沖縄のふしぎ話『れぇの絵本』著者・國士和零インタビュー

ryuQ編集室

2008年06月27日 09:00


沖縄を舞台にした“目には見えない”ふしぎ話を、
小さい頃から“見えてしまっていた”という、『れぇの絵本』の著者・しりえい(國士和零)さんが、
その“目には見えない世界”を沖縄の文化や風習を交えながら、面白エピソードやユーモアたっぷりに、イラスト満載でわかりやすく描いています。

「目には見えないものが、恐いものでも、面白半分に好奇心なものでも無い、
 それは“自分たちと同じような心を持つもの”と受け止めています。
 沖縄の島の教えに習いながら“見えないものの謎解き”なのです」

彼女の日常を、あえて面白おかしく描いているのには、どうやら意味がありそうです。
『れぇの絵本』の著者・しりえいさんに、直接お話を伺ってきました。

——沖縄は文化豊かな島で、精神文化も日常のなかにごく普通にありますね。それをまたご自身の体験もユーモラスに交えながら、絵本として出版された意味についてお聞かせください。

しりえい(國士和零):そうですね、霊とか死後の世界と言うと“恐い”というイメージを受けるようですが、
沖縄の文化では、そういうことは“あって当たり前”という教えがもともとあります。
なので“恐怖”とか“好奇心の目”で見るようなものでは無いんですよね。

その“あって当たり前”の世界を、この絵本ではさらにパワーアップしてユーモアもとりいれながら、解りやすく伝えたいと思いました。

実際には、とても笑えない出来事もあります。やはり、この世での死は悲しいものですからね。

でも“霊”というのは、“私たちと同じ心を持ったもの”だと思うんです。
生きていても亡くなっていても“心は心”で、その“心”というのは“魂”のことです。

——死後も“心(魂)”は生き続ける、ということですね? なるほど、ご先祖をとても大切にするのもとてもよくわかります。

しりえい:私のブログにも、よく書いているのですが、
「ほんとうは“死”というのは無く、“魂は永遠”に“生き続ける”もの」なんですね。

——このようなことを絵本やブログで“伝えよう”と思ったきっかけとは?

しりえい:本来は、見えたり聞こえたりするはずのものが、感度が鈍くなってしまった現代人には、その能力が衰えてしまっているんですね。

沖縄では、その感覚を失わずに生まれ持っている人たちがいて、“ウマリダカー”とか“サーダカー”とかいわれています。

それはそれで大変な面もあり、その感覚を持っていると、いろんなものが影響して身体的に打たれてしまい、ある時期に体調が悪くなってゆくんですね。

私の場合は、たとえば40度の高熱で何度病院に行っても原因不明の繰り返し。原因不明の病気が続くと追い込まれていきますよね。

そういう時に現象が起こり、“存在(神様)”が現れるので、
「なんで私をこんな目に合わせるのか?」と問うと、

「学びである。それに気づくこと。
 困難を切り抜けてゆける力を身につけていくこと」

つまり、心の強化。それを生きているうちに自然と学ぶことになるんですが、その学んだことを、伝えることはできると思うんです。

——その伝えたいメッセージが『れぇの絵本』に描かれているのですね。

しりえい:もともと私はとことん探究するタイプなので、見えないものが見えたりや聞こえないものが聞こえたりしても、
「あぁ、そうですか」と素直に聞き入れることが無く、自分で納得するまで徹底的に調べてゆくんですね。

例えば受け取ったメッセージに対して、「尚円王の琉球王朝時代に、ほんとうにそういう事があったのか?」と歴史書を読みあさったりしていると、導かれるように求めている文献がみつかったり、その分野に詳しい専門のかたと巡り会ったりして確認ができたり、
「あの時、聞こえてきたメッセージは間違っていなかったんだなぁ」って、きちんと確認できたものを、真実として伝えていったりしていたんですね。

そのようなメッセージをずっと書きためていたものが『れぇの絵本』として出版されることになりました。

——漫画タッチのイラストで“絵本”にした理由は?

しりえい:ひとりでもカップルでも親子でもいいので、親しい人たちといろんな話を交わしながらみてくれたらと思っています。コミュニケーションがとれる本のかたちは、やはり絵本がベストではないかと思うんですね。

わかりやすく、そしてこの本を楽しんでもらいたいですね。
神妙にとらえなければならないようなテーマなのかもしれませんが、あえてそう思います。

沖縄の黄金言葉で、
「笑いるないる」という言葉があるのですが、
“どんなに辛く苦しくても、それ乗り越えたあとで今笑えるなら、その苦しみも無駄では無かった”(苦労もあとで笑えるなら上等さ)と、昔ながらの沖縄の教えに通じるのではないかと思うんですよね。

——あえて、やわらかく表現しようとされたのですね。

しりえい:普通に暮らしていて、普通に笑って、普通に円満な家庭を持って、汗水流して地道に働き、家族と共においしいご飯を食べて“おいしいね”って笑顔で語りあえる普通の幸せ。
本来、それが何より尊いことだと思うんですね。

人として生まれて幸せに暮らせること。この“普通”をすることがどんなに大変なことか(笑)。それを学んでね、と神様にいわれているような気がするんですね。

——苦労話も笑い話にしているのですね。よく“沖縄の神様は厳しい”って聞くこともあるのですが。

しりえい:厳しくいうのも(甘やかすだけではない)愛だと思うんですよね。
『れぇの絵本』にも口うるさい“カメじぃ”が出てくるんですが、痛いところをついてくるんですね(笑)。
では、なぜ痛いところをつくのか。弱い部分(強くする必要のある部分)をつついて、そのポイントを教えているんだと思うんです。
その愛のムチ(の意味)が、あとでわかるんですね(笑)。

——最後に一言、メッセージをお願いします。

しりえい:最近では巷であまり“心の話”がされていないように思えるので、
日々これからも“心の話を伝えてゆけたら”と思っています。
「あなたも、身近な人たちと“心の話”をしていますか?」

※『れぇの絵本』公式HPはこちら:
 http://reenoehon.com/leyout.html

※『れぇの絵本』公式ブログはこちら:
 http://reenoehon.ti-da.net/

(取材: KUWA、取材協力: クリエイションひとつ)
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