2008年1月1日にCDをリリースした島さちこさんの新春インタビュー記事をお届けします。
伊是名島出身の歌手・島幸子(島さちこ)さんが二度の追突事故により、“歌うための声”を失ってから5年近くの月日が流れました。しかしその間には、「teamくくる」や、「
Coi-na」(元・天咲<てぃんしゃ>)の歌唱指導やプロデュースなどの活動をしていました。
そして今年の元旦に、ギタリストの矢野憲治氏、スラック・キー・ギターの山内雄喜氏、琉球を奏でるフルート奏者の並里善史氏、そして古謡(こよう)を現代に唄い継ぐ島幸子さんのメンバー<サラバンジ>により、数年ぶりの新作アルバム、復帰・第1作目となる『海の伝説〜人魚の住む家〜』がリリースされました。
『おきちゃんらんどパート2』や『紅花の唄』で聞かせてくれたハワイや琉球の調べから月日が流れ、今回は現代に生きる私たちに向けていろいろな意味がこめられた新作となりました。民謡の島幸子ではなく“島さちこ”としてのクレジットで、どんないきさつで、どんな想いで生まれたアルバムなのか…どうぞ誕生秘話をお楽しみ下さい。
——復帰第一弾のリリースおめでとうございます。何年か歌をお休みされていたのは、事故だったと伺ったのですが…。
島さちこ:以前のCD発売後のキャンペーン活動中とその後に追突事故に2回あいまして、事故後は固定症状としての後遺症もありました。その中で治す方法や自分が出来ることは何かな、と考えた時に、懐かしい音楽を聴いたり大好きなビリーバンバンのコンサートに出かけたりすることで身体が温かくなるのを感じて、“感情を豊かにすること”<音楽療法>をしてみようと思ったんですね。
ある時、今回のアルバムに参加している、さんぺいよしたかさんと駅のホームでバッタリ会い「失った声をどうやって回復していったの?」と聞かれ、大好きなビリーバンバンのコンサートに出かけた話をすると、「明日ビリーバンバンに会うんですよ。」と言われました。そして紹介いただいて一緒に歌ったりして、いろんな偶然が重なり、再び音作りの話が進み始めました。
その時に感じた事は“一度失ったら取り戻すのに時間がかかる”という事。
戻せない場合もある。そうしたらね、環境問題についても同じだな、と思ったんです。
こうして島さんは、「沖縄のサンゴがまさにその良い例だから、自分達ができるメッセージをどう伝えていくか」を考え、“心持ち病みば 我宿失なやぃ 心持ちありば 我家ん立ちゅさ”(くくるむちやみば わやどうしなやぃ くくるむちやみば わやんたちゅさ)という琉歌を作りました。
この大地に住む人々や海に住む魚や珊瑚も住家(すみか)が必要です。珊瑚を失うことは住家や大地を失うこと。つまり、我宿とは住家。そしてこれには、「心持ちが悪ければ道も失いますよ。心持ちが良ければ道は開けますよ。」という裏の意味も持つのだと教えてくれました。
——事故をきっかけに、これまでとは違う形でまた音楽が必要になって、「取り戻せなくなる前に自然への問題など、なんとかしようよ」という思いになったんですね。
島さちこ:そうですね。事故後は仕事も失いましたから、できることをするために、自分への挑戦と可能性を楽しみに変えてその頃にCoi-naとの出会いがあり、預かりましょう、という事になったんです。声が出ないなら心の中で歌えるし、詞を書けるという風に考えを切り替えました。
しかし受けたのはいいけど声が出ないのにどうして教えよう…と思っていたら、山内さんや矢野さんや「声が出なくても、今が本物ですから。愛で教えて下さい。」と言ってくれて凄く勇気が出たんですよ。
実はこの事故の後遺症は、障害者認定を受けるほどのものだったそう。しかし島さんは仕事を失ったにも関わらず、生活保護のほうは拒否したと言います。それはなぜか…。
島さちこ:保護を受けるのは簡単なんだけど、まだ私の中には歌に対する思いと過去に残されたメッセージを沢山伝えなければいけないという気持ちがありました。もし保護を受けてしまったら復帰できなくなる…昔のメッセージを伝えることが出来なくなってしまうと思いました。
——過去に残されたメッセージを伝えると今、おっしゃいましたがそれは今回のアルバムの中にも入ってますか?
島さちこ:そうです、入っています。でもまだアルバムは途中ですね。だからまだ続くので復活の第一弾なんです。
——アルバムを通して聴くと、全体はとてもファンタジーな印象を受けますが、新作と童謡「ふる里〜生まり島〜」や「世願ぇ〜うない神ぬ祈り〜」の「アメージンググレイス」などといった何曲かはオリジナルではないものを歌われていますね。
島さちこ:私は沖縄の方言の中に言霊を感じるんです。両親が明治と大正の親だったのですが、朝 起きるとまず一礼して1日の安全をお祈りをする<茶うとぅ>から始まり、仕事に行く時に一礼、道具にも一礼をし、太陽・月・星の全てに感謝するという家に育ったのです。今は街は灯りが綺麗で星が見えにくいですが、自然への感謝を忘れているので古い教えと生活の中であった大事な事を、言葉の魂で綴ったのが「ふる里〜生まり島〜」や「世願ぇ〜うない神ぬ祈り〜」なんですよ。
——「よろん小唄」については?
島さちこ:最初、入れる予定がなかったんです。ところが録音するその日に限って突然、自分の心の中に「よろん小唄」を歌え、と指示がきたんです。これはね、「ふる里」を歌っている時に感じていたんだけど、伊是名からは見えるけどまだ遠くて行けない島が与論島だったんですよ。詞が純粋で美しくて小さく見える島がおとぎの島みたいだったのね、という流れでこの歌を入れてみたんです。
——先ほどのご両親のお話ですが、日常の中に祈りや感謝があったご実家だったんですね。
島さちこ:私にとっては当たり前だったんですが、同級生とかは違うみたいでしたね。いつもじゃないですけど家族の間で琉歌を口歌(くちうた)で返したりしていたんですよ。母が門中の神女だったので唱えている言葉をいつも聞いていましたね。
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→後編に続く)
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YANTY藤原、編集+撮影: KUWA、取材協力: おきちゃんレコード)
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