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時間を超えたガイドブックとは「那覇由来記」とノッチの関係

鎌倉芳太郎資料編(ノート編)第二巻
 最近、那覇の街にハマッている。
 生まれも育ちも那覇、学校も仕事もずっと那覇をアルイテいるのに、今更、何故那覇にハマッてしまったかというと、昔の那覇のことを想像するようになったからだ。

 那覇は、もともとは「浮島」だった、というのは知っていた。つまり離れ小島だったということ。数世紀にわたる埋め立てによって、今は地続きになっているが、国際通りから西側は海だったらしい。その沖に島があった。松山とか波上とかあたりだろう。つまり例えば僕が、久米あたりで呑み始めて、その後酔っぱらいつつ、松山をかすめ、久茂地に立ち寄り、牧志、十貫地あたりをふらふらと歩いているとする。その道筋はほとんどその昔は海の上であり、そんなことを想像していくと、ああ確かに国際通りから58号線に向かうと、土地はほとんど平坦で、風の通りも良くなっていくなぁ、なんてことが体感できるのだ。タイム・トリップした心持ちになるのは酔っぱらっているからだけではない。想像力ひとつあればいい、安上がりな旅である。

 その趣味が高じて、いつかこの那覇の街を、過去から現在まで体感するためのガイド・ブックを作りたいと夢想するまでになった。そのために必要なことのひとつは、昔の那覇の姿を知ることである。数千年前の那覇と呼ばれる以前のラグーン広がる海岸と崖、数百年前の多国籍な雰囲気溢れる那覇の市場の様子、戦後すぐの焼け野原と化した市街地などなど……。それらは実は未だにその名残りを残していて、その残像とでもいうべき風景を拾いあげ、つなげることによって、今の那覇の姿が時間を超えたパノラマとして見えてくる……はず。

鎌倉芳太郎資料編(ノート編)第二巻 今のところは、那覇に関しての様々な文献資料をパラパラと眺めているところなのだが、ひとつ面白い本を見つけた。『鎌倉芳太郎資料集(ノート編II)民俗・宗教』(沖縄県立芸術大学付属研究所・発行)である。

 鎌倉芳太郎氏は、大正十年から昭和十二年まで、沖縄各地をフィールド・ワークし、実に様々な貴重な記録・資料をまとめた芸術家・学者である。例えば、今は全て沖縄戦で焼失してしまった「御後絵」(歴代の琉球国王の肖像画)を、唯一撮影して写真資料として残したのは、鎌倉芳太郎氏だけだという。琉球弧を北から南まで渡り、スケッチ、参与観察などをまとめた膨大なフィールド・ノートは、極めて史料価値の高いものである。その貴重な資料は、ご遺族の方々が沖縄県立芸術大学が出来た際に全て寄贈されて、現在は県立芸大が保管・整理している。

 僕が手にしたその本は、その資料集成として大学が刊行しているもののひとつだ。研究者のみならず、一般の我々のためにも、その史料を広く公開しているのである。がんばれ芸大!

 まずそのフィールド・ノートのすばらしさにうなる。特にスケッチ。八十年ほど前の琉球の姿、神女、御嶽、神あしゃぎといった祭祀関係や、屋敷、井戸、さらにハジチの文様などなど。眺めているだけで、タイムトリップできる、これぞ実は一流のガイドブックではないか。あくまでも資料なので、解説や読み下したりはしていないのだが、眺めているだけでも十分に楽しめる。

 また彼は尚家が所蔵していた「琉球国由来記」などの琉球王朝時代の史料を書き写している。そのころは当然コピーなどもなく、文献はほぼ全て書き写していたのだが、膨大な量の古文書をノートに記しているようだ。この情熱の源になっているのはなんだろうか。

 古文書なので、すんなりと読めるはずもないが、気になるところをめくっていくうちに、那覇に関して面白い一文を見つけた。《琉球国由来記 巻八》の「那覇由来記 共二十一冊」。以下、知ったかーして、適当に意訳してみると……、

那覇という名前の由来を尋ねてみた。すると呉姓の我那覇という屋敷の中に、キノコの形に似た石があったという。キノコのことをこのあたりでは「ナハ」と言うので、この里あたりのことを「ナハ」と呼ぶようになった。そのうち家がたくさん集まってきて、「那覇」という字に改めたという。でもその石はいつのまにか土に埋もれて見あたらなくなったのだという……。

……まっ、たぶんざっとそんな意味のことだと思う。

 あっ、と思った。茸のことを、しまの言葉で「ナパ」っていうことは、昔、沖縄の言葉で絵本を作っていた大学生から聞いたことがあったのだが、そうか「ナパ」は「ナハ」といういう風に発音が変化するよなぁ。いわゆる「P音」の変化だ。しかしそれが那覇の語源につながるとは。

 もちろん「那覇」のルーツについては、いくつかの説があるのは知っているが、茸の形をした石が由来なんて、ちょっとすてきじゃないかと思う。そしていつの間にかどこかに埋もれてしまったっていうのも、那覇が埋め立ての土地であることを考えても納得がいく。

 ポイントは、茸の形をした石、ということだ。今でも海岸線に、根本が波に浸食されて茸の形になっている奇岩を見かける。あれは「ノッチ」という地形だそうだが、つまりそれが「ナハ」の石の形ではないだろうか。例えば、那覇の若狭にある「夫婦岩」。今は公園の中にあるが、あれも、あのあたりがかつて海上であったことの痕跡なのだ。

 茸の形の岩・ノッチの痕跡は実は那覇のあっちこっちに残っている。

 以来、那覇の街をアルク時にはノッチの痕跡に注意して歩くようにしている。それだけでもうこの街が全然違った街、いや、島に見えてくるのである。そしてこれからも鎌倉芳太郎に目が離せない!?

新城和博の『ryuQ100冊』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73391.html


プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
ボーダーインクHP:http://www.borderink.com/
  


Posted by ryuQ編集室 at 2009年07月06日 09:00
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