3つの『十九の春』

ryuQ編集室

2007年06月11日 00:00


「十九の春」(マルフクレコードFF-53 本竹祐助、津波洋子 1972)

 先月、「『十九の春』を探して」(講談社刊、川井龍介著)という本が出版された。サブタイトルに「うたに刻まれたもう一つの戦後史」とあり、沖縄発の歌謡で最も広く知られている「十九の春」のルーツから多様に変化(へんげ)し、広がり行くさまをルポルタージュしていく。十九の春という歌はそもそも十九の春という歌であったのか。十九の春という歌がもともと十九の春という歌ではなかったというところに、この歌のレコードに刻まれたもう一つの歴史があるのだ。戦後史の中の「十九の春」は前記の本に譲るとして、レコードの話に進みましょう。

 マルフクレコードより1972年にプレスされた、この「十九の春」こそが一等最初の十九の春である。三線・津波恒徳、ギター・津波恒英が参加しており、ヴォーカルの本竹祐助のコンビの相手が津波洋子、津波恒徳の娘である。となると、本竹以外は津波一家で、このレコード誕生の裏には津波恒徳の強い意志が働いているのが読み取れる。ところで、クレジットには記載されていないが、ヴァイオリン音が聞こえるが、普久原恒勇が弾いているものと思われる。そしてこれも記載されていないのだが、ディレクターがビセカツ(備瀬善勝)であったということである。十九の春の命名は誰かということになると、記憶になかなか食い違いがあるようだが、やはり備瀬の命名とみてよさそうだ。
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