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新垣優子物語[前編]

新垣優子物語[前編]
沖縄本島最北端の国頭村辺戸出身の歌い手・新垣優子さん(現在五島列島在住)。やんばる育ちで、彼女の伸びやかな歌声、そして喜びいっぱいに歌われる姿に、気持ちが温かくなってくる。歌うことの楽しさが伝わってくる新垣優子さんの歌の魅力のひみつにクローズアップ。

——新垣優子さんの歌には、やんばる育ちの健やかさや歌の楽しさをいっぱい感じるのですが、やはり子供の頃から歌が大好きだったのでしょうか?

新垣優子:大好きでしたね。まわりは大自然なので誰にも遠慮せず、学校への行き帰りに大声で歌っていましたね。
声も大きくて、ちょっと離れた友達のうちまで声が通っていました(笑)。開放感いっぱいの環境でした。
音楽好きだったので、小学生の頃に器楽クラブというのを作って、誰も楽器できないのにジャンジャン鳴らしたり、中学生の頃には卒業する先輩たちを送る会に“がらくた演奏会”を開催したり(笑)。
新垣優子物語[前編]
——“がらくた演奏会”ですか?

新垣優子:その頃(小学生で)、エコにハマっていたので、リサイクルの空き缶を集めて楽器を作ったり、創作するのが大好きでしたね。
そして短大の頃には、人形劇をやったりしていました。最初の就職は、音楽関係ではなく人形劇団に入団したんですよ。名護市屋我地にある人形劇団『かじまやぁ』だったんです。

——桑江純子さんが代表の人形劇団『かじまやぁ』ですか!

新垣優子:保育士になろうと思って短大に通っていたんですが、そこで本格的な人形劇に出会い、その魅力に惹かれてしまいました。

人形劇団『かじまやぁ』にはいろんな文化人が出入りしていて、例えば、名嘉ボクネンさんとか、笑築過激団と出会ったのもその頃だし、沖縄にこだわりを持った先輩方と出会った事や、公演で離島など各地を廻って島々の歌を歌ったりしたことなども大きな影響を受けました。

所属したのはわずか1年でしたが、それはとても濃厚な1年でした。そこで“沖縄”についていろいろ考えさせられる機会になったのです。
その後、沖縄色の濃いバンドで歌を歌わないかと誘われた時には、すんなりと受け入れられる自分がありました。その経験から、伝説のバンド『IMI (イミ)』(メンバーには新垣優子のほか、代表曲『風のどなん』で知られる西泊茂昌や、三線早弾きの名手・川門正彦など)へと繋がってゆくんです。『IMI』は、NHKの番組から生まれた“新しい時代に、伝統文化とどう融合してゆくか”とコンセプトのバンドで、“沖縄の魂を歌う”といわれたバンドでした。

その頃、照屋林助さんや喜納昌吉さんに番組で言われた言葉を久々に再生したら、「自分自身の中にある沖縄をちゃんと出しなさいよ」って言われていたんだなぁって。やっぱり先輩たちの言葉は凄いなと思いましたね。

新垣優子物語[前編]そんな20代だったのですが、音楽と同時に、環境問題に取り組んでいる友達ともその頃に出会ってゆくんです。8月の凱旋ライブではその頃からの友達もいっぱい集まってくれました。環境も文化も私には切り離して考えられないものなんです。

——生活の中に歌があって、環境も生活に欠かせないものであって、ということですね。IMIの解散後はどのような活動をされてきたのですか?

新垣優子:音楽のほうでは、IMI解散後は「あぁ、一人でやっていくしか無いんだろうな」って思っていたところに、同じメンバーだった西泊茂昌(与那国島出身)と、屋我地にあるハンセン病療養所の『愛楽園』に歌を歌いに行ったんですね。
園には八重山出身のおじいちゃんが入所していて、そのおじいちゃんからのリクエストに、西泊茂明が全部応えていたんですよ。その時代はまだ隔離されていた時代で、故郷には帰る事ができないおじいちゃんが泣いて喜んで聴いていたのをみて、とても感動したんです。そして民謡をやるなら「これだなぁ」っと思ったんです。
新垣優子物語[前編]
ある雑誌で、大工哲弘先生が「歌は生活の中にあるものだ」とインタビューに応えていた言葉に感動して、大工先生が講師を務めていた公民館の三線講座に通うようになり、そのうち、週に何度も通いたいなと思って、大工先生の民謡研究所のほうにも通わせてもらいました。入門して1年もしないうちにステージにも出させてもらえるようになりました。それまでバンドをやっていたので、もしかしたら舞台度胸がかわれたのかもしれませんね。
通常の稽古の後、残って舞台の練習をしたり、踊りの稽古のほうにも通っていきました。先生のバックで、当時ツンダラーズという名称で踊りやお囃子などを担当させてもらっていたのですが、自分は踊りも大好きなんだということを再確認させてもらいました。

八重山民謡を真剣に習得するために、自分の中で、故郷の沖縄民謡のほうは封印して、大好きだった民謡番組も聴かないで、頑張りましたね。

——そしてその後、ご結婚されて神戸に行かれますね。

新垣優子:2001年の冬に結婚して神戸に引越した時に、当時は夢にも沖縄ばかりが出てきていましたね。
神戸には知り合いもいないし、本土の冬は寒いし、三線を取り出して歌ってみようと思ったんです。

そしたら、心と身体が温かくなって…。もう泣きながら歌ったんですよ。まず歌いたくなったのが地元の沖縄民謡だったんですよ。
もちろん八重山民謡もやっていたんですが、自分の気持ちを自然に表現したい時の言葉が、やっぱり地元のウチナーグチだったんですね。
きっと封印が解けたように、沖縄民謡をいっぱい聴き始めたりして、あらためて自分の生まれ育った沖縄民謡に自然と向き合う事が出来ました。(インタビュー[後編]に続く)
新垣優子物語[前編]
そうやって、現在の新垣優子さんのスタイルになってゆくのでした。インタビュー[後編]では、1stフルアルバムの『風ヌ葉』について等々、まだまだ物語が続きます。

 新垣優子『風ヌ葉』(2500円)
 (わしたショップや県内CDショップのほか、辺戸共同売店でも購入可能)

(取材: 桑村ヒロシ、取材協力: B/Cレコード、佐渡山豊事務所、和田弥一郎さん)


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Posted by ryuQ編集室 at 2008年09月12日   09:00
Comments( 1 ) 沖縄の人々
この記事へのコメント
優子さんは何人兄弟ですか?
Posted by 千葉あいみ at 2009年07月11日 23:08
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