●「キューバ」と聞いて、何を思い浮かべますか?
撮影がスタートした2000年から7年の月日が流れ「サルサとチャンプルー」というドキュメント映像が2007年に完成した。東京の単館で2回ほどの上映はあるものの、2/9〜22という期間上映は、桜坂劇場がスタートとなる。
“キューバ”と“オキナワ”、そして“サルサ”と“チャンプルー”。
文字を見ているとおぼろげながらでもキューバの歴史とオキナワを含む“何か”を感じることはできるが、その具体性が何か…ということを文字だけで汲むことはなかなか難しい。
「バックパッカーのはしりだったんですよ。」という波多野哲朗監督は、それまで世界のマイノリティ=少数民族をテーマに辺境と言われる場所へ出向いていたが、2000年3月、大学のゼミの一環として、学生たちと共に訪れたキューバで出会ったのが約90年も前にやってきて根を張った、日本人の移民たちだった。
波多野監督:「ゼミでキューバを訪れた時、始めは学生たちに何かテーマを見つけなさい、という課題を出したんですが、誰もテーマを見つけられなかった。でも話を聞いていくうちに“ピノス島に日本人がいる”という情報が入り、一世である二人の日本人と会うことができたのです。」
映像の冒頭から登場する日本人一世の一人である島津さんは2007年12月に100歳を迎えた。19歳でキューバへ渡った彼に直接的な戦争体験はないそうだ。
劇中でもナレーションが入るが19歳の時にやってきた島津さんの日本に対する想いはとても深い。全編通して時間や時代の経過を感じさせてくれる、映像のキーパーソンでもあるようだ。と、映像の内容に触れるのはこのくらいにして…。
南北アメリカやハワイ、ブラジル、南洋などに日本人は渡ったが、その中でもぺルーやメキシコから出稼ぎにやってきた人たちが、最初のキューバ移民だった。そして、この映像に出てくる一世の島津さんが渡来した1924〜25年以降に日本人がキューバへ渡った時代は、砂糖産業の全盛期から4年もあとのブームが終わった1929年の世界恐慌で、砂糖産業は壊滅的な打撃を受ける。
この時代に日本を出た人たち…それは日本政府の移民政策だった。
キューバは白人、白人と黒人の混血の“ムラート”、アフリカ系黒人、チャイナ・アジア系、とまさに多種民族の島。そして「サルサ・ミュージック」も“ジャズ”“ソウル”“ロック”が融合してアメリカで確立されたいわば、ミックス音楽。そう、まるでそれって沖縄の中国、東南アジア、そしてアメリカとのチャンプルーのよう。単なる移民先という場所だけではないつながりがあった。
移民という選択で、外国に働き口を求め出なくてはいけなかった時代。家族・つながり・誤解・持って帰るもの・帰れないもの…。
劇中では一世の二人の他に、沖縄以外の出身や沖縄にルーツを持ついくつかの家族が紹介され、中でも柱の一つとなる瀬底島出身の上間ファミリーの歴史や背景をはじめ、いくつかの家族のストーリーが紹介されている。
——撮影で一世から四世の方々と向き合って、何か感じたことは?
波多野監督:「7年という月日が経てば、人が亡くなり、また赤ん坊が生まれたり、それがドキュメンタリー映画の面白さだと思うんです。
撮影の中心的な舞台となった“イスラデ・ピノス”=“青年の島”=“松の島”を日本人は郷愁をこめて“松島”と呼んでいたそう。両親が日本人であれば子供たちも日本語を話しますが、片方だけが日本人の場合は日本語を話すことはできません。特にここは日本語のメディアがない場所なんです。そして移民史の研究においてもキューバ移民という存在は、埋もれてしまっていたのです。」
●映像における象徴の削除と音楽
——撮影で苦労した事は?
波多野監督:「シンボリックな映像をできるだけ表現として使わない、という事でした。キューバといえばホセ・マルティやカストロ、チェ・ゲバラが浮かびます。そういう象徴的なものを入れた方が映像は撮りやすいんです。
私も最初は、例えば外国に住んでいる日系人を描こうとする時、飾られた富士山の絵だったり、そういうものを思い浮かべましたが、それではダメなんですね。もちろん私の映画の中にシンボルが全くないわけではありません。ギリギリのところで表現はしています。」
ただし、と言葉が続きます。
「映像の場合、音楽で表現することが可能なんです。上間敬子さんと旅立ちの話になった時、見送りの歌である“だんじゅかりゆし”を歌って下さったんです。聞けばいくつもの歌詞があって、そしてそれを沖縄民謡の照屋政雄さんに歌っていただき、そしてKACHIMBA1551 にサルサとして歌ってもらうという流れ。この映像の制作は偶然の重なりではありますが、そこにハバナの映像と音楽が自然に混入します。音楽はこうして、私がともすれば論理や象徴によって結びつけようとしたキューバと沖縄という二つの世界を、イメージとして一挙に溶かし込んでしまうのです。」
ハバナの映像とは日系人…と言っても日本人の面影がない大人や子供たちが「おじぃちゃんの国の歌をうたおう」として歌のレッスンをし、アフリカンダンスを踊るシーンだ。
また、映像の中で二世の方の言葉に“僕達は果たして日本の文化を維持しているんだろうか?”という言葉があります。遠く離れたキューバで日系人が感じる疑問。しかし果たして日本人である今の日本人が日本の文化を維持しているかどうか…。
「移民がテーマになると重くなりがちですが、ミックスのカルチャーという点でキューバというオキナワに共通するエネルギーを観ていただきたい。」
と波多野監督は最後にコメントをくださいました。
波多野監督のお話を聞き「サルサとチャンプルー」は、取り残されてしまったキューバへ渡った日系の方たちの貴重な映像を、歴史的事実として知っておくべきドキュメント映像だと感じました。ぜひこの機会に桜坂劇場ほか各会場へと足を運んでみて下さい。
■東京での上映(特別先行上映会)※トークショー付き
会場 渋谷・アップリンク・ファクトリー
http://www.uplink.co.jp/
日程 2008年2月7日(木)
開場 18:30/上映 19:00〜20:40
トークショー 20:40〜 監督×ゲスト・諏訪敦彦(映画監督)
当日券のみ 1,800円 1ドリンク付き
■沖縄での上映
会場 那覇・桜坂劇場
http://www.sakura-zaka.com/
日程 2008年2月9日〜22日(11日は上映無し)
上映 11:50〜13:30/14:20〜16:00
料金 劇場に問合せ下さい。
■上記以降の上映について
東京:5月連休明けよりアップリンク劇場での上映予定。
大阪:シネヌーヴォ劇場にて数週間公開予定。
[サルサとチャンプルー Cuba/Okinawa]
http://www.cuba-okinawa.com/
(取材: YANTY藤原、編集: KUWA、取材協力: 桜坂劇場)
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