下地暁インタビュー『宮古島発! ハートで島興しの時』
東京から生まれ島の宮古に戻ってくるまで15年、そしてそれから常に“宮古島発”の活動を開始して15年、そういう節目にベストアルバムを5月9日にリリースするという下地暁(さとる)さんにお話を伺いました。
ryuQ編集長:活動が30周年になる節目のベストアルバムから、何かメッセージを伝えるとしたら?
下地暁:“自然に戻ろう”ですね。
何かをやる時に“根深いもの”が必ず根底にあるんですよ。それに気づいている人が中にはいらっしゃるとは思うんですが、だけどまだまだそれが広くは浸透していないというか。
ryuQ編集長:そんな古い魂を感じさせる島から発信してきた活動を振り返ってみてどうですか。
下地暁:何かをやりはじめる時に、島の内側から何かを言われる可能性もあって、そういうのもあってか、例えば宮古には新しい民謡がなかなか生まれてこないんですよ。僕はハードロック出身ですが、でもどうせ何か言われるのであればやってみようと。そうやって、13年ほど前に“新しい人たちが出てきて欲しいな”と思って歌った曲も収録されています。
だからといって、熱い“想い”があっても“勢いでやりすぎる”こともなく、純粋に“想い”を語っているんです。次の世代に継ぐためにも、“自然に帰ることが一番”だと思って(一度ニュートラルにして)歌を通してそれを表現しています。
ryuQ編集長:15年ほど前に宮古島に帰ってくるそもそものキッカケとなったエピソードはありますか?
下地暁:やっぱり“みゃーくふつ(宮古の言葉)”ですね。
18年ほど前に母の病気のお見舞いに度々宮古島に戻ってきていたんですが、その当時の子供達は宮古の方言を聞き取れても、自分の島の言葉を喋ることができなかったんですね。
おふくろの“命”と子供達が話すことができなくなった“宮古の言葉”が、「どちらも無くなろうとしている」と自分の中で重なり、そう危機感を持った時に“あぁ、故郷が故郷でなくなってしまう…”と思ってしまったんです。
宮古の言葉はちょっと特殊で、“す”“う”“き”などにマル(半濁点)がついたりするんですが、方言を知らないと読めないんですよ。「じゃぁ、どうしたらいいのか?」と思ったときに、音楽を通して学ぶのが一番入りやすいと思ったんです。自分が故郷を離れて15年の間に培ってきた音楽を通して還元できるならと、そう思ったのがきっかけでしたね。
とは言っても、いきなり帰ってこようとしても当時はライブハウスもラジオ局も何も無いんですよ。
でも、自分を生んで育んでくれた宮古島から方言の大切さなどを気づかせてもらい、自分なりにでも“この生まれ島から発信してゆこう”と。沖縄の音楽シーンが活発であっても宮古島までは浸透してくるのに時間がかかっていたんですが、“たとえ時間はかかってもこの島からやっていこう”と思ったんですね。
(明日に続く)
(取材:KUWAこと、桑村ヒロシ)
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