唄者・松田末吉インタビュー【前編】

大城美佐子さんの片腕として、そして'90年代には初代ネーネーズの三線奏者メンバーであり、また沖縄県内では“ちょいワル親父”唄者4人組『ザ・フェーレー』のメンバーとして活躍する松田末吉。ソロ名義ではなんと初のCDアルバム『唄うんじ』をマルフクレコードより2008年秋にリリース。

松田末吉さんの第一声「今日は事情聴取か!?」というユーモアな言葉からインタビューがスタート!
三線のはじまり
松田末吉:三線をはじめたキッカケは、高校に入ってから。父親が三線を晩酌しながら毎日弾いていたんですよ。ところが18歳の時に父親が亡くなって、1年忌が終わってから寂しい気持ちになり、三線の音色を聴くと父親を思い出す。でももう父親の唄三線も聴けないから自分でやるしかない、と思ったのが三線のキッカケ。当時は研究所なんてなかったから、とにかく弾きたい一心だったので独学で2〜3曲から練習しはじめたんですよ。

松田末吉:大城美佐子先生との出会いは21歳頃。やんばるのステージで会ったのが最初だった。その頃、名護で『さざ波』という民謡酒場を美佐子先生がやっていて、兄が世話になっていたので「勉強させて下さい」とお願いして顔を出してたんですね。3ヶ月くらいかな、小遣い程度の給料だったが“三線をやりたい”という気持ちが強くて、とにかく勉強させてもらった。あの頃は先輩たちについていくのが精一杯だったな。
海洋博(昭和50年)には沖縄に戻ってきた末吉氏だが、実はその前年、妻子を沖縄に置いて生活のため単身で1年半ほど仕事で本土に行っていたそうだ。「その頃も本土で三線は弾いていたんですか?」と訪ねてみると、当時その場所には沖縄料理屋や沖縄の人間はいなかった環境だったとの事で、三線を触ることはまったく無かったのだそう。
そして1年半後に沖縄に戻り、昼間は重機オペレーターの仕事をしながら、夜は再び名護の民謡酒場『あしびじま』で三線を弾き、またその頃、海洋博にあったアクアポリス(沖縄海洋博記念公園にあった施設)にもよく呼ばれて三線を弾いていたのだそう。その頃はまだ、後年にネーネーズでお世話になる知名定男氏とは、出会ってはいなかったそうだ。
おとぅ・嘉手苅林昌との事
松田末吉:『あしびじま』では1ヶ月間だけ嘉手苅林昌先生(故)と一緒にいたんですよ。おとぅに教えてもらったのは舞踊曲の『仲作田』。これだけは忘れられない。僕にとっては人生の思い出のワンシーンですよ。
——嘉手苅林昌さんはどんな方だったんでしょうか?
松田末吉:“自由気ままな人”。ステージでも一緒に唄ってるかなと思って振り向いたら、いないんですよ。アレッと思ったら楽屋でタバコ一本吸ってまたステージに上がってきたり、本当になんていうかな…自由人だったな。嘉手苅先生に出会ってから僕の人生も多少は(もっと頑張らなくちゃ)という芽生えだったかもしれないですね。人間的には…ちょっと個性的でね(笑)、だから唄三線に対してですよ。
歌は財産だからね
——沢山の方のアルバムに参加してサポートもよくされてますが、末吉さんはどんな唄が得意で、どんな唄が好きなんでしょうか。
松田末吉:あのね、得意っていうのは自分が決めるもんではない。これは人が判断するもの。だから、得意な唄は一つもないとも言えるんですよ。
でも“その唄だったらその唄の思い出”っていうのがありますよね。例えば美佐子先生とだったら、『ヨー加那ヨー』『ダンク節』や『ヒンスー尾類小』だったり。
もちろん、好きな歌はいっぱいありますよ。好きな歌をやる時は、先輩たちにどれだけ近づけられるかって事なんですよね。“歌は財産”だなと思いますよ。だからこれはね、若い世代が受け継いでいかないといけないんだよね。
ネーネーズ時代
——初代ネーネーズでの三線演奏者としての参加は、結成前に知名定男氏のところで2年ほどいたのがキッカケで手伝うご縁となったとのこと。
松田末吉:ネーネーズではいろんなところに行けたね。バリやハワイ、アメリカなど海外にも行ったし。これは本当に知名定男先生のおかげだと思ってますよ。
そしてその「知名定男先生のおかげ…」は、その後、知名定男氏がプロデュースしたザ・フェーレー結成へとつながっていく。
ザ・フェーレーの結成
〜「人の金品に手を出さず、唄三線で人の心を盗む」〜
松田末吉:『やんばるの歌』という歌会をね、名護市民会館で平成8年にやったんですよ。その年に結成したのがザ・フェーレーですね。結成のキッカケは単純で、定男先生が「唄三線はしっかりしてるけど、顔が悪いからテレビ向きじゃない、ラジオ向きだから、あんたなんかにふさわしい名前は『フェーレー』(山賊)だな。」って(笑)。

でもね、最初はノリ気じゃなかったんだよ。中華料理屋で料理が出てきて「飲めぇ、飲めぇ」で奢ってもらったらやらないわけにはいかなくなった(笑)。あの時は確か備瀬さん(キャンパスレコード社長)もいたんじゃなかったかな、というのが結成エピソード。
ザ・フェーレーは、松田弘一・波田間武雄・徳原清文・松田末吉というベテランの実力派唄者の顔ぶれからなり、'97年の琉球フェスティバル東京&大阪でデビュー。近年では2006年の単独リサイタルが超満員で、民謡紅白歌合戦などにも出演を重ねた。全員揃ってのステージは1年のうちに時々しかお目にかかれないだけに、心待ちにしているファンも多い。
ちなみに今回取材現場となった島唄カフェ『いーやーぐゎー』のマスター・小浜司氏によれば、“フェーレー”とは中国語に語源があり“無駄なもの”“やっかいなもの”の意味合いを持つとか。そして沖縄で“フェーレー”という言葉自体には、“盗人・追いはぎ”の意味があり、17世紀頃から使われている言葉だそうだ。
そしていよいよインタビュー【後編】では、初アルバムとなった『唄うんじ』についてご紹介します!(本日夕方17:00更新予定です!)
(取材: YANTY藤原、編集: KUWA)
(取材協力: 普久原楽器、島唄カフェ『いーやーぐゎー』)
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