照屋政雄・ふるさとでの初リサイタルを完全レポート
県内では「ナマネェー ワンタマシー!」という声で始まるROKラジオ(ラジオ沖縄)でかつて放送されていた『民謡の花束』、またはリズムとテンポが良く、耳に残る楽曲の「チョンチョンキジムナー」、近年では中江裕司監督の映画『ホテル・ハイビスカス』(2002年)より、主人公・美恵子の父ちゃん役で知られている照屋政雄さんが、『いちん忘らりみ ふるさとの恩義 照屋政雄ふるさとに唄う 読谷村青少年育成資金造成チャリティー公演』と題したリサイタルを、出身地の読谷村は読谷文化センター鳳ホールで行った(2008年9月21日開催)。
照屋政雄は、照屋林山に弟子入り演芸指導を受け、人間国宝・島袋政雄師範の元に弟子入り。琉球新報社主催古典芸能コンクールにて最高賞を受賞。故・照屋林助さんや登川誠仁さんらに民謡の極意・真髄を学び(注:両氏を師匠・弟子という関係で書くにはちょっとニュアンスが違うらしいので、あえて“学び”と表記)、「トゥルルンテン」でヒット賞を受賞し沖縄民謡界ヘデビュー(やんばる出身のグループ『とぅるるんてん』も、照屋政雄の「トゥルルンテン」のタイトルからその名をもらっているという)。その後も「明日からや」などが話題となる。コミックが得意な唄者として、また三線屋としてオリジナリティ溢れる持論を持ちながら沖縄民謡界では“自由な芸人”というポジションに位置する。
かねてから、子供たちや青少年たちのために、出身地である読谷村のために、何か行いたい…と願い、そして数え70歳というお祝いも込めた初めてのリサイタルが開催。県内外からもファンが駆けつけ、また多数のゲストを迎えての公演となった。
舞台裏から
リサイタル当日、お話を伺うと「今日と言う日を、天気も気持ちも頭も晴れ晴れで迎えた。わん(私)は、10年刻みで考え方や暮らしが変わってきている。これまでも私は唄と三線で生涯楽しく暮らしてこれた。またこれからの70〜80歳までは唄と三線で世のため、人のために続けていきたいし、生活が苦しくても唄と三線があれば生きていける、そういうことを皆さんに伝えていきたい」と語ってくれた。
楽屋で控えていた登川誠仁さんに「何か一言、お言葉を」と伺うと、「イヤ、何も。いくつになったか? 70歳か、おめでとう」と一言。「お二人は知り合って何十年くらいになるんですか?」と伺うと、「30歳からだから、40年」(照屋政雄)、「なんでおかしい?」(登川誠仁)と会話が成立しているのかしていないのか…そんなユニークな調子で舞台裏の楽屋は始終なごんでいた。
40年間もこんな調子で、いや、まだまだ私たちには知らないユニークなやりとりが、もうずっとこんな風に沖縄民謡界の中では行われてきていたのだろう。
いよいよ、リサイタル本番を迎えて
この日、スペシャルゲストの登川誠仁さんをはじめ、ゲスト陣には、徳原清文さん、饒辺愛子さん、宇栄原宗真さん、前川守隆さん、前川守賢さん、比嘉マチ子さん、ケントミさん、という錚々たる面々による民謡や古典の唄と三線。
舞方棒の内間安勇さん、琉球笛の知念久光さん、舞踊の玉城流内間勝美琉舞道場、読谷村の妙武館から沖縄小林流空手道の皆さん、そして波平地区のこども棒獅子舞、琉球民謡登川流研究保存会から大勢のお弟子さんたちが駆けつけ、3時間以上の豪華ステージとなった!(司会は藤木勇人さん・吉澤直美さんのお二人)。
実行委員長の山内徳信さんの挨拶から始まり、玉城流内間勝美琉舞道場の「花あしび」の舞踊からスタート。肩に金色の蛇がモチーフの派手な衣装を身につけ「イビー読谷山(イビーユンタンザ)」、「読谷村ナークニー」といった読谷に縁のある本人から唄三線を披露後、駆けつけた民謡歌手がそれぞれお祝いの言葉を述べながら次々とステージが進んでゆく。
次々と豪華ゲスト、唄のお祝い
病気と闘いながらステージに立つケントミは、我如古盛健さんと比嘉富子さんというユニットの二人だが、この日は太鼓の比嘉富子さんは体調が芳しくなく急遽来場することが出来ず、我如古盛健さん一人でのステージとなった。ステージに比嘉富子さんの姿はなかったが、太鼓がセッティングされ、我如古盛健さんは一人で「月ぬ美しゃ」と「国頭サバクイ」を披露。
饒辺愛子さんは「愛の村情話」を披露。この唄はある婦人の詩を元に、照屋政雄さんが曲をつけアレンジを行った饒辺愛子さんの持ち歌で、普段よく耳にする「肝がなさ節」とは違うしっとりとした哀愁漂う曲調で歌声を聴かせてくれた。
夫婦芝居を見せてくれたのは弟子の冨着平一さん・京子さん。男女役を交換しまじめな顔をして「浜に咲く花」を踊る姿で場内がその奇妙でおかしい姿に笑いが起きる。“さすが照屋政雄の弟子”といった芸風。(この芸、もう何年も披露しているが、1年に一度くらいしか観ることができないといったなかなかレアな演目だそうだ!)
後半では“故郷・読谷村の青少年のために”という長年の想いが実り、この日の売り上げの一部を寄付するセレモニーが行われた。また、獅子舞の表情豊かでダイナミックだけど愛嬌ある演舞に客席は大盛り上がり。最後は獅子舞を脱いだ子供たちの元気いっぱいな姿に会場は拍手喝采。再び本人の独唱かと思いきや、1曲披露の後、ステージにセットされた扉を開けて登川誠仁さんが登場し、歌い手がチェンジ。登川誠仁さんと弟子の仲宗根 創さんのステージの後、出演者全員でフィナーレを迎えた。
沖縄戦を生き抜いた時代から、そして映画出演まで
かつて沖縄戦では、アメリカ軍が沖縄本島西海岸から上陸して地上戦が始まり、死体があちらこちらに転がった。その悲しい戦場の一つとなる読谷で育ち、そして彼自身も石川(現・うるま市)のガマ(壕)に避難したり、捕虜になった経験を幼少に持ち、数年前には鎮魂のガマ(壕)ライブも行った経験がある。
司会の藤木勇人さんが途中、ステージの上から照屋政雄さんが読谷村を出た時の話しをしてくれた。照屋政雄青年は“ある日、突然、読谷村を出よう!”と思い、バスに乗って辿り着いたところが石川(現・うるま市)だったそうだ。入った食堂ではタダ(無料)のヤカンのお茶を飲み続け、食堂のお母さんに呆れられた事もあったのだとか。
17歳で社会に出て就職。しかし仕事についても半年働いては半年仕事が無くなるといった時代。「職場に恵まれなかった、仕事が消えていった」と語る。そして軍の炊事場の仕事もした。こういった時代を経て、昭和の時代は司会・民謡酒場・ラジオ・舞台・イベントの仕事をしながら、三線屋として三線作りも行い、役者としては映画『ウンタマギルー』(1989年・高嶺剛監督)や、2007年には桜坂劇場でも上映された『サルサとチャンプルー』(波多野哲朗監督)にも出演した。映画『ホテル・ハイビスカス』ではユニークな父ちゃん役で出演していたのが記憶に新しいが、来年2009年公開予定である中江裕司監督の新作映画『真夏の夜の夢』では、髭の船長役として再び銀幕に登場するようだ。
最後に、そしてこれから
「これからわんは、好きな唄だけ歌っていきたい」
“これから”ではなく、きっと“これからも”自由に唄三線で人々を元気にしていっていただきたい。また11月にも、沖縄公演に続き東京・福岡でのライブもあるそうだ。
冒頭の「ナマネェー ワンタマシ!」とは「今から 私の出番だよ!」という意味。
本当の出番はこれから(未来に)、なのかもしれない。
●照屋政雄プロフィール:
琉球古典音楽湛水流師範免許、野村流師範免許を有する。
琉球民謡登川流研究保存会理事長、日本三板協会理事。
代表曲「チョンチョンキジムナー」「トゥルルンテン」「明日からや」など多数。
現在、銀天街・銀天大学、くすぬち三線塾(いずれも沖縄市)などで登川流の唄と三線指導を行っている。
(文と写真: YANTY藤原、編集: KUWA)
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Posted by とよチャンネル at 2008年10月07日 16:08
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