朝崎郁恵インタビュー【前編】

ryuQ編集室

2010年06月03日 09:00


昔ながらの奄美シマ唄を歌い伝承し続けている朝崎郁恵さん(74歳)。6月6日(日)国立劇場おきなわ公演を目前に、ryuQでしか聞けないディープな特別ロングインタビューを【前編】と【後編】の2回に渡ってお届けします!

——先日開催された『アマミ神ノウタ』公演の会場となったガンガラーの谷・ケイブカフェにはアマミキヨの神面を奉納した日の写真も展示されているのですが、奄美の方々はアマミキヨの子孫というお話もあるそうで、奄美大島にもアマミキヨを祀っている聖地があるそうですね?

朝崎郁恵:故郷の加計呂麻島のほうではそういう話はあまりなかったのですけど、北部の笠利には阿麻弥姑(あまみこ)神社などゆかりの場所があるようですね。

——また、ある著名な神社の宮司さんからは「奄美は大切な場所」だとも言われたそうで、“アマミ”という言葉そのものの意味も深いとか。

朝崎郁恵:宮司さんは古事記を勉強されたそうで、その宮司さんがおっしゃるには“アマミ”という3つの言葉には意味があるんだそうです。

「“アマミ”の“ア”は在る、“マ”は姿格好、“アマ”とは姿が生まれる意。
“アマ”=“天”と同義語で、宇宙生成の節理であると。
“アマミ”の“ミ”は実在する場、を表すといいます。つまり、
“アマミ”とは宇宙が生まれた実在の雛型として言霊が生まれた場所。」

ということが記された書を、神社の宮司さんから直接頂きました。

——奄美から沖縄まで琉球弧の島々は、面積こそは小さな島々かもしれませんけれども、そのようになかなか深い場所であるのかなと。
ですから、奄美の唄を耳にして、島の言葉もわからないのに懐かしく感じるのは、奥深いところに響いてくるからなのかなと思ったりもします。


朝崎郁恵:奄美のシマ唄もその時代々々で、作業唄だったり、恋の唄とかが生まれたりもしたのだけど、何百年も受け継がれているものですから、突き詰めていけば神唄に通じると思うんです。

小さい頃は、私の集落の祭祀が行われていた場所のすぐ近くに自宅があって住んでいたものですから、そこで歌われていた古謡や神唄が聴こえてきていて、よく耳にしていたんです。
歌詞に大昔の言葉とか使っていたら子供の私にはその意味まではわからないのですが、音や旋律を聴いていたんですね。それがシマ唄の旋律にも近いものがあったんです。

今でこそ、シマ唄も三味線(奄美三線)で伴奏されるようになりましたが、昔は無伴奏で波の音、風の音を背景に唄われていたものです。

——奄美には、シマ唄のほかにも、八月踊りの唄もありますね。

朝崎郁恵:八月踊りの唄も、古くから歌われている唄で、八月踊りは夜を徹して歌い踊り、トランス状態にも近いものがあります。そしてなぜ“八月唄”と呼ばれるようになったのか。私も60代の頃まではそこまで感じなかったことですが、70代になってからようやく意識するようになったのですが、小さい頃聴いていた神唄にそっくりな旋律の唄もあるんですよ。もの悲しくて、裏声を使ったものがたくさんありましたね。

奄美の歴史は、数百年前の薩摩の時代に古文書は処分され、古い歴史がわからなくされてしまっている。わからなくなってしまっているからこそ、昔の唄から歴史的な背景を読み取り感じながらできるのも、この歳だからこそですかね。もう何十年も唄ってきましたからね。

——朝崎先生の代名詞的な代表曲ともいえる『おぼくり 〜 ええうみ』も八月唄ですね。
また近年では、八月踊りの会『十五夜会』も主宰され、若い方々に伝承されたり。しかもそこに集まっているのはほとんど本土出身の方との事ですから、やはりどこか深いところで惹かれるものがあるのかなと思います。


朝崎郁恵:それはいつかどこかで聴いたような唄のように、魂で感じる。

なかには、自分たち日本人のルーツのようなものを感じる方もいるようです。今の若い人たちは西洋音楽を聴いて育ってきていますけど、自分たちのルーツ(根っこ)はどこにあるんだと探し求めているところに、この唄に出会って参加してきている方もいますからね…(つづく)



朝崎郁恵公式HP:
http://www.asazakiikue.com/

6月6日(日)14時〜 国立劇場おきなわ『琉球弧の島唄 音故知新』
奄美伝説の唄者・朝崎郁恵&八重山民謡の大家・大工哲弘の夢の饗宴!
http://www.asazakiikue.com/live/2010_okinawalive.html#onkochishin

(取材: 桑村ヒロシ、写真協力: YANTY、十五夜会)

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