沖縄ジャズ物語(2)「屋良文雄インタビュー」後編

ryuQ編集室

2008年11月07日 09:00


戦後アメリカ統治下で、沖縄の音楽市場の最前線にいたJAZZも、日本本土復帰という時代の大転換期と共に状況が一変。500名いたプレイヤーの9割は失業しても、JAZZを愛し続け、決して音楽を辞めなかった屋良文雄さん。
「人生というのは“自分探しの旅”みたいなものですからね。目が覚めたらすぐピアノに向かっています。疲れを知らない子供のように、楽しいことは時間を止めてしまうようなもので、すごく楽しいですよ。」
そんな屋良さんにも何度も転機は訪れますが、その度に常に音楽と共に歩み続けてきました。また沖縄JAZZ協会も設立50年という歴史を刻みながら、時代は変わっても変わらない音を、半世紀の時を経て『ウチナーJAZZ!』という作品にかたちにしたといいます。インタビュー【前編】に引き続き、【後編】をお届けします。

——時代は'60年代後半には沖縄の米軍基地もベトナム戦争の影響や、'72年には日本本土復帰で米軍撤退の影響も受けたと思うのですが、現場ではいかがでしたでしょうか。

屋良文雄:1967年〜68年にかけてベトナム戦争では沖縄からも戦場に向かう兵士さんたちがたくさんいて、それは大変な時期でしたね。多くの兵士はベトナムから帰還して来なかったですね。

そして日本本土復帰の時はみんなで喜びましたね。その代わり僕らは失業して、基地の外に出ることになりました。米軍基地のクラブでの生演奏の場はすべて無くなりましたからね。協会とはいっても労働組合では無いですから、現実を受け入れるしかありませんでした。

——そうなると、沖縄JAZZ協会の皆さんは、基地から街の中でプロとしての演奏活動を続けて行くことになったのでしょうか。

屋良文雄:約9割は転職を余儀なくされました。みんなバラバラになり、タクシー運転手や大工をやったりして暮らしていましたよ。よっぽど好きな人だけが残って演奏を続けていました。

——当時の屋良さん自身はどのように過ごされたのでしょうか。またそういう状況でも沖縄JAZZ協会の名前だけは残っていったのでしょうか。

屋良文雄:沖縄JAZZ協会の名前は残りました。また自分自身は、民間のクラブに入って演奏を続けましたよ。本土資本も入ってきていましたし、また'75年には沖縄海洋博の盛り上がりもありましたしね。海洋博を契機にホテルが建ちはじめ、それにその時代はまだカラオケが無い時代でしたから、ホテルなどでの生演奏の仕事で凌いでいましたね。

——その当時は、本土の歌謡曲を歌う人のバックも務められたのですね?

屋良文雄:歌謡全集30〜40巻を全部揃えて、お客さんのリクエストに対応しましたね。

——ジャズプレイヤーにとってつらい時代もあったのですね。その後もホテルなどでの演奏を続けられたのでしょうか。

屋良文雄:当時、ハーバービューホテルの社長さんがジャズ好きで、僕のためにジャズクラブをホテル内に作ってくれたんです。ジャズを演奏できるのはそこだけだったんですけど、7年くらいは続きましたが、社長が転勤で入れ替わりになり、次に来られた方がクラシック好きだったので意見が合わず、辞めてしまいました。

それで仕事が無くなってしまったので、思い切って本場ニューヨークやロサンゼルスに行ったんです。本土復帰してからの時代よりも、米軍基地時代のほうが長かったので、そのほうがやりやすいだろうと思い、2年間ほどアメリカで演奏していました。もう30年ほど前の事で30代後半の事でした。
——本場アメリカで演奏していた頃に、むこうで何か感じたことはありましたか。

屋良文雄:その頃に学んだのは「他力本願ではいけないんだ」という事ですね。それで、自分の店を持ったら生涯そこでジャズが演奏できると思い、帰国してから自分の店を作り、演奏を続けてきました。来年で、もう30年目になります。

——その30年目を前に迎えた、今回の沖縄JAZZ協会の歴史的なレコーディングの話になってゆくのですが、現在の沖縄JAZZ協会にはどれくらいの数のメンバーがいらっしゃるのですか?

屋良文雄:プレイヤーとしては、だいたい60〜70名くらいですね。現在では、プレイヤーだけでなくジャズ愛好者も加入できますので、トータルで340〜350名ほどいます。

——そして今回、半世紀の時を経て、ビッグバンドとしてあらためてメンバーが集まってレコーディングをしたというのは、また感慨深いものがありましたか。

屋良文雄:ジャズ協会のビッグバンドは毎週月曜日に練習は続けているんですね。
でも今回のように、全員が燃えたというのは、僕の人生の中で初めてじゃないのかなと思うくらい、みんな真剣で素晴らしいものでした。

——レコーディングに立ち会わせて頂いて、ジャズの音楽にも“沖縄”を感じるんですよね。

屋良文雄:ジャズというのは、その土地に住んでいる者の心からの音楽表現なんですよね。
それにまた今回のように、自分たちの暮らす沖縄の土地にあったアレンジしたものになると、プレイヤーはまた燃えてくるんですよね。“自分たちの島のジャズなんだ”とノリも違ってくるんですよ。

——音が明るく幸福感に満ちたもので、県民性にも合っているように感じたんです。

屋良文雄:それは音に出ますね。
例えば、ロスに暮らしている頃、三線の音色を聴いただけで涙が出てきた事がありますからね。それくらい、自分の故郷の文化というのは心に染みついているんですね。
ですから、今回のアルバム『ウチナーJAZZ!』では“そういうものに出会った喜び”というのをビシビシ感じています。

——屋良さんのプレイの中で、これが沖縄の心を表しているフレーズだな、とか思う瞬間ってありますか?

屋良文雄:それは“無”ですね。当然僕は沖縄の人間ですから、どこから聴いてもちょっと違うジャズなのだけど、フレーズやリズムの問題ではないし、そもそも出発しているのがここ沖縄からなのだから。それを世界の人たちに聴いてほしいですね。

他人の真似ではなくて、自分たちが住んでいるこの素晴らしい島を、自然に感じているのだから、その自然に感じることを僕らはそのままプレイすればいいのだろうし、そこで伝わってくるものがあると思います。

——屋良さんがこれからやっていきたい夢というのはありますか?

屋良文雄:この『ウチナーJAZZ!』をステップにして、どんどん僕たちの島のあたたかい心の音楽を世界のみんなにもぜひ聴いてもらいたいなと思います。

——そして最後にずばり、ジャズの魅力とは。

屋良文雄:ジャズの魅力というのは、地球60億人の人間がそれぞれ個性を持っている。そういう意味でも人類みなジャズメンだと思うんですね。そして“この瞬間”を弾いている人も聴いている人も、同時で楽しみながら作ってゆける、それが醍醐味ですね。
(【前編】を読む)

♪沖縄JAZZ協会「ウチナーJAZZ!」発売記念ライブ
日時:2008年12月11日(木)
場所:那覇パレット市民劇場(那覇市久茂地1-1-1 9F)
開場・開演:開場18:30、開演19:00
料金:全席自由 前3000円、当日3500円(全席自由)
   小中学生(保護者同伴)前売当日共1800円
   (9月20日よりチケット発売中!)
 問:ハーベストファーム:098-890-7555

(文+編集: 桑村ヒロシ、取材協力: シャラ・ラ・カンパニー、リスペクトレコード)
関連記事