めんそーれ!『ホクレア号』【前編】
古代の航海術、【スター・ナビゲーション】という星や雲、風、波のみで計器類を持たず、ポリネシア伝統遠洋航海のカヌーを復元した『ホクレア号』が、ハワイ島はカヴァイハエ港を2007年1月19日(金)夕刻に出発し、ミクロネシアの海域を越えて日本というアジアを目指しました。それは並大抵のことではありません。星が雲に覆われ何も見えない時は「星や月を心の目でみる」という彼らの祖先である古代ポリネシア人からの叡智を伝承した、まさに魂の航海術。そうやって約3カ月後、4月24日(火) 深夜1時頃、日本で最初の寄港先である糸満漁港に到着したのでした。
大海原を旅してきた『ホクレア号』が沖縄にそして日本に来ることがどんな意味を持ち、そしてそこから何を想うのか…をご一緒に考えていきましょう。
★価値観の共有 〜アジア・日本への旅〜
『ホクレア号』のクルー11名、伴走船『カマヘレ号』のクルー6名は、真夜中に約100名ほどの歓迎を受け糸満市漁港へ無事に到着。連日、歓迎セレモニーやパーティー、船上ワークショップに講演会、そして表敬訪問というスケジュールの中、ホクレア号のキャプテン、ナイノア・トンプソン氏や日本人クルーとして参加していた荒木汰久冶さん、内野加奈子さんをはじめとしたクルーの皆さんからの貴重なストーリーやメッセージをいただきました。
そもそも『ホクレア号』で日本を訪れるという案は15〜16年前からあったと言います。
「なぜこの航海をすることになったか…」ナイノア氏は2人の名前をあげました。
1人目は、両親が仕事で忙しかったナイノア氏が幼少の頃によく預けられたという、祖父が営む農場で働く移民の日系2世の(故)カワノ・ヨシオさん。ここで日本の様式(住まいや食べ物)や、海のこと・海で生きる術を教わったのだそう。その彼が国籍や人種を超えたハワイと日本の価値や文化の橋渡しをしていた姿から、彼の存在こそが『ホクレア号』をハワイから日本へとつなぎ、感謝を返す必要性がある…と考えたきっかけの人物だった、と語りました。
2人目がナイノア氏の父親。航海を前提にこう伝えたそうです。
「私たちはこの地球(ほし)の存在だから、人間は異なっていることよりも、似ていることのほうが多い。
だから価値観を共有することができれば、人類は地球の一部としてより強力な存在となれるだろう。この価値観を日本につなげ、世界にその輪を拡げなさい」と。
こうして、初のアジアへの旅は、この日本にとっても、新しい未来のあり方を考える(見つめ直す)きっかけになるであろうと、(例えば日本古来からの精神文化とハワイのアロハ・スピリットなどに共通点があるように)彼らは“価値観を共有”するために日本に来た、といいます。
★カルチャーとスピリット
1881年、ハワイのカラカウア王が日本を訪問し、明治天皇と会見してから126年。その間、両国間には様々な背景を持つ関係性や文化の交流が行われてきましたが、日本と同じように伝統は一度消えかかります。しかし1970年頃にはポリネシア文化を見直す運動が起こり、近年では自分たちの文化を取り戻すべくハワイ語の復活をさせました。これは沖縄の若い世代が【うちなーぐち】を話せない事と似たような状況だったのです。
また、こうした流れの中で1975年に『ホクレア号』が誕生。天体を目印にしながらする航海と言えば、沖縄もかつてはサバニで東南アジアやミクロネシアへ漁に出かけています。ちなみに、ナイノア氏と荒木さんらは2005年愛知万博の際、糸満から会場までサバニの『海人丸(うみんちゅまる)』で航海しており、当然、今回そばには『海人丸』の姿もありました。
「風と雨の中、雨が降る方向と止む方向の向こうに、クリアになる穴(ドーム)があり、そこから水平線の向こうに沖縄の島を見つけた時、一瞬クルー全員が静かになりました。それは、とうとう沖縄にたどりつき、旅の終わりが見えてきたという空虚さだった」と。そしてキャプテンは「どうか私たちを港に入れて下さい」と祈り、誰もが『ホクレア号』に宿るハワイのマナ…つまり霊力を感じた瞬間だったそうです。
ハワイではハワイ島・キラウエア火山に女神ペレが住んでいると言われるように、また踊りや歌を捧げる時、自然や植物にリスペクト(尊敬)する事は現在でも行われており、沖縄の風習と近いものを非常に感じてなりません。
古代の叡智と現代のあり方。今、改めていろいろな角度から物事を見直そうという中で、この『ホクレア号』という一隻のカヌーがかつてのスタイルを復活させ日本まで来たことは、単なる伝統復興の旅だけではないようです。
全長19m×幅5.3mという長さの決して広いとは言えない中で何ヶ月も生活を共にする事は、強さよりも弱さをお互いが補い、そして認め合うというプロセスを経験し【Ohana (オハナ=家族)】になること。「旅は学び、そしてギフト、だ。その内容が難しければ難しいほどギフトの内容が豊かになるのです」と、チャレンジすることが大切といいます。
(後編に続く)
取材協力:ハワイ州観光局、沖縄県
取材:YANTY藤原、編集部:KUWA
「風と雨の中、雨が降る方向と止む方向の向こうに、クリアになる穴(ドーム)があり、そこから水平線の向こうに沖縄の島を見つけた時、一瞬クルー全員が静かになりました。それは、とうとう沖縄にたどりつき、旅の終わりが見えてきたという空虚さだった」と。そしてキャプテンは「どうか私たちを港に入れて下さい」と祈り、誰もが『ホクレア号』に宿るハワイのマナ…つまり霊力を感じた瞬間だったそうです。
ハワイではハワイ島・キラウエア火山に女神ペレが住んでいると言われるように、また踊りや歌を捧げる時、自然や植物にリスペクト(尊敬)する事は現在でも行われており、沖縄の風習と近いものを非常に感じてなりません。
古代の叡智と現代のあり方。今、改めていろいろな角度から物事を見直そうという中で、この『ホクレア号』という一隻のカヌーがかつてのスタイルを復活させ日本まで来たことは、単なる伝統復興の旅だけではないようです。
全長19m×幅5.3mという長さの決して広いとは言えない中で何ヶ月も生活を共にする事は、強さよりも弱さをお互いが補い、そして認め合うというプロセスを経験し【Ohana (オハナ=家族)】になること。「旅は学び、そしてギフト、だ。その内容が難しければ難しいほどギフトの内容が豊かになるのです」と、チャレンジすることが大切といいます。
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沖縄島でホクレアの寄港の様子を連日取材されていたウェブマガジン「ryuQ」のホクレア特集ページが公開されました。
http://ryuq.ti-da.net/...
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ウェブマガジン「ryuQ」ホクレア寄港特集
【
航海カヌーマニアmania de viajar la canoa
】at
2007年05月02日 12:33
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