道の駅『喜名番所』の歌が記念碑に(読谷村)

ryuQ編集室

2009年11月12日 09:00


国道58号沿い、読谷村にある道の駅『喜名番所』

ドライブ休憩やトイレ利用、地元の特産品の買いものをしてみようと、この喜名番所の道の駅に立ち寄ると、初めての方の中には「あれ?入っていいのかしら?入場料でもいるのかしら」と、歴史資料館か博物館と間違ったかと戸惑う方もあるようですが、趣ある瓦屋根、木造建築の建物が、道の駅『喜名番所』です。

どなたでも無料で気軽に利用できるのですが、県内に7箇所ある道の駅の中でもこの『喜名番所』には、レストランやショップはありません。
観光案内所の役目を担っています。

国と県の補助を受て読谷村が世界遺産座喜味城址周辺整備事業として、かつて琉球王朝時代にあった番所(首里から国頭への宿次として交通の要所に役場として建てられていた)を復元したもの。

歴史を顧みれば琉球松の木々や花々も美しく咲き、人々が行き交う宿道であった記録も残されており、1853年、あのペリー提督一行が当地を訪れ休憩し、地元住民とも交流したことが、同行していたハイネの絵図録に残されていることは有名です。

しかし、戦争により建物は焼失してしまいました。

読谷村では、歴史ある関所の役割としてこの場所にあった喜名番所を尊び、復元して、歴史的・文化的資源を観光資源として有効に活用しようと出来たのが、この道の駅なのです。

「子供の頃からこの付近でよく遊んでいた」という読谷村喜名に生まれ育った沖縄古典音楽・野村流音楽協会師範・組踊伝承者の照屋健さんが、地元への想いを込めて『喜名の番所』の歌を作詞作曲し、オリジナルのCDに収録し発売したのが2年ほど前。

『照屋健とやーにんじゅ』という自身の家族で構成する民謡グループの活動を通して、喜名の番所への想いを歌ってきました。
そして歌の想いが大きく育ち、今年9月、この歌が道の駅の歴史をこれからの未来へも繋ぐ願いを込めて、記念歌碑となり、道の駅『喜名番所』で常設展示として公開が始まりました。

オリジナルの道の駅の歌が出来たこと、そして道の駅の歌が記念歌碑になったのは県内でこれが初という素晴らしいニュース!

——記念歌碑が披露された番所で、ぜひ感想をお聞かせください。

照屋健さん:感動して涙が出ました。まずこの場所が復元されることが決まったときから、近所でもあり、たびたび造る様子も見てきました。歴史あるこの番所が昔ながらの技法で(釘を使わずに組み立てた)木造で復元され、子供の頃から親しんで来たこの場所に、かつての松並木や花々も咲き誇るような場所が出来ることが嬉しく、昔の歴史を振り返り、これからこの場所が人々が交流し楽しく集う場所になることを願い歌を作りました。まさに歌詞のようにゆしりどぅくる(寄でぃ所)となることを願い、地域が栄えゆくことを希望して歌ってきました。とても嬉しい光栄です。

——大変立派な木製の歌碑ですね。

喜名区長・宇根良雄さん:琉球松で造りました。実は歌碑にすることを決めてから、1年余りかけてこの歌を記すにふさわしい木をかなり探していました。そしてありがたいことに読谷村在住の小平武さんから地域発展を祈念してこの立派な琉球松の木を寄贈頂きました。またこれから広く多くの方に親しまれますようにと、この歌の文字を書いてくださったのは読谷村在住の書道家・長浜敏子先生です。木に文字を書くのは紙に書くのと違い御苦労されたことも伺っていますが、大変素晴らしく書いていただき、感謝しております。同村のみなさんから多大な御心で喜名区に誇る歌碑が出来ました。これから道の駅を利用されるみなさんに大いに鑑賞いただき、歴史あるこの地と触れ合いや交流が栄えますよう願っております。


歌に合わせて地域の婦人会で踊りも出来たそうです。地域に愛され歌碑になった『喜名ぬ番所』は道の駅『喜名番所』でCDの試聴もできます。

最近は修学旅行の見学も多くなり、読谷村の『やちむんの里』巡りや、世界遺産『座喜味城址』と合わせて、観光の利用も増えているそうです。

琉球王朝時代も偲ばれる沖縄の歴史・文化に触れる道の駅『喜名番所』。気軽に立ち寄ってみませんか?

道の駅 喜名番所
→ http://www.road.dc.ogb.go.jp/michieki/kinabansyo.html

住所:沖縄県中頭郡読谷村字喜名1番地2(→地図はこちら)
電話:098-958-2944


(文+写真: 吉澤直美、編集: KUWA)

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