とかはやっていたけど。
——戦後のどんな情況の中でも、登川さんらしくポジティブにされてきたと思うんですが、『戦後の嘆き』という歌をレコーディングされたこともあって、やはり戦争の傷跡なども見てこられたのかなとも思ったりしたのですけども。
登川誠仁:この曲には由来記があってよ。以前住んでいた家の裏手に三線屋があって、酒を飲みながら泣く人がいてよ。なんでこんなに泣くのかね、と思っていたら、若い頃から戦で本土のほうに行っていて戦後になって故郷に引き揚げてきたら、家族が亡くなっていてよ。だから酒飲んで泣いていたんだよ。
私は歌を作ることは好きだが、こういう哀しい歌を自分で歌うと自分も泣いてしまうから、自分自身では歌いたくないよ。
詩は、便所に入って地面の土に書いたよ。あの『戦後の嘆き』という曲は、便所生まれだよ。
ずっとトイレに入っているので、家族が心配して呼びに来たくらいだったが、
「歌を作って地面に書いたから、紙とえんぴつを持って来なさい」と伝えて、それを書き写して生まれたんだよ。
これと『豊節』も同じうちだったんだよ。地元のエイサーにエイサーを教えに行って、歌も入れたのが『豊節』だった。
エイサーはあちこちに教えに行ったよ。北は名護市羽地の仲尾次、石川市の2区、恩納村の東恩納、沖縄市の室川、具志川の宇検、そして伊江島の8集落全部。伊江島の婦人会もチョンダラーで赤フンドシになって面白かったよ(笑)。
私は、こうして自分が面白くなければ、また変えてしまう。歌詞もその地域に合ったものに作ってよ。
「伊江島の沖に宝の船を浮かべて神様をお迎えしたい」という歌詞を付けてね。でも、青年達と酒を飲みながら作るものだから、翌日には歌詞がまた変わってしまったりね(笑)。もう25年くらい前かね。
——それから、ハワイにも行かれていますよね。「ハワイにちょっと行ってくる」といって1年くらい滞在していたそうですね?
登川誠仁:1カ年くらいは居てよ。ハワイ側は、私が三線のほかにも太鼓や三板までもやるとは思っていなかったんだよ。この人はなんでもできるといってお願いされて、ハワイの各地をまわったけど、行った先々では子供に間違われたりしてよ(笑)。
飛行場に着いても、誰も迎えに来ないし、酒を飲みながら椅子に座って待っていたよ。
4時間待っていても来ないので、場内アナウンスしてもらったら、想像していたよりも小さかったみたいで、自分を見て中学生かと思っていたらしくてよ、すぐ近くで随分とすれ違っていたわけ(笑)。
あっちの人に「自分が登川誠仁」と名乗っても、「えぇ、こんな小さな人じゃなかったよ。私は沖縄で見たことあるのに」って本人を前にして(笑)。私は「アンタたちが見たという誠小(セイグワー)はどこの誠小か???」って思いながら可笑しかったよ(笑)。
ラジオの時代だから音声でしか聴いたことがないわけ。私の歌声が大きさから、みんなは大きな人だと勘違いしていたらしい。
私は最初の頃は、女の声みたいだったよ。先生がね、声が高くては芝居の地謡はできないといってね。板良敷先生の指導で、喉から血が出るくらいに声を出していたからね。
石川の畑で、夜に酒を飲みながら三線弾いて歌ったり、石川ビーチのガマ(洞窟)の中で大きく声を出して、その響いた音よりもさらに大きく歌えと指導されてね(笑)。それがあったから、高音だけでなく低音も出るようになったんだ。
16〜17歳の頃だったが、誰が聴いても60〜70代の歌声だと思っていた人も多かったんじゃないか。
ハワイには照屋林助さんが作ったエレキ四味線を持っていった。この四味線は小さいからスーツケースに入れて持っていったりしたんだ。だから三線ケースも持っていかなかったからなおさら向こうの人は飛行場で私を探せなかったはず。
そういうことで、エレキ四味線は私が使ったのが最初だったはず。その後は、フォーシスターズが使っていたよ。
でも、昔、結婚式場からの帰りのタクシーにそのまま置き忘れて紛失してしまった。そのあとラジオでも呼びかけたんだが、返ってこなかったよ…。
——最近の民謡についてはいかがですか。
登川誠仁:今も沖縄の歌は生まれてはいるが、歌詞が上等でも、面白くなくてはよ。
もうちょっと沖縄の民謡を生かすような歌にしないとね、沖縄の民謡は無くなってしまうよ。
昔、嘉手苅林昌と酒を飲みながら、「2人で民謡を守っていこうね」と誓い合ったのに、向こう(あの世)の土地が値上がりしないうちに先にあっちに行ってしまってよ…。
——民謡も大事に受け継いでいきたいところですけど、今、若い人たちの中にはうちなーぐちを喋れない人たちが増えていますよね。
登川誠仁:でもよ、歌(沖縄民謡)を上手に覚えていけばね、方言は覚えやすいんだ。本当に“心から歌っていない”から沖縄の方言はできないんだよ。
——沖縄民謡を伝えていくなかで、お弟子さんたちがたくさんいらっしゃいますよね。そのお弟子さんたちに“大切なものはこれだよ”というのは何を一番に教えられているのでしょうか?
登川誠仁:歌だけじゃなくて、人のつきあいを大事にしなさいとか。親の背中や世間からの教えのなかで育つので、私が作った歌詞をよく見ておきなさいとね。
「親の教え事や、身の上の宝。
世間の教え事や、世の宝」
「とぅしみ学問や習てぃ習りしが、
人のジンブンや生まりでぃん」
「人の仁徳や
お天ぐとさらみ」
と、こういう詩は、古典にも無いからね。
これらは教訓歌だけど、私は本当は学校も行かないでしょっちゅう三線ばかりしていたからね。だから“学校に行かなければ必ず頭が良くならないのか?といえばそうでは無い”というのが私の信念だよ。
酒もやめてよ、こういう教訓歌を世間に広めておこうと思うんだよ。それまでは簡単には死ねないね。
(→登川誠仁インタビュー【前編】を読む)
■登川誠仁、ついにNHK総合TVに登場!!
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必見ですよ。どうぞお見逃しなく!
日時:7月4日(日)15:05(予定)
NHK総合TV『民謡日本一決定!日本民謡フェスティバル2010』
■登川誠仁、一夜限りのコンサートが東京で開催決定!
チケットは前売り400枚限定!
日時:2010年8月29日(日)
開場:17:00 開演:18:00
前売:4.300円 当日:4.800円(全席立ち見、入場整理番号付き、ドリンク別)
※6/20よりチケット発売中!
(お問い合わせ&チケットご予約)
EATS and MEETS Cay:東京都港区南青山5-6-23スパイラルB1F
ローソンチケット:0570-084-003(Lコード:71195)
※さらに詳しくは、リスペクトレコードHPへ。
http://www.respect-record.co.jp/topics/res163concert_cay.html
(取材編集: KUWA、取材協力: シャララカンパニー、リスペクトレコード)
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