唄者・松田末吉インタビュー【後編】
唄者・松田末吉インタビュー【前編】に引き続き、【後編】では初のソロアルバムとなった『唄うんじ』について/キーワード「結」について/「唄三線は魂だ!」等々、いろんなエピソード話を交えながら語って頂きました。
初ソロアルバム『唄うんじ』
松田末吉:なぜこのタイトルにしたかというと、まず“うんじ”とは“恩義”。先人たちが作ってくれた唄に対する恩義、師匠に対する恩義、先輩たちに対する恩義といろんな意味合いが込められていて、このタイトルにしたんですよ。
全13曲で構成されるこのアルバム。民謡・舞踊曲そしてオリジナル。オリジナル4曲については、以前からあった曲だそうですが、人前ではあまり歌うことは無かったとの事。収録という意味では、今回のアルバムがキッカケで初めてオリジナル楽曲が収められたという。
松田末吉:『一人暮らし節』この曲は、90歳程になるおじぃちゃんが作った詞で、これは「妻に先立たれて家でくよくよしていても仕方ない。だから飲みに遊びに行き、いつでも女性との恋心を忘れちゃいけない。そしていつかは一人になる。でも若い人には負けないよ」という歌。縁があってこの詞が末吉さんの手元に届いた時、曲を作るにあたり、「賑やかな曲がいいのか、情け唄がいいのか」をきいたら、「賑やかなのが良い」ということで出来た、というエピソードをもつ華やかな楽曲だ。
“結(ゆい)”は“結束”の“むすび”。
アルバムの最後に『結絃の唄』という楽曲がある。この曲について伺ったところ、ネーネーズが愛媛県・松山大学の講堂に呼ばれたことがあったそうだ。その時をキッカケに、三線をやってみたいというメンバーが集まり、出来たご縁が1997年に結成された“松山・結絃の会”。現在はなかなか全員メンバーが揃って集まることはないが、この楽曲は、松山・結絃メンバーのために作った曲だそうだ。
松田末吉:元々、沖縄には“ゆいまーる”ってあるでしょう。皆で力を合わして苦楽を共にしてやろうというのが好きだったから。
唄三線は魂
——そして「唄三線って何ですか?」と問うと、「カッコウ良いこと言えば…魂かな。」との事。
松田末吉:唄三線がなかったら自分の人生どう変わっていたか分からないし、妻子置いて飛び出した時期もあったし。今は子供・家族は全面的に協力者ですよ。ファン、だと思いますよ。でもね、父親が亡くなって三線をはじめてるから、父親が後押しをしてくれているような気がするんですよ。だから魂そのものじゃないかな。
——お父様がよく唄っていた曲は覚えていますか?
松田末吉:父親がよく唄っていた曲は知名定繁先生の曲『嘆きの梅』。この曲については僕はなかなか歌わないですね。おそらく最後まで歌いきれないですね。というのは、僕にとっては特別な唄なんですよ。父親・知名定繁先生・知名定男先生って結ばれていると思うんです。だからそのことを想うと、唄えないでしょうね。
結うたという以前、那覇市で経営されていたお店の名前にしても“結”という言葉が使われていた。人と人の繋がりを大事にするからこそ今回の『唄うんじ』= “唄に対する恩義”というタイトルとなった。
そして最後に、こうも語ってくれた。
松田末吉:若い頃、自分のやってることが果たして正しいのかどうか、を確認するために機会を作っていろんな先輩方の演奏している場所にあちこち唄三線を聴きに行きましたよ。今は人の伴奏するにも、歌ってる本人がどう気持ちよく唄ってくれるかなと。それはもう僕なりのこだわりですよね。
ちなみに最近表記している松田須之吉という名は芸名との事。今後は松田須之吉として県内外を問わずの活躍が更に楽しみだ。
※インタビュー【前編】を読む→
◆松田須之吉ライブ情報:
場所:島唄カフェ『いーやーぐゎー』
日時:
2008年12月22日(月)開演20:00〜
チャージ:¥2000-(1ドリンク付)
師範・松田須之吉(本名:松田末吉)
琉球音楽協会理事/二代目定絃会理事長/ザ・フェーレー(頭)/松田須之吉琉球音楽研究所
◆アルバム情報:
松田末吉『唄うんじ』
(¥3,000(税込)/只今発売中!
企画・制作:マルフクレーベル)
「キター!!」やっと出た。松田末吉待望の一枚。
清き一枚「ゆたしく」「ゆたしく」
01.チリ弾ち小〜山原手間当
02.川平節
03.恨みの嵐
04.一人暮し節
05.恋語れ
06.芋掘いナークニー〜カイサレー
07.うない心
08.舞方
09.夢枕
10.ナークニー〜ハンタ原
11.下千鳥
12.島尻口説
13.結絃の唄
(取材:
YANTY藤原、編集: KUWA)
(取材協力:
普久原楽器、
島唄カフェ『いーやーぐゎー』)
関連記事