2007年09月07日
映画『世界はときどき美しい』

「最近は人生の方が波乱万丈で、ドラマや小説が面白くなくなった」
わずか27歳やそこらで、そんなことを嬉々と話す会社の先輩を横目で見ながら
「なんてつまらない人生だ。私は絶対、そんなことを言う大人にはならないぞ」
とヒソカに誓った、20代前半。その頃の私にとって、ドラマや小説の中にある「物語」は、自分自身の「もう一つの現実」と呼んでよいほどに、真に迫っていて、リアルで、日々を生き抜くための糧、だった。だけど、どうだろう。
鼻息荒く、ヒソカに誓ったあの頃から10数年。気がつくと、私も当時の先輩と同じことを口走ることが増えた。
30数年も生きていると、ささやかながらも私自身の「現実」も中々に波乱万丈になってきて、日々押し寄せる大小様々な出来事や感情の海を泳ぐのに夢中で、気がつくと「物語」をそれほど必要としない自分がいた。
それはそれでいい。とも、思う。
でも、何かが雑に、そして乱暴になってはいないだろうか。
繰りかえす日々の中で、わきおこる感情や気分。
それらは、その時々で異なり、1つ1つ、微妙な手触りを持っているはずなのに、その事に目をつぶってはいないだろうか。
「面白い」「ありがたい」「忙しい」「ムカつく」…
そういった単純な言葉のラベルを貼って、まるで調味料の瓶を整頓するように、自分自身の気持ちを整理してはいないだろうか?
そんな事を、映画『世界はときどき美しい』を観て思った。
この、5編の短編から成る作品は、「派手」で「わかりやすい」ストーリーテリングの対極にあるように一見思える。
物語構造のはっきりした映画を見慣れている人にとっては、一瞬、戸惑いをおぼえるかもしれない。なぜなら、単純に、そして乱暴に言ってしまえば、「大げさなこと」は何ひとつ起こらないからだ。
登場するのは、38歳のヌードモデル。夜な夜な酒場をうろつく関西弁の初老の男(ホームレス?)。「生きている」という実感が曖昧な若い女性。避妊のしくじりで恋人との間に新しい命をさずかった、天文台づとめの男。亡き父のお墓参りをした日の夜、一人で暮らす母の寂しさや孤独に気づく旅行代理店に勤める独身女性。

大きな不幸や事件が起こるわけではい。
「嬉しい」「楽しい」「寂しい」と声高に、何かを語るわけでもない。
けれど、スクリーンの中の彼らは、彼ら自身の日々の中で、葛藤と向き合い、真摯に答えを出そうとする。
そこに描かれている「意味」や明確な何か(テーマ、とか)を掴もうとすると、するりと逃げていくが、掴むことをやめて、8mmフィルムで丁寧に映し撮られた映像を見つめていると、映画館の闇の中で、スクリーンの中で起こっている出来事が、この地球のどこかで、たった今、起きていることのように思えてくるのだ。
そして、映画館を出たあと、彼らの人生を目撃した自分の中の何かが変わっている。
そのことを、強く感じた。
——監督、そして松田美由紀さんは主演女優と制作という立場で、この作品に携わったわけですが、それぞれの視点から「世界はときどき美しい」という、この映画の成り立ちについて教えてください。御法川監督:映画を取り巻く状況って、今は昔と比べると激変しているんです。それは、シネマコンプレックスが日本中に整備され、映画館の入場者数は爆発的に増えました。しかし、その一方で、インディーズやアート作品を上映する単館映画館が閉館している。映画の選択肢が非常に狭くなっていて、映画を観たい人が、映画を「選べない」という状況になりつつあるんです。
僕は、物語の最初から最後まで手をひいて連れていってくれるような娯楽作品、見る人を“おもてなし”してくれる映画も大好き。
でも、日本中でそれしか上映されない…っていう状況にはNOをつきつけたい。人間というのは、日々役割を全うしながら生きていて、それは、そう簡単には取替えがきかない。その事を精一杯、勇気をもって肯定する映画を作ろうと思ったんです。
松田美由紀:“取替えがきかない”…と監督がおっしゃっているのは、たぶん、『役』というのが、物語の中でも現実の中でも、特に最近、一辺倒になっている気がする…という事だと思うんですね。それはどういう事かというと、テレビを見ていても、現実の中でも、氾濫する情報の中で“お母さん”なら、“お母さん”。“女子高生”なら“女子高生”という役を皆、演じている。スカートを短くして、おっぱいを強調して、お化粧して。“はい、女子高生です”って差し出しているように思えるのね。皆、同じ。取替えがきくように見える。そして、それはすごく怖い事じゃないか…って思うんです。人間って、ひとり一人、個性も違うし、感じ方も違う。微妙な味や色合いを感じ取れる繊細な感性も持っている。その違い、地球上にたった一人しかいないその人の人生を表現する映画があってもいいんじゃないか…『世界はときどき美しい』はそういう映画じゃないかなって思ったんです。
——私は普段、割とストーリーテリングのはっきりした映画を見る傾向にあるので、最初、この作品を見たとき、戸惑ったんですね。「いったい、この中で何が行われているんだろう…?」と意味づけや解釈をしようとすればするほど、わからなくなって、映画が終わっている…。でも、観終わったあと、自分の仕草や営みが少しだけ丁寧になっているのがわかったんです。例えば、車の運転が丁寧になったり。それは、映画の中の1シーン、1シーンが自分自身の記憶になったからじゃないかな…って思いました。御法川監督:感じ方は、観た人の数だけあってしかるべきだと思うんです。でも、僕はけして、奇をてらったり、特別な映画を撮ったつもりはないんですよ。なんというか…探求する。僕がいま住んでいる東京という街は、すべてが明るみに出る場所。その中で目を瞑っていることもあるかもしれない。でも、映画館という暗闇の中で、この映画を見つめながら、一人ひとりが自分自身の生を探求する。何か今、大切な事を言ってくれているかもしれない…そういう映画でありたいし、そういう心象風景を獲得したいなって思います。
松田美由紀:今、おっしゃった様に『世界はときどき美しい』という映画は、ドラマ性のある映画を沢山見ていると、見づらいと感じる部分もあると思うけれど、でも、スローフードのように、映画を自分自身で味わって、それぞれの日常にとりいれてもらえたら嬉しい。映画を観終わったあと、自分の部屋や、友達を見渡したときに、“あ、こういう事だったんだな”って思ってもらえたら幸せ。

まるで1冊の本のように、観るその時々によって、気づく場所、心を掴むシーンが変わる。
素材を選び、よく味わって食べたものが健やかな体をつくるように、映画が「感じるアンテナ」を育む。
映画館を出たら、まずは触れてみよう。見つめてみよう。コトバのラベルを貼る前に。
愛する人の髭の剃りあとを。
目覚めたあとのシーツの湿り気、一瞬、一瞬、変化していく日の輝きを。
その時、見慣れたはずの日常が、見違えたようにいきいきと、目の中に飛び込んで、その美しさの一片を見せてくれるだろう。
「世界はときどき美しい」
忘れていた感受性が息をふきかえし、日々の糧になる「物語」があることを思い出させてくれた。
自分自身の「今、ここ」が愛おしく、大切に思えてくる映画だ。
(文: 高橋百合香、写真+編集: KUWAこと桑村ヒロシ)

桜坂劇場では9月14日(金)まで上映中。
◎映画『世界はときどき美しい』公式サイト
http://www.sekaihatokidoki.com
◎映画『世界はときどき美しい』公式ブログ
http://sekaihatokidoki.seesaa.net
※桜坂劇場より、読者プレゼントをご用意しています。
詳しくはコチラより→
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「世界はときどき美しい」という映画を見ました。 映像ポエムみたいな売りの映画だったので、甘ったるい映画だったら嫌だなあとか思いながら、でもタイトルとキャストにに何か惹か...
世界はときどき美しい【B級大好き 自転車太助の、ほっこりブログ 】at 2007年10月17日 12:52
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