大城志津子の「御年日ぬ唄」

ryuQ編集室

2010年09月13日 09:00


私が今、琉球新報で連載している「島歌を歩く」、色んな方面から意見や問い合わせがあったりするが、本人が喜んでいるということを聞くことほど嬉しいものはない。先月(8月)は上下2回に渡り、大城志津子について書いたが、本人が読んで喜んでいるということを聞いて嬉しくなった。というわけで今回は新聞のコラム「くんちり道」でも触れたが、CD「御年日ぬ唄」について書いてみたい

「御年日の唄」歌・大城志津子民謡グループ
(ンナルフォン BCY-5 2010)

まず、大城志津子という人がどういう歌手か、ピンとこない人も多いと思う。そう、体格が大きくて三線ならぬ六線弾いて速弾きをテンクテンクと響かす女性歌手。といっても説明しづらい。彼女の代表作品の「朝ぱな」「八重山観光小唄」とかいっても、沖縄民謡に詳しくない人にはやはりピンとこないかも知れない。民謡クラブ「ハンタ原」を経営していた。三線の速弾きをさせたら凄腕で、女性では右に出るものはいない。弟子の数もハンパじゃないほど数多い。言うならば、三線の“女伝道師”というやつか。しかし5年前、体調を崩して30年も続いた店も閉めて、一線から退いて今は後進の指導、といっても師匠クラスを指導しているのですが、に力を注いでいる。
出身は八重山で、一族揃って芸能に通じる環境に育ち、伯母は沖縄現代音楽の元祖・普久原朝喜の先妻で、若くして亡くなった、鉄子(本名・静子)。志津子も元は静子で、あの偉大な叔母の名前をいただいている。というわけで、4歳頃より芸事を始め、7歳にはすでに村の行事のステージに上がっていた。中学を卒業して単身那覇に暮らす。四畳半一間で寝る間を惜しんでの三線修行。その辺の内容は8月6日付の琉球新報に譲るとして、ヒイヒイハアハハアともがきながらも、以外と速くチャンスは巡ってくる。16歳でレコードデビューだ。叔母の普久原鉄子が歌った「朝花」で。彼女の回りに色んな人が集まってきた。琉球芸能の御大・川田松夫と出会い、指導を受け、曲を戴いている。戦後の民謡の歴史と共に歩んできたと言っても過言ではない。

そんな大城志津子の乗りに乗った頃の歌の一つが大城志津子民謡グループ歌う「御年日ぬ唄」だ。人間は120歳まで生きることが可能だそうで、還暦×2を理想としていると聞いたことがある。そんな還暦から120歳までの生まれ年を祝う歌が「御年部ぬ唄」だ。だから数え73や85歳の祝いなどには欠かせない歌だが、デジタル音源がなかった。そして今年の5月にCDが復刻された。何とも雰囲気が御年日のお祝い風ですぞ。原音となったレコードは私が提供しました――蛇足。


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筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)に移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。著書「島唄レコード百花繚乱 ― 嘉手苅林昌とその時代」を発売した。
島唄カフェいーやーぐゎーHPhttp://www.ryucom.ne.jp/users/iyagwa/

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