親田御願〜アマミキヨの神面・奉納の儀
沖縄の稲作発祥伝説の聖地・親田(うぇーだ)で、今年の親田御願が行われたのは旧正月から初午の日にあたる2月25日。この日、親田と深い縁のある琉球開闢神アマミキヨの末裔・ミントン家のミントングスクにて、アマミキヨ神の神面が復元されたことへの正式な奉納の儀が厳かに執り行われました。
■親田御願
沖縄の稲作の起源については、昔々、琉球開闢神・アマミキヨ(阿摩美久)の子孫・阿摩美津が、中国に米という食糧があるとのことで海を越えて大陸に渡ったのですが、稲の種の持ち出しは認められず、その願いは叶いませんでした。そののち、北山王の使者も同じように稲を琉球に持ち帰りたいと神に懇願し、ニライカナイの神は“鶴が運ぶこと”を条件にそれを許しました。途中、嵐に遭い、稲の種をくわえた鶴は力尽きて、南部の新原(南城市玉城)の泉へと落下。その泉で稲が発芽したのを発見した阿摩美津は、受水・走水の御穂田に移植し、育て方は神様から教わったというのが始まりだと伝えられています。
■阿摩美久の子孫に伝わる神面が、現代に甦った
その阿摩美津の直系の子孫がミントン家で、代々伝わってきた神面とは、祖神・阿摩美久を模した面だといわれていましたが、先の沖縄戦で焼失。明治・大正時代に記録されていた資料を元に仏師により現代に復元され、2009年5月25日に神面の仮奉納の儀を行いました。その時に、神面を複製した面をつけて奉納舞いを収められたのが、琉球舞踊家・高嶺久枝氏でした。12月には国立劇場おきなわ公演の第1部にて、
面をつけて『琉球開闢神(アマミク)』が演舞されたのが今も強烈に記憶に残っています。その取材が御縁となり、この度の奉納の儀に立ち会わせて頂きました。
■日の出から参拝
親田御願と奉納の儀が行われる日の早朝、アマミキヨが沖縄本島に上陸されたという聖地・ヤハラヅカサからお参りしていくとのことで、ご一緒に同行させて頂くことになりました。
ヤハラヅカサ〜浜川御嶽〜受水・走水〜そして奉納の儀が執り行われるミントングスクへとアマミキヨと縁のある聖地を、朝から参拝して巡ります。
浄めるとは“(心を)清める”という意味もあるのではと感じながら、午後からの『親田御願』、夕刻からの『奉納の儀』へと気持ちを整えていきます。
■神面・奉納の儀
神面の奉納が行われた場所は、親田御願を行なった方々の本拠地、玉城中村渠区にあるミントングスクにて。ミントングスクとは、祖神アマミキヨが沖縄本島に渡ってきて最初に住み着いた地といわれる聖地です。
直系のミントン家(知念家)の代表挨拶からはじまり、「先の戦争で一度神面を焼失してしまいましたが、もう二度と戦争を起こさない平和な世が末まで続きますように」との言葉が印象的でした。焼失する前の面を見たことがある(面の色を証言された方)という湧上氏なども同席されたほか、南城市長代理、市教育長、区長や関係者の方々が祝辞を述べ「市民、県民の心の拠り所としてほしい」とのことで、この日は、100名ほどの区民、市民、県民の皆さんが祝いの場に集いました。
琉球開闢神アマミキヨを写し取ったといわれるお面が復活することはとても大きなこと。その歴史的瞬間に立ち会い、祝福したいと、そう感じた各々の方々が駆けつけたのです。
沖縄ではアマテラス(天照)はアマミキヨにもあたるという説(天孫族/奄美族)もあり、その琉球開闢神アマミキヨを写し取ったといわれるお面が正式に復活する日が、丙午(ひのうえま)の日でもあることにも注目。丙は太陽を表すといいますから、これが偶然とは思えない日取りにとても厳かに執り行われたのでした。
(文+写真: 桑村ヒロシ、参照: 旧玉城村の文化財概要)
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