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貴島康男×小浜司対談&貴島康男インタビュー[前編]

貴島康男×小浜司対談&貴島康男インタビュー[前編]
沖縄民謡を正統な基準で本土に紹介した故・竹中労氏(※1)が生前最後に見出した、当時小学6年生だった奄美大島の唄者・貴島康男。幼少の頃より坪山豊氏を師匠と仰ぎ、現代においては奄美・島唄を伝承する若手一番の唄者と言いきっても過言ではない。

そして、ryuQではおなじみ、島唄カフェ「いーやーぐゎー」の小浜司さんと2007年10月に行われた大阪の琉球フェスティバルで久しぶりに顔を合わせた。その際に小浜さんによる鶴の一声で12月1日、奄美島唄ライブin沖縄が決定。

小浜さんは顔を合わせた当時から、そして竹中労氏が亡くなってからも、貴島康男の成長を見続けてきたいわば生き証人。そんな二人は出会ってもうすぐ約20年もの月日がたとうとしているそうだ。今回は小浜さんにも一部参加いただいた濃密なインタビューとライブの様子と2本立てでお届けします。
貴島康男×小浜司対談&貴島康男インタビュー[前編]
——まず、初めて沖縄の島唄と接するきっかけとなった竹中労さんとお会いしたのはいつ頃ですか?

貴島康男(以下、貴島):小学6年か中学1年か…。

小浜司(以下、小浜):あの時は確か一緒の時で、唄会やろうと言ってくれて、築地俊造さんも呼んでね。あれは'89年だったと思うけど、場所はどこだったかな。

貴島:坪山さんの自宅ですね。

小浜:それから沖縄に呼んだり、『島々の謡(うた)』(※2)や、資生堂の『花椿』に紹介したり。

貴島:どこかに僕が唄いに行くと必ず小浜さんがいるんですよね。
貴島康男×小浜司対談&貴島康男インタビュー[前編]
——竹中労さんに会った時の印象は?

貴島:竹中さんを見た時に感じたことは、後ろにあるオーラが凄かったんです。それも今、思うとなんですけど。とにかく歌に対する目の厳しさ、手の動き、言葉一つ一つ、そしてあの時、小さかった僕に何を言ったかというと「師匠を大事にしなさい。」と言ってくれました。

——約20年、小浜さんからみて貴島さんの姿はどう変わったと思いますか?

小浜:姿勢としては変わってないんじゃないかな。風の噂で一時、島唄を離れたと聞いて、戻ってきて再び聞いたら、基本的には変わってなくて安心した。

貴島康男の良いところは“内なるリズム”を持っていること。これは習ってできるもんじゃない。

——では今後、期待することは?

小浜:それをとにかく崩さないでやっていって欲しい。練習を怠ったら崩れていくはずだし。

1991年8月発売の『エスクァイア 日本版』は竹中労氏が総監修した“琉球。Music
Country”特集。この中で小浜さんは奄美へかけつけ、当原ミツヨや当時まだ高校2年生だったリッキこと中野律紀らを紹介している。当然、当時中学生だった貴島康男の紹介もしているが「坪山豊の秘蔵っ子」「ボーイソプラノですがすがしく唄う。」と書いており、本人は取材中、当時のこの記事の写真を見て「懐かしいなぁ! 小っちゃいすねぇ!」と何度も言い、月日の流れを感じていたよう。

貴島康男×小浜司対談&貴島康男インタビュー[前編]
——何年か島唄を離れていた時期があったようですがそれはなぜだったのでしょう?

貴島:それは単純に変声期だったからですね。その頃、高校を辞めて、16歳の時に仕事で鹿児島に行ってからは17〜21歳までプッツリ島唄を辞めていました。

——島を離れたのはなぜ?

貴島康男×小浜司対談&貴島康男インタビュー[前編]貴島:正直言えば、歌が唄えないから島にいたくなかったんですよ。それで仕事に夢中になって唄のことは忘れてしまったんです。まったく島唄を忘れたのではなく、唄うことを忘れていたんですね。

だけどある時、カラオケに行って新民謡を歌ったら、それまで出ないと思っていた裏声がすんなり出ちゃったんですよ(笑)。それで4年目にして鹿児島にいた小学校時代の音楽の先生に奄美の三線を借りて歌ったら、変声期を終えた低い声なんだけど裏声が戻ってきていたんです。“歌える!”となったらやっぱり島に帰りたい。

そんな時、タクシー運転手をしていた僕の父のタクシーに坪山さんが乗って「島に帰っておいで」じゃなくて、「遊びに帰っておいで」と父が言ってたと言うんです。

こうして再び“唄える”準備が整い、仕事の親方に突然「唄いたいから帰ります。」と言ったが帰してもらえず、母親が口添えして奄美にやっと戻ることができ、第二段階の貴島康男・唄者人生が始まった。


貴島:その時、気持ちよく見守ってくれていたのが“坪山豊”ですよ。まるでおととい会って昨日別れたかのような空白がないくらい普通に受け入れてくれたんです。

——貴島さんにとって坪山さんの存在とは?

貴島:親子です。親子以上の親子です。今でも3ヶ月や半年会わなくても、康男!って声かけてくれますしね。

奄美に戻り、渾身の1枚『あやはぶらの唄』をリリース。2001年KTS主催民謡大会(奄美島唄)で3年連続青年の部優勝。そしてさらには伝説(?!)のバンド「ピンポンズ」が誕生することになる。

続く/明日掲載予定!
貴島康男×小浜司対談&貴島康男インタビュー[前編]
※1:故・竹中労=ルポライター・よろず評論家として政界・芸能界について数々の書き物を残す。沖縄においては1969年から沖縄に足を運び、沖縄音楽をニホンに紹介し、琉球フェスティバルを開催した。故・嘉手苅林昌が歌っていたコザの民謡酒場「なんた浜」の前に2004年の命日、功績をたたえた石碑が建立された(1991年没)。

※2:島々の謡=1999年NHK衛星第二放送で当時6夜にわたり放送された「沖縄・魅力のサウンド」で、第3夜「彩なす島々の謡」では、コザ「なんた浜」で八重山〜奄美を紹介。大工哲弘、山里勇吉、奄美から坪山豊、当原ミツヨ、中野律紀、当時中学生の貴島康男らが出演。小浜氏はこの番組作りに関わった。

(取材+文: YANTY藤原、写真+編集: 桑村ヒロシ、取材協力: 小浜司

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Posted by ryuQ編集室 at 2007年12月13日   00:00
Comments( 0 ) 沖縄の人々
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