宿道、最後の一般公開
最近、ガソリン高の影響か、以前より車で出掛ける機会が減ってきたかもしれない。地球にとってはECOでも、取材ネタを足で稼ぐ者にとってはちょっと痛いところだ。
久しぶりに、目的もないまま国道329号線を金武町のほうまでドライブした。たまには、そんな時があってもいいかもしれない。
金武大橋を渡る手前で、こんな看板を見かけた。
「宿道 最後の一般公開」(7月11(金)・12(土)・13(日) )
気になって、その町の教育委員会に問い合わせてみたところ、
“今日が宿道の最後の一般公開の日なんです”とのこと。しかも一般公開は3日間のみ。これはどういうことだろう。
さっそく、現場へ向かってみると、首里王府時代の“道”の発掘現場だった。
その道は“宿道(すくみち)”。
発掘された宿道は、近世琉球時代(1609年の薩摩の琉球侵攻から1879年の琉球処分まで)に王府によって整備された道ともいわれる。
また宿道そのものは、古くはそれ以前の第一尚氏王統(15世紀)の時代からあったとも。
主に、首里王府から各地の間切(当時各集落を“間切”として行政区分した)への情報を運ぶため(伝達)の道で、首里を起点にして、
・北へ東西2本(国頭方 東宿・西宿)
・中部へ東西2本(中頭方 東宿・西宿)
・南部へ東西2本(島尻方 真和志宿・南風原宿)
と計6本の幹線道路があり、主要箇所には宿場と情報伝達のための馬が設けられていたといわれる。そのうち、国頭方東海道(の一部)が、金武町で2006年に発掘された宿道にあたる。
また、文献で調べられる唯一の宿道とも伺った。国頭方東海道は、ペリーの「沖縄訪問記」にも登場する。
金武町の資料によれば、とくに今回の発掘現場は「上杉県令巡回日誌」、尾崎三良の「明治十五年琉球行日誌」などに記されている場所(道)なのだという。億首川付近は、その当時はとても険しい道だったらしい。
しかも興味深いことに、
“近世琉球時代の宿道”、
“大正時代に整備された村道(アーチ型の億首橋もある)”、
“戦後アメリカ軍によって作られた道(のちに旧国道329になる)”、
“そして現在の金武大橋(国道329)”と、4つの時代の道が残っている場所としても珍しい。
ところが、この3日間のみ一般公開されたあと、ダム建設のために“近世琉球時代の宿道”の一部がとり壊されてしまうのだという。
もし先に国指定の文化財に指定されていたならば、この貴重な文化財がとり壊されずにすんだかもしれない…。
新しい島づくりのためとはいえ、私たちの日々の選択に間違いはないのだろうか。自問自答の日々でもある。
こんな言葉を耳にしたことは無いだろうか。
「沖縄は、島全体が聖地のような
大切な場所だ。」
島そのものが宝だというそんな黄金言葉を
できれば忘れずにいたいと思う。
(文+写真: 桑村ヒロシ、参考文献: 「宿道(国頭方東海道)発掘調査」)
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