大嶺の『地バーリー』(那覇市無形民俗文化財)

ryuQ編集室

2007年06月19日 00:00


ハーリーといえば、海神祭。海に爬龍船やサバニを浮かべて、御願バーリーやハーリースーブ(競漕)をしている光景を思い浮かべるのですが、小禄の大嶺は陸地でハーリー儀式を行うのです。
『大嶺の地バーリー(ぢばーりー)』は、平成13年10月1日に那覇市無形民俗文化財に指定された字大嶺の伝統行事。


(♪『大嶺の地バーリー』のハーリー唄はこちらクリックして試聴できます)

『地バーリー』といえば、那覇ハーリーで知られる“泊”の地バーリーを思い浮かべるかもしれませんが生い立ちは違います。
そもそも那覇は商業のまち。那覇ハーリーでは“久米”などの漕ぎ手として、大嶺(ウフンミー)の海人が参加していたほど。もちろん、字大嶺でもいつの頃からかハーリーが行われていたといいます。

大嶺岬の浜は遠浅で、干潮時にはかなり沖のほうまで漕いで行かなくてはならなかったようです。その距離、1キロはあったのではないかという話も。
そこで字民のために、前の浜(メーヌハマ)まで船を担いできて、船を漕ぐ姿をみせたのがはじまりだといわれます。
また、ある年には集落内に伝染病(フーチ)がはやり、那覇ハーリーを応援に行けなくなったので、その浜で再現したものだという言い伝えもあるようです。

さて、この大嶺の『地バーリー』ですが、地域の先輩方からの言い伝えでは、その年代についてはいくつかの説があるようですが、文献として記録に残っていて確認がとれるものが明治19年頃ということで“その頃から”ということで統一することにはなったらしいのです。

ところが一説には、その歴史は糸満ハーレーよりも古いとされる説もあるようです。

どれくらい古いのかというと、そもそもハーリーの爬龍船などは中国から渡ってきたともいわれますが、海を渡ってきた際、一緒に土地の神・農耕の神である“土帝君”も小禄に渡ってきたといいます。

沖縄には7つの土帝君があるといわれ、その中でも船に乗って最初に辿り着いて祀られたところが、小禄の大嶺なのだとか。
小禄は歴史の古い土地といわれますが、しかしその多くは先の戦争で原形を失ってしまいました。

大嶺岬も大嶺の集落も、旧日本軍に接収され、戦後は米軍に、そして現在では航空自衛隊那覇基地と那覇空港として国有地化され、故郷での暮らしは無くなってしまいました。故郷の先祖が祀られ地域を護ってきた聖地への御拝(お参りともいえる)も許可書無くしては入れないといいます。

旧暦の5月4日(ユッカノヒー)には、現在の集落にある御嶽で御願バーリーを行い、この御嶽を遙拝して故郷へとウトゥーシ(通し)、区民の健康と豊漁祈願を行っているのでした。


白い砂浜はありませんが、大嶺の地バーリーを大嶺自治会の公民館で再現しています。
「大嶺はもともと半農半漁でやってまいりましたので、一番残したいのはハーリーではないかと私はそう思っております」と、『大嶺の地バーリー』を長年継承され続けてきた赤嶺清徳さん。古里の魂はこの伝統芸能の中に息づいているのでしょう。

「観られなかった人たちへと、船を担いできて『地バーリー』を行ってきた先人たちのその思いやりの心と、力強い伝統行事を後世に残せるよう頑張ります」と、
地バーリー保存会からの宣言は、近くて遠くなってしまった故郷へと響き届いたことでしょう。

※取材協力:字大嶺自治会、地バーリー保存会、上原清様
(文+撮影:KUWAこと桑村ヒロシ)
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