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池間島のミャークヅツ

池間島のミャークヅツ
宮古島の北、池間大橋で結ばれた池間島で三日間(2007年は10月27〜29日に開催)に渡り行われる島の祭、ミャークヅツを見て来ました。ミャークヅツとは五穀豊穣と大漁を祈願する、池間島を祖とする池間民族(市井での俗称です)の豊年祭。漢字で表すと「宮古節」と表し、なんとなく内地の民謡のようなイメージをつい浮かべてしまいたくなりますが、この場合の「節」は節目を意味し、宮古口(ミャークフツ)では「フシ」の読みが「スツ」となるのが語源といわれています(本来、ミャークズツと表現するべきでしょうが、現在の報道など使われている表記は、ツに濁音が主流のため、便宜上ミャークヅツで統一させていただきます)。文字通り、ミャークヅツは池間島の大きな節目となる大切なる祭です。
池間島のミャークヅツ
市内から(行政上、池間島も宮古島市なので市内には違いありませんが、島では概ね旧平良市の中心部を市内と称します)車を走らせて、池間大橋を渡って池間島へと上陸しましたが、池間島最大の祭であるにもかかわらず、集落内はどことなく閑散としていました。
車を置いて狭い道が続く島の集落を、どこからか風に乗って聞こえてくる歌声を頼りに、徒歩で島の奥へと歩いてゆくと、静かな水浜広場(島のふたつの字、池間と前里の間に位置する公民館前の広場で、島の行事が行われることも多い)へ到着。いくらか人の気配はあるものの、とりたてて祭に参加している風でもなく、そこには万国旗に彩られた祭の雰囲気だけが青い空の下に用意されているだけでした。
池間島のミャークヅツ
水浜広場をあとにして、うっそうとしたナナムイ(七つの森)に囲まれ、海に向って鳥居の建つ、大主神社へ向った。鳥居の周囲で海風になびく幟には「オハルズ御嶽(銘文の解説はウパルズ)」と書かれている。音からするとまったく異なるもののような思えるが、宮古口では大きいをウプということから、ウプ=ウフ、アルズ=アルジの訛音(かおん)で「大主」の意味と読み取ることが出来た。
この大主神社は普段、ツカサンマ(司母)の許可がなければ、島民さえも立ち入ってはならず、年に一度のミャークヅツのナカヌヒー(中日)にだけ、島民はもちろん一般人にも参拝が許される神聖な場所。参拝に訪れる人々は履物を脱いで素足になり、まずは鳥居に一礼して参拝へと向うのを見て、あわてて裸足になって、見よう見まねで礼を尽くし、木々が茂る参道を奥へと向かうと、小さな祠が鎮座したオハルズ御嶽の中枢ともいうべき拝所が現れた。
傍らでは数人のツカサたちが香を焚き祈りを奉げており、特に信心深くはないけれど、なんとなく厳かな気持ちにさせられて、ゆっくりと拝所に手を合わせた。
池間島のミャークヅツ
大主神社でのお参りを済ませ、次なる目標はミャークヅツの特徴のひとつであるムトゥへ。「元」と書き表すムトゥは、ミャークヅツにはなくてはならない儀礼集団で、真謝、上げ枡(アギマス)、前ぬ屋(マエヌヤー)、前里の四つのがあり、島民はいずれかのムトゥに必ず属しているそうです。また、各ムトゥはムトゥヌヤー(元の家)と呼ぶ家をそれぞれ所有しており、ミャークヅツではこのムトゥーヌヤーが重要な役割を果たしてます。
ミャークヅツの三日間、ムトゥヌヤーにムトゥの男衆が集まり、酒をくみ交して労をねぎらい語らう場所となります。これは初日の午前中を例外として、この期間は一切の仕事をしてはならない禁忌まである徹底ぶり(勿論、島外へも出てはならない)。誤解を恐れずに端的にいえば、ムトゥーヌヤーはミャークヅツの三日間、徹底的に酒を呑み明かして楽しむ専用宴会場のようなものである。
もうひとつ特徴的なのは、この祭への参加資格。池間島では数え歳が55歳以上の男性にのみに資格があり(ムトゥヤーでの祭事は、男性のみが参加できる慣わし)、加えてムトゥヌヤーの中では、絶対的な年功序列が存在している。たとえどんなに高名な社長であっても、どんなに偉い先生であっても、ムトゥの中では歳が下なら序列は低く、それこそ55歳になったばかりの初参加者は、初年兵と呼ばれる使い走りとして、酒やツマミを作って先輩方の世話役をしなくてはならないのです。
池間島のミャークヅツ
ちょっとドキドキしながら、少し奥まった場所にムトゥーヌヤーを構える、前ぬ屋のムトゥへを訪れると、早速、おいでおいでと手招きをされました。ミャークヅツそのものへの参加は、先にも触れたように資格がありますが、外から島を訪れる人は、島に福をもたらすマレビトとみなされているため、トゥーへの訪問は歓迎されるのだそうです。
歓迎されているとはいえ、ミャークヅツの最深部ともいうべき、ムトゥーヌヤーへ上がり込むのには緊張が高まります。前ぬ屋のムトゥはそれほど広くない1K仕様で、天井に万国旗が飾られている程度で、とりたてて調度品も置かれていませんでした。「不忘敬」と書かれた額のある上座には、大正生まれという一番の先輩が陣取り、年齢順に壁を背にして輪になって、のんびりと座り酒を呑みながら、ほとんど聞き取ることの出来ない池間の島言葉で話をされていました。
まあ座れと即されて出てきたのは、ミャークヅツには欠かせない噂のミルク酒。泡盛をワシミルク(コンデンスミルク)で割ったスーパーカクテル(ミルク酒の作り方などは、♯1)で、口当たりがよく物凄く呑みやすいのでとっても危険なお酒だったりします。
池間島のミャークヅツ
一応、車だから(今は午前11時、帰るのは夕方あとなので醒ます時間はあるのだが…)と辞してみるも、島に福をもたらすとされているマレビト扱いでもあり、せっかくの潜入体験でもあったので、無下に断ることも出来ず、出されたものはきっちり呑むことにした。
美味い、実に美味い!。これまで幾度かミルク酒を呑む機会はあったけれど、これほどに濃厚でありながら、まろやかなテイストのミルク酒に出会ったことはなかった。さすがは連綿と続くミャークツヅならではの絶妙な配合がなせる技なのでしょう。
もう一杯くらい美味いミルク酒を味わいたかったけど、後々を考えて一杯だけに止めて、ひとまず前ぬ屋のムトゥを後にしました。
池間島のミャークヅツ
ムトゥ体験の興奮を紛らわすように、池間遠見台に立ち寄って眺望を楽しんだり、島内を酔い醒ましの散策がてら歩き廻っていたら、昨夜までの寝不足と一杯のミルク酒がボディブローのように利いてしまい、足元がフラフラして来てしまった。このままでは危険と察して、車へとどうにか戻り、限界とばかりにシートを倒してしばしの仮眠。

池間島のミャークヅツ気づけば二時間弱、ウインドウ越しに差し込む陽差しにもめげずに眠たことで、すっかり酔いも醒め、前ぬ屋ムトゥでお土産として頂いた、折に詰められた煮付け(ミャークヅツのいわば、おさがり?)と缶入りのミキで小腹を満たして充電完了。

再開したミャークヅツの次なる探訪の先は、四つのムトゥで最大の構成人員を誇る、前里のムトゥへ接近遭遇。広々としたムトゥヌヤー中では、カラオケ大会が大音響で興じられ、道端にまで人が溢れ、それぞれに酒を酌み交わし語らっていました。裏方を覗いてみると、ワシミルクの缶がずらりと並んでいました。まだまだミルク酒は作られるようです。
池間島のミャークヅツ
15時過ぎ。午前中はほとんど人気のなかった水浜広場に、島の人々や観光客が徐々に集まり始め、ミャークヅツのナカヌヒーのクライマックスが始まりました。
各ムトゥのテントに男衆が広場に集まったところで、ツカサンマたちは各ムトゥのテントを廻って始まりの挨拶口上を述べたあと、広場を前に五穀豊穣と大漁を祈願し、神に丁重に祈りを捧げるます。そして広場の中央にしつらえた祭壇を中心に、ゆっくりとしたリズムで扇子を片手にツカサンマたちが舞を踊り出します。
ツカサンマの舞の終わりとともに、公民館のスピーカーから勢いよくクイチャーが流れ出し、上げ枡ムトゥの男衆が先陣を切って、ツカサンマの踊るクイチャーの外側に輪を作りながら踊り始めると、続々とムトゥの男衆が加わり、広場を埋め尽くさんばかりのクイチャーの輪が出来上がりました。
ヒヤサッサのかけ声も高らかに、クイチャーを踊る様はとてもリズムよく、なんとも勢いに溢れていてとても楽しげです。やがて周囲で見ていた観客たちを引き入れ、クイチャーの輪はさらに大きな広がりを見せ、エンドレスで踊り続けるクイチャーの大共演はピークを迎えました。
ノンストップで続くクイチャーの輪も、次第に踊り疲れた男衆がひとりまたひとりと輪から脱落し、気づけばハッピ姿は数えるほどに。かつては代わる代わる踊りの輪に加わり、一晩中クイチャーを踊り続けていたそうですが、島民の減少から池間のミャークヅツクイチャーは、一時間ほど踊り継いだところで唐突に終了。男衆はミャークヅツ三日目の最終日に向け、再びムトゥーヌヤーへと戻ってゆき、水浜広場はいつもの静けさを取り戻して、ナカヌヒーのクライマックスも終わりを告げました。
池間島のミャークヅツ
最後に、これまでのミャークヅツの画像をご覧いただいてお気付きかとは思いますが、男衆の衣装についてのツッコミと考察です。
池間島で古くから受け継がれている伝統行事らしく、祈りを奉げるツカサンマは全員が着物を着ていますが、男衆の衣装はワイシャツにネクタイ、スラックス、そして革靴(ムトゥヌヤーには背広もハンガーにかけられていました)という伝統らしからぬ揃いのいでたちをしています。これらすべては正装という意味合いで、生活様式の西洋化に伴って生まれたスタイルではないかと考えられます。これはミャークヅツで呑まれているミルク酒についても同様で、ワシミルクという輸入品(現在はネスレのブランド)を泡盛で割る酒であるという点も見逃せません。古くは口噛み酒のどぶろくのようなものであったとかで、酒を作る手間やミルク酒の色味から、その代用としてミルク酒が流用されたのではないかと推察してみました(実際に近年まで伊良部佐良浜のミャークヅツでは、口噛み酒が作られていたそうです)。

また、ミャークヅツは池間島を祖とする池間民族の祭りとして、池間島から分村した伊良部島の佐良浜、西原地区(旧平良市)の西辺にも伝えられています。祭りの期日はいずれも同じで、旧暦の八月または九月の甲午(きのえうま)の日に始まりますが(佐良浜は四日間、池間と西辺は三日間)、参加資格は三地区で微妙に異なり、数え歳で池間島は五十五歳、西原は五十歳、佐良浜は四十七歳と五十歳が対象となっています。

地域や年代によって、さまざまに変化しても絶える事のなく続いているミャークヅツは、池間島(池間民族)の文化として、ミャークヅツが根付き脈々と生き続けている証に他ならないと感じました。

(取材: D介、制作: KUWA、取材協力: 池間島の皆様)
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Posted by ryuQ編集室 at 2007年12月11日   00:00
Comments( 3 ) 沖縄の芸能・文化
この記事へのコメント
池間島の伝統行事は沖縄の原風景を連想させるものがあります。
ところでムートゥヤーというのは、沖縄本島の神アサギのようなものでしょうか?
沖縄本島では、神アサギを中心に一門の祭祀行事が執り行われますが、池間のムートゥヤというのは、そういうものだと理解していいのでしょうか。それともただ単に本家という意味なのなのでしょうか。
Posted by ost58 at 2007年12月11日 09:55
”池間島のミャークヅツ”
大変わかり易い文章ありがとうございます。

宮古諸島大好きな風人と申します。
いつの日か、風人もマレビトとして、
伊良部島・佐良浜か、
西原・西辺か、
池間島で、
参加したいです!
年齢は十分OKのはずですから

D介さん、
11月に東京のJANG JANGと、
宮古のJANG JANGの中継ライブ(のひなひろし)の時、
東京の会場から離しかけた風人です。
Posted by パイパティローマ at 2007年12月11日 16:03
ost58さん>
すみません。そこまでちゃんと調べていないので、イメージですが、
恐らくは始まりはそういうところではないかと思います。
文中でもふれましたが、衣装やミルク酒などの導入?からして、
現在のムトゥーは本家に近いのかもしれません。。。
いい加減なコメントですみません。勉強しておきます(汗)

パイパティローマ/風人さん>
ああ~♪中継でお話した方ですね(笑)。
宮古に来られた際にはお声をおかけくださいね!。
Posted by D介 at 2007年12月14日 00:57
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